見出し画像

ニューカレドニアは今?大統領ルイ・マプ―の声明から読み解く

(冒頭の画像はニューカレドニア、マレ島のビーチ。人間界の争いとは別に今では尋ねる観光客もほぼないまま、その美しい姿を保っているのだろう)

5月13日、外部のものには、あの”天国に一番近いはずの島”で”何の前触れもなく突然に”勃発したように思われた”暴動”、もうすぐに2カ月が経とうとし、日本での報道も最近は影を潜めてしまったが、問題は依然として深刻なまま放置されているのが現状だ。フランス本国から派遣された警察力と軍事力で、政治示威行動や集会は禁止されているはずだが、未だ独立派カナクによるバリケードによる道路封鎖はあちこちで起こっており、放火も止まない。現地は不穏な極度の緊張状態に置かれたまま、人々は不安と苛立ち、鬱屈した怒りに満ちた日々を送っている。

一方でフランス本国ではマクロン大統領の突然の国民議会の解散→選挙となり、ニューカレドニア問題は緊急課題から滑り落ち、現地での独立派と反独立派の政治解決に向けた調停も、”暴動”の際の略奪と放火のダメージからの救済も遅遅として進まず、経済への悪影響も、今のままでは深刻化する一方だ。このままでは何かのきっかけで”暴動”が内戦状態、そして経済破綻の最悪の事態を招きかねないのではないか?そんな怖れを多くの人が抱いている。ほぼ一カ月まえの6月8日、ニューカレドニア政府のルイ・マプ大統領(主席?)による声明が発表された。このフランス留学経験を持ち、西欧的知性も身につけたカナクのエリート、かつては正統的社会主義者として最左翼の立場から10代のころからカナク独立運動に関わってきた闘士、そしてベテラン政治家、そしてニューカレドニア初のカナクであり独立派の大統領が発した声明は、日々変わりゆく情勢の中で1カ月を経た今も、ここで起きている事態を理解するための最良の資料だろう。少なくとも、ここにはカナク独立運動を中心的に担ってきたものはどのように理解しているかを知ることができる。ただし、ニューカレドニアの歴史と状況はマプ大統領本文の中で述べるように、極めて複雑、そのため声明文自体も大変に長いものになっている上に、外部の者が予備知識なしでは理解の難しい点がとても多い。そこで、全文を訳出するとともにできるだけ注釈をつけた。といって、原文自体がかなり長いので、注釈まで含めるととても全文を読んでもらえるとは思えないので、注釈部分は全体を5分ほどに分割して、連載ということにします。

ニューカレドニア政府発表のマプ大統領の声明の原文はこちら。→https://gouv.nc/sites/default/files/atoms/files/2024.06.08_discours_pgnc.pdf

2024年6月8日
ニューカレドニア政府大統領(注1)の声明

こんにちわ、そして皆様のご拝聴に感謝します。

まずはじめに、ニューカレドニア政府を代表し、最大限の悲しみとお悔みをお亡くなりになられた8名(注2)の方の、今、喪に服しておられるご遺族にお送りいたします。6人のニューカレドニア人のご遺族、そのうちカナク人の5遺族(カナラからの2家族、マレ島から1家族、ポワンディミエから1家族、パイタから1家族)とカアラ=ゴメン出身のヨーロッパ系カレドニア人の1遺族、そして、我が邦で殉職された2人の警察隊のご遺族に。

特に、私たちからつい先日、去ってしまったパイタ出身の青年に、私は特別な思いを抱いています(註3)。私は彼のご両親を知っていて、彼らはパイタの大首長国(註4)の出身だったのです。

私は、この危機の中で、欠くべからざる医療を受けられず、不慮の死を余儀なくされた多くの人々のことを忘れません。(注5)
さらには、今回の衝突のために多くの市民や兵士が負傷しました(註6)。そして、同様に私の思いは、家や財産に火を放たれ、略奪された家族の方々にも及んでいます。さらに、職を失い、あるいは間接的であれ職を失う危険にさらされている600の企業と7,000人の従業員(註7)に対して、政府の連帯と支援を表明したいと思います。私は、彼らを救援するために動く政府としての意思とその意志を保証します。

5月13日以来、昼夜を問わず、現場で生命や財産を守るために身を捧げ、懸命の努力をしててくれたすべての人々、安寧と物資供給の確保のため、そして、最も孤立し、あるいは貧困しきった人々、老齢や病弱な人々のため救援、物資の供給、そして保護のために動員されたニューカレドニア行政当局、州、村、そして(フランス)国家のひとりひとりの職員のみなさまに、そして命さえ惜しもうとしなかったすべての人々に、感謝と称賛、そして支援を表明したい。私はまた、非常に困難で異常ともいえる状況の中で、私たちの住民を助け、ケアするために働いている医療従事者の方々にも感謝の意を表したいと思います。

また、邦外(注8)に取り残され、この状況に対処するのに苦労しているカレドニア人(注9)のことも、ニューカレドニアから本国への帰還を待っている外国籍のニューカレドニア在住の人々のことも忘れていません。そしてワリス・フツナ諸島とフランス領ポリネシア(註10)に住む、まだ本国に帰ることができていない同胞のこともです。私は彼らの問題を解決すべく、ニューカレドニア政府として力を結集することを保証します。また、帰国しなければならないフランス本国の人々も同様です。(註11)

