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マルクス主義と現象学        チャン・ドゥック・ターオ

チャン・ドゥック・ターオ(1917-1993, Trần Đức Thảo, 日本ではチャン・デュク・タオと表記されることが多い)はおそらくアジア人として唯一、ポストモダン以前の西洋哲学史に多少ともその痕跡をしるしたベトナムの哲学者。彼がフランスに滞在していた第二次世界大戦直後、現象学とマルクス主義哲学を、単に表面的になぞるのでなく、その現象学に内在する論理に沿うように結び付けようという彼の試みはサルトル、メルローポンティらが華々しく活躍していたフランスの哲学界でも大きな注目を浴びた。1960年代から70年代の半ばにかけては、日本でも、彼の二つの著作、”現象学と弁証法的唯物論”と”言語と意識の起源”の日本語訳が出版されている。哲学研究と同時に彼は行動する知識人として反フランス植民地運動にも積極的に関わり、その後、ホーチミン主導の抗仏独立戦争に参加をするために戦時下の北部ベトナムに1951年に帰国をしたが、結局はこの決断が彼の運命を暗転させることとなった。念願の独立を果たした後の北ベトナムで、彼は”反党的”(=反ベトナム共産党、当時は労働党)なブルジョワ知識人として激しい批判に曝され、一切の公職から追放、以降、彼は生涯を極度の貧困と社会的孤立、病弊の中で生きることになった。1991年、すぐれない健康状態の治療の為という名目でフランスに渡ることを許されたが、既にその時には彼の精神疾患(=統合失調症と言われる)は重度なものとなっており、1993年に”党に命を狙われている”という被害妄想に苦しみながらパリで亡くなった。ベトナムに送り返された遺骨の引き取り手はいなかったという。

”マルクス主義と現象学”は彼の最初期のもので、マルクス主義と現象学を結び付けようという彼の生涯を通じて追及を続けた哲学的意図の簡潔なラフスケッチといえる。1946年というスターリン存命時に既に当時の現行社会主義に対し、その思想そのもにに、根本的・原理的な点でに厳しい批判を行っていた先見性と、まだ30才ももなっていなかったターオの若々しく、その後の彼に降りかかることになるあまりに悲惨な運命を知る以前の無垢な情熱と知性の輝きを読み取ってもらえたら、と思う。

この論文、1967年に”現代の理論”誌に訳が掲載されたらしいが、もう半世紀以上も前の雑誌、苦労して入手するよりも自分で読むべきと思い立ち、20年ほど前に仕事の合間を縫いながら、仏語辞書に首ったけになって苦心惨憺の末、訳したのがここに掲載したもの。恐らく誤訳も多く、特に論理的におかしな点があれば、それは間違いなく、ターオの原文でなく私のせいである。ごく近い将来、ターオの生涯についてのより詳しい文章を発表したいと思っている。

本文

その一般化(全体主義化)により、人間的人格の否定になる水準においてしか私有財産を廃止しない粗雑なコミュニズムとは逆に、マルクス主義は真の領有となる肯定的(私有財産の)な廃止をもくろむ。人間にとっては、持つという意味において所有することが問題なのではなく、彼固有の存在を彼の(行為の結果としての)作品の中に認めながら、その作品=行為の結果を享受することが問題なのだ。近代技術の発展の恩恵で、“おのおののその能力に応じて、必要に応じておのおのへ”という公式(原理)が適用された“階級無き社会”では、共同体によって創造された富は、個々人にとって、彼ら自身の対象化(客観化)として経験される。すなわち、彼らが、彼ら自身の財を、自身をそこに認めながら、次の言葉が人間意識に許す限りの意味の豊かさをもって享受するのだ。“人間は自身の普遍的存在を、普遍的な方法で、それゆえ全的人間として、自らのものとするのである。世界との関わりのそれぞれの人間的部分、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思考、注視、感情、願望、活動、愛、 いわば、人間個別性のすべての働き(器官)は、そのまま共同体のものであり、同時に、その対象との関連、すなわち、対象に対する行動の中においてはその対象の領有であり、人間的現実の領有である。つまり対象に対して人間が行動するふるまいのあり方が、人間的現実の表明なのだ。この表明は、決意と人間の行動、人間の行動と人間の苦悩と同様に複雑多様だ。というのは人間にとっては意味を持たされた苦悩も人間独自の享受なのだから。”(カール・マルクス“経済・哲学草稿”より)

