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好きな音楽について書きます。音楽傾向はこのツイッターを見てください。→https://twitter.com/bossacoubana/status/1658070611518947328 聖子についてはこちらでは書きません。

最近の記事

ニューカレドニアは今?大統領ルイ・マプ―の声明から読み解く(2)

(冒頭の画像はニューカレドニア、マレ島の民宿。絶景の見える民宿としてカレンダーの景色になったりで地元では名が知れていたが、少し前にコミューンの人々の神聖で大切な場所で金儲けは許されない、ということで営業が停止となっている。これだからカナクはいつまでも発展できないのだととるか、金で伝統と環境は売らないカナクは立派だと見るか、今回の問題の背後にはこういった問題も絡んでいる。 以下は注16以降の続きです。注1‐15は前稿の記事を参照ください。マプ―大統領の声明は冒頭に全文を置きま

    • ニューカレドニアは今?大統領ルイ・マプ―の声明から読み解く

      (冒頭の画像はニューカレドニア、マレ島のビーチ。人間界の争いとは別に今では尋ねる観光客もほぼないまま、その美しい姿を保っているのだろう) 5月13日、外部のものには、あの”天国に一番近いはずの島”で”何の前触れもなく突然に”勃発したように思われた”暴動”、もうすぐに2カ月が経とうとし、日本での報道も最近は影を潜めてしまったが、問題は依然として深刻なまま放置されているのが現状だ。フランス本国から派遣された警察力と軍事力で、政治示威行動や集会は禁止されているはずだが、未だ独立派

      • 天国に一番近いのに見過ごされてきた島 ~ニューカレドニアのマレ島~

        天国に一番近い島、といえば南太平洋のニューカレドニア。だが、この名前の由来となった故森村桂さんの旅行記によれば、彼女にとって天国に最も近かったのは、日本人観光客のほとんどが主滞在先とするニューカレドニア本島の中心都市、ヌーメアではなくて、離島のひとつ、ウベア島だ。実際、ウベア島に限らず、ニューカレドニア離島の海と空の殺人的(!)と言いたいくらいの青く澄み切った美しさを知れば、なるほど、これこそ”天国に一番近いのだ”と実感できるに違いない。最も本当に天国があるとすれば、そこは人

        • マルクス主義と現象学        チャン・ドゥック・ターオ

          チャン・ドゥック・ターオ(1917-1993, Trần Đức Thảo, 日本ではチャン・デュク・タオと表記されることが多い)はおそらくアジア人として唯一、ポストモダン以前の西洋哲学史に多少ともその痕跡をしるしたベトナムの哲学者。彼がフランスに滞在していた第二次世界大戦直後、現象学とマルクス主義哲学を、単に表面的になぞるのでなく、その現象学に内在する論理に沿うように結び付けようという彼の試みはサルトル、メルローポンティらが華々しく活躍していたフランスの哲学界でも大きな注目

        ニューカレドニアは今?大統領ルイ・マプ―の声明から読み解く(2)

        • ニューカレドニアは今?大統領ルイ・マプ―の声明から読み解く

        • 天国に一番近いのに見過ごされてきた島 ~ニューカレドニアのマレ島~

        • マルクス主義と現象学        チャン・ドゥック・ターオ

          帝国の隔離者(3)

          ”人間に対して故郷の感覚を否定することは、地球において彼らが根をおろすべき深い地点を否定することである”   エペリ・ハウオファ 3.シン”追放と王国” ”ホーム”からの一族をアルジェで迎え入れよう、そんな望みも挫折して世紀をまたいだ1904年11月、”ホーム”からの追放から16年後、ハムギはアルジェリアでの上級裁判所長、つまり植民地アルジェリアのフランス人支配層の最上流家庭の娘であり、当然のことながらフランス貴族の出である、当時19才とマルセル・ラローエと結婚する。この

          帝国の隔離者(3)

          帝国の隔離者(2)