5月13日の出来事の当初から、わが政府の反応は、犯罪行為は糾弾し、暴力も、そして家族、そして企業や公共インフラのための財産やサービスの破壊も、決して支持されないということでした。慣例上院議長(注12)とともに、私たちは度重なり、宥和と冷静、流通の確保と基本的なサービス、特に保健、医療への住民によるアクセスを容易にするため、道路封鎖、バリケードの解除を求めてまいりました。さまざまな今回の危機への対処を担当するニューカレドニア政府のメンバーは、公的・経済的、そしてフランス国家のパートナーとともにこの事態に対処するため、私たちが行っていることを、住民に周知させ続けるべく、日々、最後まで働き続けました。

また、勇気をもって理性と宥和、そして冷静さを訴えてきたすべての善意の人々に感謝します。この危機的状況、誰もがこれほどの規模で、痛ましいまでの衝撃を持ち、人々の日常生活への甚大なまでの影響を予想することもできなかったほどの危機を、ニューカレドニアは24日間も生き続けています。フランス共和国大統領(注12)がニューカレドニアを5月23日に訪問してから2週間が経とうとしていますが、我が国の責任ある政治指導者たちによる宥和への、そして鎮静化への取り決めへの道筋も、いまだ事態の回復には至っていません。

さらに政治面では、独立運動、特にFLNKS(=カナク民族社会主義解放戦線)(注13)と各政党は、態度を明確にする人がほとんどおらず、それゆえ今回の事態への動きはあまりに慎重であると私は考えます。他方、忠誠派と集合派の反独立派(注14)については、その主張や行動において、常にあれかこれかの扇動による対立激化を得意とし続けており、それが既存の暴力的風土を助長している。



(注15以降の注釈はまた後程、連載でアップします。)

このような背景から、市民は財産、家族、家、企業を守るために、危険なまでに自らの武装組織化を進めてしまっている。こうした不安を背景に、必要物資補給に取り組むための武装自主連帯行動が出現し、その深刻さはかつてないレベルに達しています。こうした状況はもはや耐え難い。というのは、住民、特に内陸部や部落(トリブ)の、近郊の最も困難な地域に住む人々こそが主な被害者なのですから。この1ヶ月間、大多数の労働者は職場に行くことができず、7000人以上の従業員が職場の火災によって職を失いました。状況は非常に緊迫しており、1980年代から都市近郊で暮らしてきた人々の間に築かれた絆は緩んでしまい、その中で、あの人種差別という古い悪魔が再び姿を現しました。我が住民たちの対立が避けられなくなる過程に陥らないためにも、一刻も早くこの状況を打開する必要があります。

私は、冷静さと宥和を呼びかける役割を果たせるすべての個々人、団体、政党、あらゆる宗教、慣習等の勢力に理性と責任を訴えたい。今日、わが邦は、これまで経験したものとは比べるべくもないような性質と規模を持つ、人間的、心理的、家族的、慣習的、経済的、そして社会的影響の重たい代償を支払うのです。

疑いなく、(フランス)国家権力によって一方的に決定された地方選挙制度に関する憲法(改正)は、私たちが長い時間をもって考え、傷を癒やしてきた傷口を再び開きました。このことを確認することは大変な痛恨、悲しみでした。というのは、私たちはこのことは1988年以来の私たちの仕事のやり方に反するものであり、フランス国家の一方的な主導は問題を引き起こすとずっと言い続けてきたのですから。残念ではありますが、現在のこの(暴動の)事態は、我がニューカレドニアが憲法草案作成過程に参加ができなかっただけに、私たちがより正しかったことを証明しています。1984年のルモワン法、1987年のポンス法での地位制定時も、同じような一方的な決定がなされ、それが1984年と1988年の困難な事件を引き起こしました。かくのごとく、 35年経った今でも、私たちは自分たち自身の歴史から全く何も得ていないのです。

およそ1000人が逮捕され、約60人が服役しています。その大多数はカナクであり、刑務所内での困難はさらに大きくなるでしょう。
恐怖が住民を支配し、彼らは身を守るためにバリケードを築きました。学校は閉鎖され、2024年に、否定できない精神的な傷跡をもたらすでしょう。公共施設も、大学、学校なども焼き払われました。
私たち自身の、私たちの間の、そして私たちの邦に対しての信頼は深く傷つきました。わが邦内のすべてのコミュニティの家族の間に、長年に渡って紡がれた絆も影響を受けました。

私は、独立運動家たちに向かって、大きな敬意を払いながら、申し上げたい。皆様がこの邦の改革に取り組むよう、私たちに要請してくださったのです。しかし、今回の事件の結果は、私たちにとって悲しみでしかない巨大な集団的混乱を明白にしてしまいました。この40年間、私たちが苦労して築き上げてきたものすべてが、まるで何物でもなく、全くの無価値であるかのようだ。私は、私たちが長年取り組んで目指した解放が、すでに達成できたことの破壊の上に築かれるとは、ただの一瞬も信じたくない。人命の代償は、そもそもこのような事件を引き起こした目的のために払うには高すぎると私は思っています。しかし、平和的なデモは大きな尊厳と誇りをもって成功しました。死者8人、双方の負傷者数百人、逮捕者1,000人近く、投獄者60人以上という大きな犠牲者を出したことを、今後、誰もが自問し心の中で考えねばなりません。