このテクストはわれわれに俗流唯物論とは反対の位置にある歴史的唯物論の真の意味を与えてくれるかのように思える。現実、それはまさに我々が生産するものであるが、それは、もっぱら物理的と言われる次元のものでなく、全ての人間行動、いわゆる“精神”的活動をも含んだ、そこにおいて、最も一般的な意味においてなのである。“最も美しい音楽も非音楽的な耳には何の意味を持たない。対象でさえない。なぜなら私の対象とは私の存在の力のひとつの表明としてでしか存在しえないからだ” 実在、それは、私たちが生きている意味で満ちた世界であり、まさに我々の生そのものによってのみ意味を持ちえない世界なのであり、そして、自然は生成の働きによって人間化する。マルクスにおける弁証法の唯心論から唯物論への逆転は、ヘーゲル哲学の中で発展させられた精神的内容のすべてを保持していた。我々が知覚するこの世界と精神世界の同一化は、その意味の豊かさを喪失しない。問題は観念を実在に還元することでなく、実在そのものの中に観念の真実を示すことなのだ。

俗流唯物論が存在を純粋に抽象的物質として定義する一方で、歴史的唯物論は、少なくともその根源においては、人間的意味の豊かさとともに、世界が自らをわれわれに与える全体的経験に準拠する。そして、その全体的経験とは、我々が生きる世界の中において、我々に対するものなのだ。今世紀の初頭、フッサールがあの有名な“事象そのものに還れ”のスローガンのもとに若き哲学の俊才たちを集め、現象学派を作った時、彼が帰還したのは、まさにそうした経験であった。明らかに、問題は方程式によって決定される物質的な対象ではなく、我々にとって存在する全て、意味そのものの中で、我々に対しての存在そのものである。形而下の優位性の停止は、その意味化の豊かさの中で、まさに具体的な実存を意識することを許した。批判主義と科学哲学のひからびた抽象化にうんざりしていた若い世代は、この生きられた世界の豊かさのすべてに道を開いたこのスローガンを熱狂的に歓迎したのだ。

実際のところ、領有とは、個人と理論の水準で“疎外”という隠された意味を、素朴な生の中で明らかにする自己意識への帰還により為される。実存主義者的な形式の下では、現象学は依然として行動感覚の呼びかけでしかなく、より正確には、実際の行動への誘導である。緊密に結び付けられた実際への道程の欠如は現象学がブルジョワ哲学であることを示している。それでもなお、生きられた実際の存在の中で、存在がその意味を引き出すことのできる最終的な根源を示すことにより、現象学はブルジョワ階級にとって、真実への最大限の接近の可能性を実現した。経済条件の中で、世界経験の一般的構造の究極においての決定要因を発見するためには、この経験の客観的意味化を自覚することで充分なのだ。

マルクス主義の古典文献は、実際のところ、経済の優位性を現象学にとっては受け入れられない方法で定義している。上部構造はイデオロギー的水準で実在関係を反映した単純な幻想と考えられており、一方で、現象学の独自性とは、まさに人間的実存のすべての意味化作用の価値を正当に評価することにあるのである。 しかし、マルクス主義は単純に、下部構造への最終的な準拠への必要性を肯定しているわけではない。歴史の過程は階級闘争によってでしか理解されず、そこにおいて、弁証法は上部構造の自律の上にその根拠を置く。生産関係は、それが生産力により乗り越えられる時は、変わらねばならない。しかしこの変化はひとつの闘争を強く求め、革命という形の下で実現される。それはまさに、執拗に生き延びようとする強力な上部構造のために、かつての(経済)関係が自らを維持するからであり、一方で、これ(上部構造)がその経済的基盤既にに失っているからだ。上部構造の自律は歴史の理解において、生産諸力の変化とともに基本的なことである。しかし、どのようにして、問題が現実関係の単なる反映でしかないと説明ができるだろう?イデオロギーの抵抗は、いわばひとつの幻想によるものだと言う。しかし、この幻想はどのように自らを保持し、その上、幻想の概念そのものはその真実を保持しないのだろうか?

議論ではなく、実例の検証によって、その解決を図ろうではないか。 マルクスは経済・政治学批判序説の中で、“ギリシャ神話は単にギリシャ芸術の弾倉ではなく、肥沃な土壌である”と述べている。自然と社会関係の概念、それはギリシャ芸術の想像力の基底をなし、出発点となるものだが、それは自動機械や鉄道、蒸気機関車、電信と両立しうるものなのか?ギリシャ芸術はギリシャ神話、いわば民衆的な幻想により芸術的、無意識な方法により既に加工された自然と社会そのものを前提とする。直ちにギリシャ芸術は単純な古代の物質的な生活条件の反映ではないことがわかるだろう。肝要なのは、むしろ自然発生的な美学的行動の上に築き上げられた構築物、それと関係しあっている世界の神話的直観-“民衆的な幻想により、無意識芸術な方法で、既に加工された自然と社会”なのだ。自然発生的な芸術はより高度な芸術の肥沃な大地であり、この自然発生的芸術こそが、全体的経験の契機として、この経験の一般的構造、つまりその経済的構造に条件付けられる。

