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どんなダメダメ人間でも覚悟すればちゃんと未来をつくっていける。未来を読むための壮大な?物語。今更ながら 都 章 自己紹介 詳細プロフィール ダメダメ期~成長期~未来期へ

有)フューチャープロデュース代表取締役 都 章 のダメダメ期~成長期~未来期を長いですがご覧ください。ダメダメ期から未来へ繋がる壮大な小説の様な感じで笑いながらお読みください。ただ、最初に言っておきますがめっちゃ長いです(笑)

では、どうぞー。

【幼少~小学生期】

昭和45年1月8日生まれ

大分県大分市佐賀関町に生まれ山と海に囲まれた幼少期

とにかく意味はなく学校が嫌い(イジメられていたわけではない、輪に入る事が苦手、友達は校舎裏のダンゴ虫)嫌いな理由は後で分かることに・・・

行きたくないので良くずる休みをして学校を休む。それでも大丈夫な何も言わず休ませてくれた両親に甘やかして育てられる(今思えばありがたいことなのですが、でも半面この甘やかしが苦労することに)

ただ、素直に言う事は聞く子ではあった(特に反抗期無し。この素直さが今では物凄く利点。両親に感謝)

10歳の頃突然夜眠れなくなる(映画エクソシストを見た瞬間何かが入ってきた気がした)眠れないので夜になるのが怖く、いざ寝ろうとしても眠れないので泣く。するとケロッと寝る。そんな日が何日も続きやがて夜ご飯がのどを通らなくなる。さすがに心配した両親が病院に連れていくも原因が分からず。衰弱してくる。ついにお祓いやさんの所に連れていかれ「この子には狸の霊が憑いておる」といわれて祓ってもらったらその日から嘘のように治る。この時世の中には不思議な事があるのだと初めて体験した。

【中学生~高校生期】

とにかく中学はもっと嫌だった。何が嫌かって周りが嫌(笑)友達と合わせようとしても合わせるのがキツイ。合わせている自分が嫌になる。でも、合わせないと友達がおらず一人でいるのが変に思われる。というのがただ怖い。

そしてここで強烈なトラウマを喰らう。授業中発表しようとすると笑い声が聞こえるのだ。何かが面白かったらしくそれ以来人前で話すことがトラウマに。それでも今は人まで話す仕事なのだから分からないものだ(笑)とにかく人前で話すことはそこから封印するのだが否が応でもそういう場に出される事になるのはまた後で。

もうひとつトラウマが(笑)ソフトテニスの部活に入っていたのだが(なまじ上手だった)最後の最後に全員から総スカンを喰らう。まあ、原因は自分にあるのだが「裏切られるととても傷つく」という経験をする。この「裏切られる」ということは後々大きな意味を帯びてくる。

高校は地元でも有名な進学校へ(お陰様で地頭は良かったらしい)中学とは違い合わせるという事もせずとも友達は出来ていく(それでもどこかオープンマインドでいられない自分がいた)ただ、勉強をする訳でもなく遊ぶでもなく部活するでもなく家と学校の往復だった(通学に一時間半かかっていたから仕方がないかも)

3年間勉強する訳でもなく田舎から都会の進学校に行ったものだからレベルの違いを見せつけられ入学早々やる気を失う。

そんなものだから現役受験失敗(笑)

【予備校生期】

親のレールに敷かれて(これはほんとうにそう)なんとなく何も考えず大学を目指していたから受かるはずもなく。ただ、予備校入学時に「なんとなく読んだ本」がとても大学への憧れを作ってくれて自分のキャンパスライフをイメージ出来た。その瞬間スイッチが入ったかのように勉強を始める(どうやらこの時から憧れるイメージがあるとそこに向かえるという体感をしたようだ)

友達と遊ぶことも辞め(まあ、そんなに遊んでもいなかったが)とにかくひたすら勉強をした。偏差値も上がっていきなんとか志望校行けるか?と思った矢先・・・・

父が原因不明で倒れるとの一報を受ける。

そのまま意識が戻らず帰らぬ人となる。最後に交わした言葉さえ思い出さずあまりにも急な別れ。

一週間ご飯がのどを通らなかった。泣いた。泣いた。そして直ぐに受験が迫っているプレッシャーもありどうしていいか分からなかった。

その時にふと思いついたのが「父が望む事はなんだろう?」と考え気持ちを入れ替えたボクがしっかりしないと!と。覚悟が決まりました。

そしてここから何も決められない自分が一人で決めるという事を思い出していく。

その時に違う都会の大学にも受かっていて憧れでそちらに行く気満々だったのだが「なんとなく」そこに行く実感がない。下宿も決め何もかも準備は整い、でもなんとなく本当に行くのか?という状態。あと一週間で引っ越しと言う時。