疑いなく、引き受けるべき責任の大部分は、この邦全体の政治運営にあります。独立派政党の指導者たちは、今後数日間のうちに会合を開き、状況を検討する予定です。このような事態を収拾するために、今回の事件で彼らの実働部隊であるCCATに協力をさせることを、そして情勢を回復させるために事態鎮静化を支持する若者たちとも協力することを約束するよう求めたい。

わが邦はすでになんと多くのものを失い、多くの苦しみを味わっていることでしょう。復興は難しいものとなるでしょう。なぜなら、ニューカレドニアはすでに困難な状況にあったからです。それゆえ、 私たちはとても迅速に仕事に取り掛かり、復興に全力を結集する必要があります。そのために私たちがかけねばならぬ資金と人的資源は莫大なものになるでしょう。 

カレドニア人の青年たちの新たな世代、特にカナクの青年たちが、ニューカレドニアの未来に関する政治的な議論に突如として登場しました。ある意味で、彼らは今、ニューカレドニアの歴史的な転換点を作ったのです。ただし、その代償として、彼らのために意図されていた多くの成果は破壊された。よろしい。この危機は、1988年と1998年の合意以降に実施された公共政策の不十分さを明らかにしたのですから。確かに、彼らは政治等の責任者の刷新を要求している。我々は、責任の行使と国政を行う際には、彼らに耳を傾けなければならない。 しかし、私は、若者たちが謙虚さを示し、両親や年長者たちが築き上げた重い遺産を尊重するよう要請します。実際には、私たちが生きる世界では、その邦とその歴史からは免れず、その複雑さゆえに、多くの自己犠牲と一定の自制が求められているのです。

今回の事件の原因である憲法に関してです。1984年と1988年の事件の後、それらの事件は1988年以来、曲がりなりにも歩んできた道を、協定の調印の背景となった、ニューカレドニアの平和と安定の維持を規定した原則からいかなる形であれ逸脱させてはならないことを私たちに思い起こさせてきました。また同様に、明日のニューカレドニア、その人々、そして人々の共生の建設は、決して選挙の賭けや国や地方の権力を得るために利用されてはならないことを思い起こさせてきました。 

(フランス)国民議会も、中央政府も、フランス共和国大統領も、フランス海外領土のすべての人々と同様に、ニューカレドニアの深部からの、その先住民族の、そしてその共同体の声に耳を傾けることが絶対不可欠であること、人口統計上の無視できる数でないこと、ニューカレドニアの歴史と太平洋における今日の位置づけを考慮すること、こうしたことを理解するのに、このような事件が必要であろうことは実のところ残念なことです。オセアニアでは、蔑視が前向きで創造的な原動力を育む大地になったことはない。
フランス共和国大統領と各国代表は今、この憲法がマティニョン協定とウーディノ協定以降のニューカレドニアの最近の歴史に反していることに同意しなければならない。なぜなら、歴史的に称賛されたこれら2つの協定と同様に、この憲法(改正)は、この国の脱植民地化と解放のプロセスという偉大な目的を追求する全体的なプロジェクトの不可欠な一部でなければならず、そのため、もはや不要なのです。もう一度、言います。これらのふたつの協定以来、選挙民は「ニューカレドニアの人々とその市民権の建設に」尽力してきたのだから、この法律は不要なのです。究極のところ、選挙民とは、解放と脱植民地化のプロセスに奉仕する公共政策を提案することを第一の使命とする、ルーツに根ざした地方議員の選挙に影響を与えるため、極めて重要なのです。2024年5月の事件は、選挙民の件をこの政治的次元に引き戻したというメリットがありました。そして、この憲法は、私に言わせて頂くのであれば、継続することは許されません。フランス共和国大統領は、危機を終結させるため、2024年6月末にこの邦の情勢の進展を総括するための面談を設定したので、2024年末に地方選挙が実施される可能性は低く、予定されていたスケジュールはもはや実現不能です。

加えて、国内外の当局・機関がニューカレドニアの歴史に内在する課題や問題の厳しさへの認識を取り戻したことにも注目したい。こうしたことが、国家レベルではこの法律(=改正憲法)への支持を複雑なものにしている。
ある意味、これらの出来事はこの法律の終焉を告げるものです。
フランス共和国大統領はヌメアで、この問題を強行するつもりはないと述べたことで、明確ではないにせよ、ある意味で、この法律の弔いの、つまりその緩慢な放棄の鐘を鳴らしたのです。この出来事がフランス本国、フランス海外県・海外地域や太平洋地域、そして世界中で受けた反響を鑑みると、フランス共和国大統領がいまだこの憲法法案を提出したがっているとは私には考えにくい。それだからこそ私は、CCATの責任者たち、その地方支部、そしてこの邦の若者たちに対し、封鎖と遮断を解除し、あらゆる暴力行為を止めるよう求めているのです。 たとえ彼らの力の動員によって、現行の社会が直面している問題の厳しさと、その解決が求める社会の関心が高まったとしてもです。ニューカレドニアの慣習上院と私自身が話し合ってきた8つの慣習評議会の議長たちにも、私は同じことを訴えました。 