現象学的な用語の中では、世界の中における生、つまり、この世界での経験は意味化の総体を伴い、その中で、意味が美を認めるのだ。この総体の一般的な様相は明らかに、ある基本的な条件、つまり経済的条件によって定められる。問題は、因果関係による決定ということでは全く無く、単に生きられた経験を、この世界での経験として定義するのに必要な確定である。個別な契機はそれでもなお、実際に生きられた直観としての真実を保持する。そして、文化的産物の真実を基礎付けるのは、その真実なのだ。全く明白なことだが、理解不能なあの世からの啓示を受けた受動的な直観が問題なのではない。そうでなく、この世界においての私たちの生の意味、私たちがごく自然に身を任せる行為の意味、それらを即座に理解する単純な行為、つまり、私たちがひとつの人間的な生を生きるところの唯一の行為が問題なのだ。それこそが、すべての文化的世界の構造物を支える“生の世界”なのである。無意識の芸術的活動の中では、ギリシャ美術の美は、審美的な嗜好については、ギリシャ社会に固有な世界の感じ方に従う。この美的な経験において、美は、ギリシャ人の生活の物質的条件付けられて、それが現れ出ることのできる唯一の仕方で現れ出る。この限界は、この世における実際の経験が問題である限り、その正当性を弱めるのでなく、それを示しているのである。ギリシャ芸術の古代の生産様式との関連は、それゆえ、これらの傑作の固有の価値を抑えるのでなく、むしろ基礎付けるのである。これらの構築物が建てられる下部構造とは、適切にいえば、経済的下部構造ではなく、ギリシャ人の想像力によって自然発生的に構築された美的世界-神話としてのこの世界なのである。この世界は物質的生産の諸関連の反映ではない。それはギリシャ人の生がとる美的な意味のあり方、美的な様式の上に彼らが生きるあり方を表現している。彼らの芸術は彼らの生の意味を表現しているに過ぎない。

経済の優位性は上部構造の真実を抑止するのでなく、生きられた実存の中で、その正統な起源にその真実を送り返すのだ。イデオロギー的な構築物は生産様式に関係するが、それが生産様式を反映するからではない。そんなことは馬鹿げたことだ。そうではなく、単にそれ(イデオロギー的構築物)が、対応するひとつの経験からすべての意味を引き出すからであり、そこでは、“精神的”価値が表出されるのでなく、生きられ、感じられ、個別のすべての経験が、世界の中の人間の経験総体に組み込まれ、その(経験の総体が)現存する経済関連により毎契機ごとに、もっとも一般的な筋道で決定され、そして、その関連の中での変容が、総体としての再編を導く限りにおいて、歴史の動きは最終的には物質的な生の条件に準拠する、と言うのが正しいだろう。技術が新たになるごと、新たな文化が導かれる。それは文化が新たな技術を反映しなくてはならないからではなく、文化は、生の新たな条件が明瞭にした本源的な直観を表現してのみ正当な文化でしかないからである。それでもなお、より以前の経験の上に建設された上部構造が、その真実の想起によって永らえ、それゆえに、あらたな編成替えのためには革命が必要になるのも本当のことだ。

明らかに、このマルクス主義の解釈は、具体的な分析によってしか、そのすべての意味を明らかに得られないだろう。そして、その分析では、それぞれの時代の政治体制、法律、美術、宗教、哲学は、同時代の経済に対応し、人々をそこに導いた存在を構成する、政治的、法的、美的、宗教的、哲学的直観に関連するであろう。引き続いて起こる思想もまた、その歴史的真実の中で理解される。つまり、依然として、われわれが自身をそこで認める限りにおいての、そしてわれわれが真にそうであるかぎりにおいての、さらにはわれわれがいつでもそうであろうと熱望する限りのものであり、とはいえ、全く完全に刷新されたものとしてのわれわれの存在の意味を、人間がその作品の中に固着させることができる特権的な瞬間からこそ、永遠の価値を引き出すことが了解されるのだ。マルクスは指摘している。“難しいのは、ギリシャ美術や叙事詩は、社会的発展のある形に結びついている、ということを理解することでなく、それが、依然として、美的な享受を我々に与えることができ、ある点においては、近寄り難いモデルや規範として考えられることだ。”

“人間は幼年期に立ち戻ることなく、子供には戻れない。しかし、人間は幼年のその純真さを楽しむことはできないだろうか?そして幼年期の誠実さを、より高次元において、再生したいと熱望すべきではないのだろうか?子供の性質の中で、その時代に特有な性質が、その自然な真実の中で、よみがえらないだろうか?なぜ、人間性の社会的黎明期が、最も麗しい開花として、けっして消えることのない永遠の魅力を発揮しないだろうか?(マルクス経済政治批判序説)