その時に地方の国立大学からなんと「補欠合格」に繰り上がったとの連絡があり。

なんとなくほっとしたような安心したようなそこでいて複雑な青年の心が入り混じり。でも、頭よりも心がなんとなく願う事に進む(これが今の頭くんと心くんの原点とも言える)結局、地方の大学を選ぶ。でも、これが良かったことは後日繋がっていくことになる。進むと覚悟できたのです。

父親がそこに行く事を願っていたからそうしてくれたのか。

【大学生期】

これぞ大学デビューを象徴するかのような何か解放されたかのような遊び方(笑)サークルと遊びとバイトと彼女と大忙し。

3年時に文科系サークル32団体1200人をまとめる事務局の会長に薦められる。始めは「そんな大役できない!!」と断ったがシャワーしている時に何か声と言うかなんというかが聞こえ途端にやりたくなって「やります!!」と返事をする。(それ以後何か大事な事はシャワー中に降りてくるようにw)

人前で話さなければならず(相当にきょどりながらでもそうは見せずに)決める事もまあ多い。人と折衝する事も多く。失敗した事や上手くいかなかったこともたくさん。何よりもプレッシャーで円形脱毛にw

そりゃそうです。なーんにも決められなかったのにいきなりそんな世界に飛び込んだものだから。でも、これが相当に自分を鍛えてくれた。しかも就職活動に大きくプラスになった。

今思えばその時に会長だったから良かったのだ。と。もし、副会長とか部長とかだったら嫌になっていたこれも後で分かる事に。

無事一年の任期も終え一部上場の会社へ就職も決まり(これもエピソードはあるのですが長くなるので割愛、でも、ご縁とタイミングって本当にあるのだなーと実感したのです)

【就職期】

まあ、ここでもかなり鍛えられます(笑)まだまだ甘々でしたからただここでの経験も今に繋がります。

初めの課は一番人間のドロドロしたいやな世界が見られる所でした。新入社員で飛び込んだものだからそれはそれは苦労しましたよ。泣いたなあ。人知れず。その時の上司も超パワハラ上司だったし。でも、飛び込んでいく、すぐに仲良くなるコツみたいなことは覚えたかな。とりあえず笑っとけってね。へらへらすな。と怒られたこともあったけど。

そして課も変わり営業の課へと移動

「何の為にやるのか?」が見えないから目標数字なんて言われてもピンとこないし「それをやれーーー!!」と言われるのがとても嫌。

この頃から「何の為に?」が首をもたげる。会社の為?自分の為?自分の数字の為?何々???

そして、自分の上司の姿に全く憧れなかった(しんどそうだけだったので)自分の数年後の姿があれかー(とても失礼)と思うと(やはりこの頃からイメージするの大事だったんだな)嫌で仕方なくなった。

そこそこの数字は出せていたのだけど突き抜けられることはなく。それはそうですよね。「何の為に?」が無かったから真剣になる訳がない。

この辺りにプライベートもごたごたしていて(^▽^;)

家業というかなんというかを継ぐと気持ちを固め退社。

【起業黎明期】

大分に帰り2年家業を手伝っていたものの物足りなくなり、なんか自分出来ないかなーと模索している所にご縁とタイミングでテイクアウトの飲食店を出すことに。

それが起業の始まり。貯金も融資も受けることなく手持ち資金17万円でお店を始めます(今、相談されたらふざけんな!!と言います)

案の定上手くいくはずがなく3か月で閉店の危機に。その時に大っ嫌いな奴に薦められた本を「素直に」読んで感銘を受ける(この時も本 W)。それをお店で実践すると決意。この時から朝早く起きてチラシやなんやかやを用意する習慣が付きました。

そして実践するうちに見る見る地元では有名店に。口コミで流行る店とメディア全局、雑誌取材と取り上げられたり。

そしてお客様とのコミュニテイを作っていてそれがまた好評でした。1000人の会員がいてバーベキューしたり飲み会したりお店で企画したりでワイワイやっていました。必死期1。

ところがある時やらかしちまいます(^▽^;)

ある飲み会で一次会を終え二次会をめんどくせえなーとスタッフに任せて帰ったのです。俺がいなくてもいいだろうと・・・・完全にベクトルが自分にしか向いていませんでした。。。。