しかし、それだけでは十分ではない。私たちは、わが邦の制度的な将来について全体的な合意に達するために、再建に向けた作業に取り掛かり、議論を始める必要がある。 これを達成するためには、新たに信頼を見出し、国内を安定させ、そして将来について対話できる環境を再び再構築させねばならない。そのためには 
- フランス共和国大統領が、私たちに多大な損害をもたらしたこの法案の計画の撤回を支持し、それに代わり、マティニョン‐ウーディノ協定、そしてヌーメア協定時に実現されたような、わが邦の将来に関する合意に関連する憲法に置き換える意向をよりはっきりと明言することが重要である。
- どのような立場であれ司法は、暴力と法の違反の加害者は公正かつ透明性をもって処遇し、特に横行する武装集団の活動を逮捕し、終止符を打つよう努めなければならない。
‐ 治安部隊は、その介入において、より分別を発揮しなければならない。
‐ 政治責任者たちは、将来について掘り下げた断固たる議論を行い、短期的な選挙目当ての策略から脱却しなければならない。

今回の危機によって生じた必要事と要求の負担については、危機が始まって以来、ニューカレドニア政府は、国、地方自治体、社会的パートナーとともに、協力しあって取り組んできました。 
本島最北部までとロイヤリティ諸島部における食糧、医療、燃料などの必要物資の供給に可能な限り応えるために、すでに緊急行動と対策がとられています。しかし、これだけでは全く十分とはいえない。交通手段も情報伝達も住民のケアという面では依然として困難なままであり、学校の新学期を適切にスタートさせるための条件を整える必要があります。
 
だから私はここで繰り返し要求します。通行・交通の遮断や障害物は撤去しなさい。

さらに、危機の影響に関する初期評価により、現在、生活上の必要と要求の度合と種類の特定ができるようになっています。既にお聞きと思いますが、フランス政府からの緊急代表団、同様に財政的援助についての経済省からの代表団との話し合いが行われています。私たちは、フランス政府が6月5日付の声明、必要な半分に限って資金援助に参加するという発表を受け入れました。これはもちろん ニューカレドニアの財政状況を考慮すれば、全く不十分と言わざるを得ません。

私は、この邦を危機から脱却させ、経済を再出発させ、未来を見通すための解決策を見出すという、私たちの全面的な献身と決意を各企業と従業員の方々に、皆様の側に立つことで、保証したいと思います。そして、各会社幹部が捧げたすべての、特に、特にSLNに対しての操業再開への努力とプロニー・リソーシズの段階的な操業立て直しの努力に感謝しています。
私はフランス共和国大統領に手紙を書き、復興計画のより正確で精密な策定を待つ間、3ヶ月間の必須・必要な資金確保の為の国家支援を要請しました。これらの資金的要求は、7,000人を超える人々の部分失業、つまり時短労働や、税の損失、企業活動の維持支援措置に関するものです。

私たちは、ニューカレドニアが利用できるさまざまな選択肢を探っています。特に、ニューカレドニアに駐在する友好国の外交官に集まってもらい、状況を説明しました。私は、オーストラリア、ニュージーランド、バヌアツ、日本、インドネシア、太平洋共同体(SPC)、欧州連合に復興支援を求めました。また、ニューカレドニアとの連帯のために、ウォリス・フツナ準州が2,000万CFPフランの異例で特別な寄付をしてくれたことに感謝します。

この危機は、ニューカレドニアの肉体と魂に触れています。この邦の傷を癒し、(ひとつの)運命を共にする共同体を構築し続けるために、ニューカレドニア政府はひたすら平和を回復し、自らに立ち返り、過去を乗り越えるために、その全力を尽くしています。平穏を取り戻すため、慣習や宗教の責任者、そしてこのような出来事に前向きな影響を与えることができるすべての人々に呼びかけます。ニューカレドニア政府として、ニューカレドニアの全自治体が危機管理のために連帯して行動して頂きたい。私はまた、政治の責任者たちに、この危機の教訓を学び、そして子どもたちのための希望に満ちた新たな歴史の1ページを、対話と議論を通じて刻むことができるようにニューカレドニアを導くようにお願いしたい。フランス国家とともに、私たちは、フランスとニューカレドニア、フランスとカナク、そして、フランス、カナク、その他の民族共同体との間にある、全体の歴史的な結びつきを、それが不快なものであっても処理する義務を負わねばならないのです。私たちは、ニューカレドニアを植民地支配体制の束縛、未だにニューカレドニアとフランス本国で今回の”出来事”が語られ、経験されたような束縛から解き放つ新たな絆を再構築する必要がある。

最後に、私はフランス共和国大統領に対し、この憲法(改正)作業の継続を完全に再考するようあえて強く申し上げたい。調停団が開始した活動を十分に意味のあるものにするには、新たな信頼の風土の中で発展・成長させなければならない。それこそが、ューカレドニアがその傷を癒し、過去30年間の平和維持を司ってきた精神が、本来のあるべき姿を取り戻すことで、ニューカレドニア自らを再建することができるのです。
そうして、昨日、今日と命を落としたすべての人々に敬意を表し、ジャン=マリー・チバウが大切にしていた知性の投企と、ジャック・ラフルールとの握手を称えたいと思います。
ありがとうございました。