我々が原理を超克したその方法の適用は、その正統的な内容においてに、明らかに(マルクス)主義の根源的な見直しを導くだろう。とは言え、その見直しは本源的な着想への帰還によって行われるのだ。ここで、具体的な例によって、どのように、この“再出発”が全体的な転回と同時に起こり得るかを示してみよう。

(以下、約2,600字分を中略)

我々が定義したばかりである階級、つまり多かれ少なかれブルジョワ化した労働者階級と労働者階級化したプチブルについては、帝国主義的民主主義が平時においては比較的高い生活水準を保障したが、危機、つまり戦時においては客観的にも革命的な状況意識を持つこととなる。その結果、近代技術によるありあまる製品を売りさばくために、定期的に破壊の強大な企てに自らを投じることを強いる疎外の体制から解放されるための、社会にとってひとつのチャンスが現れる。しかし、こうした(歴史的)任務の成功は、多かれ少なかれ“理想主義的、観念主義的”社会主義の不条理さへと引き寄せられがちな新たな革命的階層の熱望を満足させられぬ、古典的マルクス主義の不能さのため、危険にさらされてしまう。実践の必要性そのものによって、ひとつの修正が課せられるのだ。

こうした修正、それは背信にではなく、単純に“根源への回帰”によってのものでなくてならない。そして、それは、いまだ非常に一般的なスケッチでしか与えていないものの、生きられた世界において系統的で最初の探求を確立するという利点を持つ、多数の現象学派の研究を利用することができる。所与への絶対的な服従の精神の中で、“精神的”対象の価値を理解することに注意を注ぐので、現象学はそれ(精神的対象の価値)を軽視することなく、その物質的な根源に関連付けを求めることが出来た。ただ、現象学には存在の概念そのものの有効な分析を許すであろう客観的な概念が欠けていた。経済への最終的な関連付けは、人間にこの世での自身の生を引き受けることを許す堅固な基礎を、真の価値を実現する確実性で満たした。実存の投企は自由意志に基づく選択の中でなく、いつでもひとつの認識の基礎にたって決定される。その認識とは、実存の投企はこの上なく明確に、我々が服従すべき義務であり、それゆえ、我々が自らを、我々の生によって引き受けた意味は、我々の生が持っていたものと同じでなくてはならず、そしてそれこそが、まさに我々の果たすべき歴史的任務なのである。人間的現実、世界の中における投企は、状況の中で、何らかの方向への飛躍のための単なる出発点を認めることで、正統な存在に達するのではない。そうでなく、真にそうありたいなら、その意味をひきうけなくてはならない、客観的にそうであるものと同じ存在を認識してのみ、正統な存在に到達し得る。所与とは単純な受動的な決定要因の集合なのではなく、その実現が正統化の概念を実現する義務存在の意味を、現実化された存在において、内在的にもたらすものなのだ。ハイデッガーの荘厳な言葉によって、もし“人間的現実は自ら英雄として選ぶ”のであるなら、客観的な状況の中であらかじめ決定された運命の上を正確に行き、その投企が完全な孤立した投企以外の何ものでもない場合にのみ、その選択は実際上の自由の行動であるに過ぎない。

マルクス的分析の実際上の分析として精髄は、現実の考察から、真実がそこで果たされる弁証法的止揚の要求を引き出したところこそある。こうした要求の仮定の中で、人間は、その永遠性の中で、永遠の刷新の中での変わらぬ同一のもの、永遠の自己実現化を確かにするものとして、瞬間ごとにおのれ自身を確立する存在の現実態として自らを実現する。マルクスは言っている。“私の学説は教条ではなく、行動への案内なのだ。”この革命的思考の実際的な意味化は、思弁の固有な必要性の破棄を要求するものではなく、その現実化そのものを、その正統性の中で求めるのだ。真実の存在はこうした所与存在ではなく、義務存在としての意味、その存在から、自己から自己への呼びかけ‐汝自身であれ‐を行うものなのだ。人間の理論とは、以後、客観的決定要因を抽象的な物質性の中で計算するものでなく、現実化された世界の中で、我々が引き受けなくてはならない存在の意味を発見することなのだ。新たな経済の確立の中だけにあるのない意味、それは人間的現実の概念そのものによって必要とされるものなのだ。実際の存在の契機としての具体的な精神的の働きの現象学的分析は、生産関係の弁証法に普遍的領有の豊かな意味を与えるだろう。

チャン・ドゥック・ターオ Revue International No.2 1946.

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