次の日スタッフに告げられます。お客様みんな怒っていた。なんで帰るんだと。最近調子に乗っているのではないかと(確かに他のセミナーとか講演とか所属する団体とかの行事で店に居ないことも多かった)

で、怒り爆発「総スカン」です(^▽^;)

当然売り上げは激減します(笑)全く来店いただけなかったので。

ここで「何の為に?」が完全に自分を向いていたことに気が付いたのです。

何かキッカケがないと気が付かない。気が付かなければ跳び蹴りのような事を喰らうのです。

幸い一命はとりとめ(笑)なんとか持ちこたえ4年間で2店舗にまで復活。必死期2でした。

「お客様の笑顔と美味しさの為に」これが当時の何の為でした。それを絶対にブレてはいかんのです。だからボクはこの体験からも「何の為に?」を伝え続けています。その時のショックを味わってほしくないので。あの時の衝撃たるや(笑)

この間これだけではなく銀行から借り入れをしてネットショップもオープンさせます。ですがあえなく一年で撤退(^▽^;)ただ、この時のご縁が後々大きなご縁へと繋がっていくのでした。

ところがボクの中での「何の為に?」それは変わり始めます。

お客様から色々な相談を受けるうちに「ありがとう。アドバイス通りにしたら上手くいったよ」とか「本当に助かったよ、ありがとう」というこの「ありがとう」がたまらなく魂が震えるほどの喜びでした。「快」でした。

もうこの魂が震えるほどの声を聴いてしまった時に「このままでいいのだろうか?」と頭をもたげます。そしてじゃあ、このまま多店舗展開していくのか?頭ではそう思っています。でも、心は違う所に向かいたい。どっちも引っ張られているので上手くいくはずがありません。これが頭くんと心くんとが一致していない。ということで上手く進みようがありません。

そこで決意します。次の道に進むことを。「決めた」のです。

決めると面白いようにタイミングよくお店をやりたい。と言う方が現われてお店のレシピはボクだけのものでしたので材料も一部はボクからしか購入できない仕組みにして権利収入を得ようとします。姑息です。

でも、これでしばらく無収入ではなくなると。

ところがこの目論見は上手くはいきません。ボクがお店を離れると見事に売り上げ急降下。権利収入どころではなく一年間無収入となりお店は無くなります。

【コンサル起業期】

一年間無収入の間何をやったか?大分に居ながらコンサルを始めます。自分が好きな事で起業をしたのだからみんなも好きな事で起業しようと。

ボクは「書く、伝える、教える事」が好きだよーという「好きな起業コンサルタント」としてデビューします。

全国でも都が先駆けだったと思います。好きな事で起業しようぜ!!って。

ですが、いきなり初めてすぐにクライアントさんがいるはずがありません。

その時はブログ集客でやろうと決めていましたのでひたすら一日3記事書いていました。コツコツと、もちろん他の施策も打ちながら。でも中々結果には繋がりません。

その頃2度目の結婚もしておりましたので収入も得なければならない。

メルマガライターやったりアフィリエイトも並行してやったりと必死でした。必死期3です(笑)

なんとかかんとかブログが認知され始めその時「アメブロバブル」が訪れます。一気に有名になりまして月のコンサルフィーが5000円から30000円へと跳ね上がります。そして気が付けば毎月60人のクライアントさんがいました。

またクライアントさんが結果を出してくれるものだから益々人気に(^▽^;)

その時に感じた感覚が

なんとなくこの人上手くいくよね?と思う人は上手くいく

なんとなくその方法は上手くいくよね?と思えば上手くいく

という「なんとなく」の感覚が登場します。

なんだろう、なんだろうと4年くらい疑問でした。

そして、自分自身でも「なんとなく」の感覚が登場します。

ずっと調子が良くてしかも大分にいながら動かずにスカイプでコンサルするものだから経費も掛からずという調子。

誰もが見ても上手くいっていると見えるじゃないですか?でも自分自身このままいくと「なんとなく」ダメになる。という目に見えない不安が付きまといます。

2年ぐらいモヤモヤしながら仕事をするのですがそこにエネルギー入りません。そして次への展開も全く頭に浮かびません。

そんな時に今でも師である「斎藤さちよ」先生とのご縁を頂くのです。

全ての幼少期からの点と点が繋がります。ずっとモヤモヤしてきた事、父の突然の死の意味、自分が生まれる前に約束してきた魂との約束、なぜ狸が憑依したのか?(笑)、なんとなくはなぜ当たるのか?