注1: まず、多くの日本人はフランス領のニューカレドニアに大統領?ということでまず驚くのではなかろうか。ニューカレドニアはフランス特別領ということで、独立国であり、しかし最終的にはフランス領という不可思議な形態をとっており、議会はもちろん、内閣も、そして大統領もいるのだ。大統領の仏語・英語での表現は”president”で、”主席”、”首班”という訳し方もあるようだが、中身は同じでニューカレドニア政府の行政責任者のこと。と言っても住民による直接選挙の大統領選があるのでなく、内閣はニューカレドニア議会での有力な各政党から大臣が選ばれ、大統領は通常はもっとも多数の政党から選ばれる。一方でニューカレドニアはフランス領ということで、フランス大統領から指名される高等弁務官(High Committioner)が同時に最高権力者として存在する。通常は大統領を立てて、表立つことはあまりないが、ニューカレドニアでは司法、外交関係、通貨発行、防衛、治安と法の執行はフランスが最終的な決定権を持っており、特に治安と防衛については高等弁務官名で行われる事が多い。
大統領制度は、カナクの独立闘争の平和協定ともいえる1988年のヌーメア協定によって作られ、既に10人が勤めているが、ルイ・マプ大統領以前の9人はすべて中道から右派の程度の差はあれ反独立派だが、彼が歴代始まって以来の初の独立派であり、カナク人大統領だ。独立派は、2019年のニューカレドニア議会でギリギリ過半数超えとなったが、内輪もめもあり大統領を選出できず、反独立派の抵抗で散々てこずりながらも、2021年にやっと念願の独立派の初の大統領として選出できたのが、ルイ・マプ大統領だった。
1958年生まれのニューカレドニア本島(グランテール島)の南部州の出身で既に10代のころからカナク独立運動に参加、その後、フランス本国の大学で人文地理学を学んだ。独立運動の中では、深く社会主義に影響を受けていたため、長く最左派と考えられていたグループに属していたが、ニューカレドニア南部のパイタの地方議員を経てニューカレドニア議会議員となった。政治だけでなく、ニューカレドニア政府のカナクへの土地返還事業、有力地元ニッケル企業の幹部としての経営参加経験を持ち、実務に通じた経験豊かな政治家というだけでなく、演説の文章を読んでもわかる通り、西欧的な思考にも深く馴染んだ、バランス感覚に優れたインテリでもあることは間違いない。

注2: 今回の”暴動”による死者は当初、7人と言われたが、この声明の発表される前には8人となり、未だに鎮静化ができずに、断続的に”暴動”が続く現在は9名になっている。カナラ、マレ島、ポワンディミエ、パイタ、カアラ=ゴメンとは犠牲者の出身地で、ロイヤリティ諸島州のマレ島以外はすべて本島であるグランテール島だが、カナクの場合、必ずしも生まれ故郷ということでなく、生まれはヌーメアあるいはその近郊でも両親、先祖の出身地であるケースも多いと思う。カナクは都市在住でも親族、特に直系の男系の親族関係での繋がりを大切にし、頻繁に”故郷”との出入りを繰り返すケースが非常に多いからだ。こうした”故郷”は通常、トリビュと言われるほぼカナクだけで占められる伝統的村落共同体で、住民はその地で代々継承されてきた慣習的文化体系の中で生きており、ヨーロッパ系はもちろん、他のコミュニティの人々も出入りすることはあまりない。カアラ・ゴメンは本当の北部にあり、例外的にヨーロッパ系の人口が20%ほどを占めるが、それはニューカレドニアに古くから移民し、植民地制度の中でカナクの土地を奪い、開拓して牧場や農場経営、ここ50年ほどはニッケル鉱山の開発にも携わってきたヨーロッパ系の子孫が多いからだ。それだけにしばしばカナクとの相互の憎悪を伴う暴力的な対立が80年代には数多く北部では発生したが、今回、再びその悲劇が繰り返されてしまった。
なお、後述される”暴動”の影響による間接的な犠牲者を除いた、直接的な暴力抗争による死者は8名とか9名に留まるものでなく、もっとはるかに多いという噂がカナクの間には根強く流れている。例えば、今回の件について、サッカーの元フランス代表でニューカレドニア出身のクリスチャン・カランブー選手が彼の親族が二人殺されたと述べたことが報道されたが、彼自身はロイヤリティ諸島のリフー島の出身。彼の元妻はヨーロッパ系、現在の妻はイエメン系でありカナクでもニューカレドニア人でもない。とすればカランブー選手の親族に違いなく、しかし、公式の犠牲者にリフー島出身者はいないが、これは何を意味しているのだろうか?素直に考えれば、公式発表だけでない犠牲者がカナク側にまだいる、という以外にはないのだが・・・。

注3: パイタは今やヌーメア近郊で、ここ四半世紀で人口が3倍にもなり、国際空港のトゥンタータもここにあるが、カナクのトリブも未だに残っており、この地域のカナクの伝統的首長の息子が6月7日(声明の前日)に憲兵隊に撃ち殺された。マプの出身地にパイタは近接していたためか、彼はここの地方議員を10年近くにわたり勤め上げ、そこで被害者の両親等とも面識を持っていたのだろう。

注4:カナクの社会は元々、クラン(=親族)と呼ばれる父系の血縁社会を中心になりたっていて、いくつかのクランからなるフランス語でシェフ(=首長)と呼ばれるリーダーに率いられる土地に深く根付いた共同体を作り、さらにその共同体がより大きな、クランのリーダーよりさらに上位に位置するグランシェフ(=大首長)に率いられる共同体がを構成する。これが大首長国(=grand chefferie)で、この中ではフランスの制度とは別なカナクの伝統的・歴史的システム(=慣習的制度と呼ばれる)による自治が認められている。