          2.”検疫隔離”された安南王子 ハムギを載せた船は1カ月ほどの航海の後、1889年1月にアルジェに着いた。アルジェのフランス当局は、当初、ひどく驚いたようだ。反抗的、好戦的なフランスにとっての危険分子、と聞いていた男が、実際にはまだ少年の域を出きっているわけでもない小柄な青年で、しかも健康状態も優れず、良くも悪くも、フランスに表立って敵対できるような力強さがとてもあるようには見えなかったからだ。同情心も手伝ってか、といって、警戒心を解くことはできなかったものの、彼らはこの”

          帝国の隔離者(2)

          帝国の隔離者(1)

          フランスに反逆した少年皇帝 (フランス国籍を持つ二人のベトナム人音楽家、Huong ThanhとNguyen Leによるベトナムのトラッドの現代化。恐らくこうした音楽がこれから物語る一人のベトナム人の生涯を飾るのに相応しいと思われる) W.アトキンスの”帝国の追放者たち”(原題:Exiles; Three Island Journeys 追放、三つの島への旅)には19世紀の後半、それぞれの帝国によって”ホームランド”(故郷と訳すべきだろうか?)より遥かに離れた辺境に追放さ

          帝国の隔離者(1)

          導師ハリーは独立琉球の夢を見るか?

          ”ヤマトゥンチュはいちころさ その真南風(マハエ)にゃ勝てぬ” 今や、本土(ヤマトゥ)ではほとんどの人は意識さえしないが、沖縄を琉球と呼ぶ場合、そこには特別のニュアンスが込められている。このかつて沖縄の地に存在した王国に由来する名前は、“沖縄”県という日本の一部として扱われる場合とは違う、独自の文化と人々の意識があることを強調した地域名として使われているのだ。 細野晴臣がYMOでブレイクする以前、70年代半ばに発表した”泰安洋行”という魔訶不思議なアルバムがある。南海の浮

          導師ハリーは独立琉球の夢を見るか?

          カクメイ的紀行としての”天国に最も近い島” ~森村桂さんに捧ぐ~

          天国に一番近い島、と言えばフランスの南太平洋における海外領、ニューカレドニアの観光用の代名詞。その言葉の元はと言えば60年代、日本人にとって、海外旅行がなんとか若者の夢になろうとしつつあった時代の先駆けとなった森村桂のニューカレドニアを舞台としたベストセラー紀行の題名から来ていて、80年代には原田知世主演で映画化もされた。たいていの日本人もこのぐらいは知っているだろう。そして、この”天国に一番近い島”という言葉、ニューカレドニアが今でも属しているフランスの言葉で”l'île

          カクメイ的紀行としての”天国に最も近い島” ~森村桂さんに捧ぐ~

          空が一面に海に見えた日

          目を上げれば、晴れ渡った雲一つない空が視界一杯に拡がり、その下には、やはり陽の光を浴びた真っ青な海が横たわっている。水平線の彼方、海と空の境目はその輝きの中で溶け合いはっきりしない。空遠くに太陽光を銀色に反射させたジェット機が横切ってゆく、まるで遠ざかりゆく海上の船のように。 あなたは麗美を覚えていますか?80年代半ば、ユーミン夫妻のバックアップでデビューした沖縄出身のSSW。80年代ユーミンの傑作、”ノーサイド“”青春のリグレット“”残暑“は元々、麗美のために書かれた曲で

          空が一面に海に見えた日

          沖縄の音楽は自由にしたか?

          沖縄の音楽は自由にしたか? ~坂本龍一と沖縄➁~ ”当時、ネーネーズもまだなくて、沖縄音楽といえば伝統的な民謡がほとんどでした。それをポップスの土俵に持ち込んだのは、細野さんを除けば、たぶん僕が初めてだったと思います…(中略)…でも僕には、博物館の中の民謡としてでなく、色々なものと触れて現在の音楽として変化していくことこそが、生きた音楽としての沖縄音楽に必要なものだ、という考えがありました。そして、自分の音楽がそういう流れにつながる新しい芽を生み出すことに少しは貢献ができた

          沖縄の音楽は自由にしたか?