そして、なぜ組織が合わないのか?学校が嫌いだったのか?なぜ裏切られて傷つくのか?

全てが明らかになりました。点と点が繋がったのです。

天と言う表現が良いのか?宇宙と言うのが良いのか?神様と言うのが良いのか?とにかく「なんとなく」という感覚は繋がっている。上からのメッセージを伝える導管としての役割もあるの。とも。

そして、そこからチャネラー、ヒーラーとしての観点も現実の「好きな事で起業しよう」という事に取り入れていきました。

【経営コンサル期】

「好きな事で起業しよう」もいいのだけど

じゃあ、もっと悩んでいる人がいるのではないか?

なんとかそのサポートが出来るのでないか?

とまたモヤモヤし始めます。

そこで少しづつスライドをして

起業をする

ではなく

既に起業したり会社を経営したりされている方

という現在の姿になりました。

と、ここまで。

ここまで18年掛かっております(^▽^;)そして法人にして16年なんとかかんとか続いております。

でも、自慢できるのは法人で10年やって生き残るのは1%なんだということ。その中16年ですから(笑)如何に下記の4つの力を駆使しているか。


【未来期】

何の為?という「あり方」「志」

今まで経験してきたまたは今も実践している「やり方」

チャネラー、ヒーラーとしての「見えない力」

なんとなくと感じる「未来を読む力」

4つの力が合わさった時始めて経営やビジネス、商売は上手くいくと信じています。点と点が重なりボクに勇気をくれました。これで良いんだと。

そんな中この力を活用してサポートさせて頂いた経営者、起業家、ビジネスパーソンの実績は1200社(名)にも昇ります。(実績とお声はコチラへ)


都のあり方は

経営者が笑顔のになれば多くの影響力を与えると思います。スタッフ、お取引先、家族みんなが笑顔になる。何よりも楽しんでいる父ちゃん母ちゃんの背中を見て楽しそうだなー俺もそうなりたいなーと笑顔になる。すると友達も笑顔。笑顔の輪が広がる。

そしてやがては

世界中が笑顔になるという事です。

ただ、その夢はまだまだ叶いそうもありません。

多くの仲間が必要です。

一連の自己紹介の中でここまで登場するキーワード達

素直、本、魂、トラウマ、覚悟、ベクトル、快、何の為に?、ご縁、失敗、撤退、頭くんと心くん、コツコツと、なんとなく、自分軸等々その時その時に必要だから起こります。タイミングです。必然必要とも言われます。

すべては繋がっています。

体験する事は点と点。

そしてそれが線になり後で分かる事が多いと分かります。

その時その時の事象で悩んだりします。なんで上手くいくはずなのに上手くいかないのだろう。とか。なぜこんなことになるのだろう。と。それには全て原因があります。起こるべくして起こっている。

今大変な事も苦労している事も全て全て体験させられているということ。

それは点なのです。

それは未来へと確実に繋がっている。

だから「大丈夫なんだよ」と伝えたい。その経験は必ず未来に繋がる事なんだよと。

もし、上手くいっていないとしたら都がチューニングします。気持ちが痛いほど分かるだけになんでも聴いてください。寄り添います。

そして、その経験と体験を乗り超えたら

過ぎてしまえば全て楽しいものです。

だから今も楽しめばいいのです。

そういう経営者の仲間を10000人集めたいのです。

俺は世界一の海賊王になる!!と宣言して進むアレです。

志は違えどもたどり着くところは同じの共感、共鳴する10000人とまずは繋がる事。

それが当面の都の目標です。

今まで1200名の方と繋がりましたのであと「8800名」!!

ぜひお仲間へ(*^-^*)

まずはコチラの方からご登録だけでもして頂ければ嬉しいです。

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【追記】

組織や人から言われて続けるのは大嫌いですし出来ません。

でも、自分から「やる」と決めて覚悟を決めたものはやり続けられます(^^♪

メルマガは毎日投稿5000日以上になりました

朝5時起きはもう十数年(2020年からは3時起きw)

朝の5キロランは毎日これももう3年ほど

だからこそ型にはめられることを嫌います。だから型にはめられる嫌さを知っていますから絶対に型にはハメません(笑)

親とは離れて暮らしていますが(車で片道30分位)月に2回は食事します。

独身です(貴重な×2の経験ありw)

メンタルエステスクール認定講師

日本メンタルエステ協会 副理事長


本は2冊出しております。

2013年

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都 章■「未来を読む力」「見えない力」を駆使して経営者、起業家の望む未来へサポートする経営コンサルタント
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