注5:5月16日の緊急事態宣言を待つまでもなく、”暴動”が激化した5月13日以後は一般市民は事実上、外出が困難になってしまった。バリケードによる道路封鎖や放火、略奪が激しく、通行の安全が保証されなくなってしまったからだ。5月13日には流産しかかっていた妊婦が病院への搬送がなされずに死亡、15日には重度糖尿病の男性が透析を受けられず死亡、といったことが報道された。ヌーメア市の葬儀センターの記録によると5月14日から28日の間に、平常時の1か月分に迫る”自然死”の死者数が確認された。正常な医療・保健サービスが機能しない影響が出ていると思われる。

注6: 28日までに独立派のデモ隊、主に非カナクによる放火や略奪を恐れる自警団そして警官・憲兵隊の双方で300名以上の負傷者がでて、その中で警官・憲兵隊の負傷者は134名、それからほぼ1カ月が経とうとしているが未だに衝突は止まっていない。

注7:ニューカレドニアの人口が280,000人程度、日本の0.2%を僅かに上回る程度、つまり単純化すれば日本で300万人以上が突然、職を失うに近い。6月3日のニューカレドニア商工会議所の発表では、”すでに5,000人が職を失い、直接・間接的にはその数は7,000人になるだろう。部分的な失業者も15,000人に上る”と発表した。大統領声明はこの数を基にしていると思われる。その後も原状復帰の歩みは遅々として進んでいない。6月7日の報道によると、200軒以上の家屋、900軒以上の企業、600台以上の車両が燃やされ、あるいは破壊される被害にあっている。経済的な損失は5月16日の時点で既に2億ユーロとされていたが、6月3日の商工会議所の発表では10億ユーロを突破している。ル・モンド紙による6月28日付け記事ではこの額は15億ユーロ以上とさらに膨らんでいる。全ニューカレドニア人ひとりあたり900,000円を超える損失といったら理解しやすいだろうか。

注8: 声明文では通常、自分の”国”という部分を仏語のpays、英語ならcountoryという言葉を使っているが、もちろん彼の立場としてはこれはフランスではない。あくまでニューカレドニアに限った”国”である。といってニューカレドニアは独立した国ではないので、ここでは“邦”という言葉を使う。制度上は国とは言えなくも、日本語でいれば自分たちの”郷土”というニュアンスだろうか。

注9: ニューカレドニアは多人種複合社会だ。人口の4割強のカナク、そして2割5分ほどのヨーロッパ系以外にも1割ほどの太平洋の仏領から来たポリネシア系の人、そしてベトナム、ジャワ、中国等のアジア系、そしてそれらの混血からなる。(なお日系は先祖に日本人がいることを知っていても、実際の民族集団と混血している場合がほとんど)カレドニア人とは、通常はニューカレドニアの非カナクを指す場合が多いが、場合によっては、より狭義のニューカレドニアのヨーロッパ系を指す場合もしばしばある。またその民族的な出自を考えず、すべてのニューカレドニア邦民(こくみん)という意味の時もある。マプ大統領がここで使っているのはどの意味でだろうか?なお、ヨーロッパ系を指す言葉に、カルドッシュという言葉もある。ヨーロッパ系にも比較的近年に移り住んだものもいれば、既に数世代を経たものもいて、当初のヨーロッパ系は開拓移民として牧畜や農業を職業とするものが多かった。彼らはニューカレドニアのエリートとしての新しいヨーロッパ系移民からは差別を受け、ヨーロッパ系をさすカルドッシュには田舎者、怠け者という侮蔑のニュアンスが付いている場合があり、近年はあまり使われないというが、マプ大統領は冒頭のヨーロッパ系の犠牲者をカルドッシュと呼んでいる。

注10: 実はニューカレドニアの人口の約10%(を少々、欠ける程度)が同じフランス領の南太平洋にあるワリス・フツナ(英語ではウォリス・フツナ)と仏領ポリネシアからの移民だ。ワリス・フツナはニューカレドニアの隣国、ヴァヌアツ、さらにはフィジーを飛び越えて、さらにに西方、あとひと息でサモア、というところにある。住民はニューカレドニアのメラネシア系とは違うポリネシア系だが、実は遥か以前、ヨーロッパ人の渡来以前よりニューカレドニアに移民(あるいは漂着?)し、ニューカレドニアのメラネシア人と人種的にも文化的にも混血をしていて、その影響は特にロイヤリティ諸島やグランテール島の東岸に明白にみられる。元祖”天国に一番近い島”、ウベア島(Ouvea)の名前は、ここに移住してきたワリス人が故郷、ウベア島(Uvea)の名から名付けたもので、ウベア島では今でも、ニューカレドニアで28あると言われるカナクの言語のうち、唯一のポリネシア系言語であるファガ・ウベア語が話されている。(ただし、話者は全島民の⅓ほど)
ただし、マプ大統領が言及しているのは、こうしたカナクと同化し、その歴史・文化の一部となったポリネシア人たちでなく、きわめて最近、遅くとも1960年代のニューカレドニアのニッケルブーム以後に故郷の島を離れてニューカレドニアに職を求めて移住してきたポリネシア人たちのことだ。実はフランス領となった太平洋の島々、世界的観光地となったタヒチ、モーレアなど一部を除けばほとんど産業はなく、島民の多くは島外に出稼ぎ移住に出ていて、ワリス・フツナなどはこの25年ほどの間に、その人口の3割近くを失い(その結果、ニューカレドニアのワリス・フツナ人の人口は故郷の島々の2倍近くになっている)、その主要な労働力吸収先のひとつがニューカレドニアだったのである。悲劇的なのは、こうした近年に移住したワリス・フツナ人は、1980年代のカナク独立運動の高揚時代にはカナクとの文化的近縁性にもかかわらず、反独立派のヨーロッパ系の傭兵、用心棒としてカナクとの抗争の最前線に立たされ、カナクとの関係がひどく悪化したことだ。彼らの多くはヌーメア近郊に住み、都市下層民としてカナクと競合することが多いこともあるだろうが、彼らの多くはカナクに敵対する反独立派と考えられている。

