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私の両親は学校の先生で、幼い頃から忙しかった。
生後半年から保育園に預けられ、毎日必死で泣いて抵抗して保育園に行きたくないと母に訴えていたのを今でも覚えてる。それでも母は無理矢理私を保育園に預けた。幼かった私に抵抗する術はなかった。

その保育園には赤ちゃんがたくさんいて、保育士さんたちは慌ただしく働いて、泣いてばかりの私をめんどくさそうに扱っていた。
私はその保育園が大っ嫌いだった。

しばらくすると幼稚園に上がり、おばあちゃんが毎日お迎えに来てくれた。毎日おばあちゃんと歩いて帰る、その帰り道は思い出に溢れていて今でも鮮明に覚えてる。大嫌いな保育園に行かなくて良くなって、元気いっぱいに通っていたあの頃。思えば、幼稚園が生涯の学校生活で一番楽しかった。

その後小学校に上がり、無口な子どもながらも小学4年生までは普通に学校に通っていた。小学校4年生くらいから、クラスの女の子たちの間でグループ分けが始まり、はぶかれたり、陰口言われたりすることが始まった。

今までみんなと仲良く遊んでいたのに、友達の悪口を言う子が出てきて私の心は恐怖に支配された。私も悪口を言われてるのがたまらなく怖かった。親友と呼べる友達はいたのに、たった一人の女の子から悪口を言われてるのが怖くて学校がイヤになってしまった。なんとかその子から好かれようと頑張ったけど、結局学校に行くのが怖くなった。

幼い頃から、お母さんから罵詈雑言を浴びせられてきた私は、極端に自分に自信がなかった。自分の意見がなかった。自分の意思を表したらお母さんから怒られてきた。「静かにしてなさい。黙ってなさい」

悪口を言われる学校に行く気力なんて残ってなかった。他のみんなは私のことを好きでいてくれたけど、たった一人の女の子から嫌われたくらいで私の心は折れてしまった。それくらい弱かった。怖くて怖くてしょうがなかった。誰にも心を開けず、閉ざしてしまった。

そのまま小学5年生になって、私は学校に行かなくなった。最初はお母さんに引きずられて連れて行かれようとしたけど、保育園の時と違って、その時はもう抵抗できるようになっていた。毎朝、全力で抵抗して学校に行くのを拒んだ。

お母さんに引きずられながら大泣きした。「学校には行かなきゃいけないの」と体を引きずるお母さん。泣いてわめいて抵抗した。

「そんなに泣いたら目が腫れて学校行けなくなるじゃない」

大人になって泣くたびに、今でも思い出すお母さんの言葉。人目を気にするお母さんは、私が泣いて目が腫れたら学校に行けなくなると、何度も叱った。私は泣き続けた。

「そんなに泣いたらご近所さんから虐待してると思われるじゃない」

お母さんは世間体しか気にしてない人だった。泣いてる私の心に寄り添ってることなんてしてくれなかった。

「学校イヤだったら行かなくていいよ。お母さんも仕事休んで一緒にいるから。どっか遊びに行こう?」

本当はそう言ってほしかった。本当は仕事辞めて、私と一緒にいてほしかった。でも私のお母さんは仕事を辞める人じゃなかった。

家に私を一人で置いて、そこから私の一人の生活が始まった。誰もいなくなった家は悠々自適だった。好きなだけテレビを見て、本を読んで、マンガを読んで、昼寝して、私の楽園だった。そのうちマンガを描き始めて、将来の夢は漫画家になることだった。

学校に行かなかったあの頃、毎日楽しかったなぁ・・・
自分の天国だった。私だけの空間だった。

その後も、学校に行かない私を母は責め続け、「小学校も行かないなら人生終わってる。一生家にいることになる。仕事なんて見つからない」と罵詈雑言を吐き続けた。

ずっとずっと、私はお母さんから怒られ続けた。

学校の先生だったお母さんは、「学校の先生の子どもが学校に行かないなんて恥ずかしい」と思っていた。お母さんは家に帰ってきても学校の先生だった。私は家に居場所なんてなかった。ずっと先生から怒られてるんだもん。

大人になった今でも、私はお母さんが怖い。怒られるんじゃないかってビクビクしてる。なんとかお母さんから褒めてもらえるように頑張ったけど、一度も褒めてくれたことなんてない。お正月になると、親戚が来るので私を追い出すようなお母さんだ。いくつになっても、お母さんにとって私は「恥ずかしい存在」「隠しておきたい存在」なのだ。

私が不登校になったのも、大人になって引きこもり・ニートになったのも、ぜんぶお母さんのせいだ。そこから立ち直るのに随分の時間が経ってしまった。

「私には人生を切り開く力がある。」
「私にはできる。」
「私には夢を叶える力がある。」

そう思えるようになるまで、随分お金と時間をかけたな・・・。

いろんなインフルエンサーのところに通ったけれど、最終的にはハッピーちゃんのYouTubeに救われた。ハッピーちゃんの動画は色んな人があげていて全部無料。

この動画を見ながら一緒に動いたり叫んだりしてたら、お母さんの愛なんていらないと吹っ切れた。自分の内側から愛が溢れ出てくるようになった。私の心の中にもちゃんと、愛の泉があった。枯れない泉が。永遠に湧き出てくる泉が。

もう誰かに満たしてもらおうなんて思わない。自分の心は自分で満たすことができるとわかったから。

お母さんは愛情表現してくれない。私を産み落としてくれた。それだけで十分なのだ。産まれてからは私の人生、私が私を幸せにする。私の人生の責任は私が取る。


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