注11: さて、この段落全体の要旨だが、部外者が素直に読めば、”暴動”発生時にたまたまニューカレドニアに旅行等で一時滞在していたため、空港閉鎖で帰国ができなくなった海外の人々を励まし、帰国を実現させるべく最善の努力をします、ということだが、今回の問題、発端は1998年以降にニューカレドニアに居住を始め、その期間が既に10年を超えているにも関わらず、依然としてニューカレドニアでの地方選挙権が与えられない人々(=独立派の理屈では”ニューカレドニア市民権のない外国籍”)への選挙権を認めるかどうか、ということだったことを思い出して頂きたい。読みようによっては、この部分は、こうした”ニューカレドニア市民権の無い外国籍”の方は、ニューカレドニア政府としても努力しますので、是非とも、無事、ご帰国ください、と理解できるのだ。
既にニューカレドニア在住が10年を超える本来なら選挙権を持てるべき”潜在有権者”が2023年時点で43,000人(=この時点での有権者数の1/4程度にあたる)もいるのになんといくらカナクの政治的影響力が低下するとはいえ、何と薄情なと思われるかもしれない。
しかし、ワリス・フツナ人への選挙権付与は注8で説明した状況を考えれば、カナクとしては彼らへの選挙権付与など考えられないだろう。もっとも極端な過疎地になってしまった彼らの故郷の状態を考えれば、故郷帰還など選択肢として考えられないはずなのだが。
そして実はフランス本国からの移住者にも裏がある。フランス本国は、教師、医師、行政事務員、そして本国援助の事業の為のスタッフや場合によっては労働者も本国より、ニューカレドニアに大量に派遣しているが、彼らの待遇は本国で同種の職につくよりも遥かに優遇されていて、退職金も恵まれているのだ。当然、彼らの多くはニューカレドニアに長期滞在を望むし、そのまま居つくものも多い。もちろん、彼らはそうした特別待遇が無くなるフランスからの独立など望まないし、カナクにしてみれば、自分たちはいつまでも特権と地位を持った本国からの移住者の下に置かれ、彼らの為に本来自分たちが占めるべき地位は奪われたまま、人材も育たないという不満が鬱積している。フランスとしては毎年、何十年にもわたり多額の財政援助をニューカレドニアに供与しているが、こうした状況をカナクの独立運動家の英雄のひとりである、N.ネスリーヌは次のように批判している。”多くの資金が行政や教育のための教師の雇用に使われ、豊かさは創出されていない。これまでの開発は何をもたらしたのか?そのお金はどこにいってしまったのか?”

注12: ニューカレドニア議会はヌーメア合意以後、二院制となり、ニューカレドニア市民権を持つ人々から直接選ばれる議会(=下院にあたる)とともに、カナクの”慣習的権利の守護人”としての慣習上院が存在する。ニューカレドニア全土をカナクにとっての言語や文化を目安に8つの慣習地域圏に分け、それぞれの慣習圏の中からシェフやグラン・シェフなどの有力者から互選で上院議員を選ぶ。ただし実際の権限については独立派と反独立派の間で綱引きが行われるが、現段階では下院の諮問機関に留まっている。正直に告白すれば、いくら調べても実態はよくわからないのだが、ニューカレドニアでは最終権限は持たせないにせよ、西欧的法・統治体系とは別にカナク用のものを別個に認め、慣習下院には、イメージ的には日本の天皇とかイギリスの君主のような厳密な法体系とは別個のカナクの集団的な伝統的権威を、あくまでカナク内部のものとして持たせて、それでニューカレドニアの体制を安定させようとしたのではなかろうか。ただ、この声明文にあるように、現状、この慣習上院にそうした権威と実質的な力があるのかは全く疑問だ。今回の”暴動”ではカナク独立派の行動は全体としてみれば、全く誰がリーダーで、組織だって行われたものかどうかはまるで見えてこず、ただアナーキーなだけのように見えてしまう。

注13:この声明ではエマニュエル・マクロンの個人名は一度も出されず、ただ敬称も省かれたフランス共和国大統領とのみ書かれている。ここにマプ大統領個人の、そして独立派カナクのマクロン大統領への強い拒否感と不信感があるのは間違いないだろう。

注14: FLINKS( 仏語でFront de libération nationale kanak et socialiste, カナク社会主義国民解放戦線と訳されることが多い)。ニューカレドニアのカナク独立運動の中心の政治運動の名門。この運動の初代主席で、1980年代の内戦寸前の危機の時代に反独立派を巻き込んで、フランスとのマティニョン合意を勝ち取り、その後の30年の平和と和解の時代を作り出したことから、独立派を超えたニューカレドニアの政治的英雄となったジャン・マリー・チバウ(南アのネルソン・マンデラにあたるか?)の名声と、その運動自体の長期に渡る活動で、最も力も権威もある政治運動の名門だが、実際には様々なグループの寄せ集めで、なかなかまとまった行動がとれず、しばしば一部のグループが明らかに利権、あるいは政治ポストの為に反独立派との取引を平気で行ったりで、批判も反独立派だけでなく、カナク内部からも根強い。私は、あるニューカレドニア在住のフランス人に、”実は日本の自民党と体質が近くて、西欧人であるフランス人には理解不能なのだが、日本人には逆によくわかるかもよ”などと冗談めかして言われたことがある。今回の”暴動”に関しても、”暴動”を扇動したと言われるCCCT(後程、詳細を説明)はこの運動のグループ分派のひとつだが、彼らに対してのはっきりした指導も行わず、いつまでたってもFLNKSとしての見解も今後の見通しも打ち出せず、これがマプ大統領の批判に繋がったと思われる。もっともマプ大統領自身がFLNKSのグループの有力な一員であるUNI (独立のための邦民連合)のメンバーなのだからややこしい。

注15:忠誠派、集合派、どちらも反独立派の有力な政治グループだ。ニューカレドニアの反独立派も、独立派と同じように政党がいくつもあって、その間の離散集合も激しくてこれまたわかりにくい。ここで忠誠派と訳したLes Loyalistsももともとは幾つかの党派が2021年に独立を巡っての住民投票時に集まって、独立にノーを呼びかけるために作られたもので、現在の反独立派の最大勢力だ。集合派はLe Rassemblementといって、元々は独立運動の歴史の中で、常に独立派のFLINKSと対抗して反独立運動を担ってきたRPCR (Ressemblement pour Caledonie dans Republic、共和国の中のカレドニアのための集合)の流れを組む政党。一般的には反独立派はヨーロッパ系移民の政党と思われがちで、確かにヨーロッパ系が多いが、それ以外の非カナク、混血とかアジア系、ワリス・フツリナやタヒチなどのポリネシア系の移民、そして少数だが、カナクも有力メンバーもいて、多分、政治的にヨーロッパ系の政党と見られることを否定したいからだろうが、幹部や彼らが選ぶニューカレドニア政府首脳の中には非ヨーロッパ系の出自を持つ人がしばしば入る。政治的には伝統的に中道から右派と見られているが、独立反対、フランスとの分離反対という点を除けば、その主張はほぼリベラルという人もなかにはいて、これまた多様である。ただ、カナク人口の比率が高い本島北部やロイヤリティ諸島での支持は弱く、ほとんどの非カナクが集中する本島南部、特にヌーメアとその近郊(両方を合わせてグラン・ヌーメアと呼ぶが、そこにニューカレドニアの人口の約28万人のうち約18万人が集中し、そこでカナクは人口の1/4ほど)が支持基盤である。つまり独立派と反独立派の対立は、経済力と人口が集中している本島南部都市地域と、それ以外の経済的には遅れた他地域との格差と巡る争い、という側面もある。
今回の”暴動”前のニューカレドニアの所得水準は太平洋地域の島嶼群の中ではオーストラリアとハワイを除けばニュージーランドを凌ぐ高さを持ち、一説にはその一人当たりの所得は既に最近の円安の日本を超えているとも言われる(そりゃ、日本の観光客が物価が高いと驚くのは当然なわけだ)。そんな高い生活水準を維持できたのは、ニッケルや観光ではなく、実は圧倒的にフランス政府の直接・間接の財政援助、経済援助のお陰なのだ。そしてその恩恵を一番に享受できたのは、もちろん、こうしたヌーメア、及びヌーメア近郊の、それもヨーロッパ系の人々で、非ヨーロッパ系の非カナックの人々もそうしたフランス政府援助で潤ったヌーメア及び近郊の経済の中で生活を維持してきたといってよい。一方で、それ以外の地域に住むカナクはもちろん、ヌーメア近郊に住むカナク(既にカナク総人口の半数近くを占める)は、非カナクに比べてはるかに経済的、社会的、政治的に恩恵を受けられていない、という意識が強く、独立派カナクと反独立派非カナクの社会的断絶の根源になっている。反独立派にとってはフランスとの政治的・経済的絆の維持は絶対であり、カナクにしてもそれに依存して、甘えているだけと主張し、カナク独立派は、フランスの政策は結局はカナクを疎外し、二級市民として植民地化をされているだけ、との双方の主張はお互いが全く相容れないように意識されている。

反独立派は2021年のパンデミック下での第三回独立を巡る住民投票をカナクの反対を押し切ってフランス政府と共に強行、その結果をもとにニューカレドニアの独立否定→フランス帰属は完全決定事項として、その後もすぐにニューカレドニア市民権の凍結解除をフランス政府に強力に働きかけた。そしてそれがフランス政府で実行に移されようとする、”暴動”直前の4月15日にはヌーメアで選挙権の拡大を巡るフランス憲法の改正を支持する反独立派(上記の2政党が主催)と反対する独立派のデモが同時に行われ、高等弁務官発表によれば双方合わせてニューカレドニア全人口の15%にあたる40,000人が参加し、双方の対立が先鋭化していた。マプ大統領のこのくだりでの言及はこうした反独立派の一連の政治行動を指すものと思われる。

注16から注23までを描いた第二弾はこちら→








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?