See you down the road/ノマドランド
話題作、ノマドランドを観て来ました。
現在、心に刺さったものと向き合うため、必死に机にしがみついています。
ノマドランドとは。
今回わたしが観てきた映画「ノマドランド」
一言でいうと、「キャンピングカーで高齢の女性がアメリカを渡り歩きながら暮らす」という話です。
聞くだけだと、新しいタイプのヒッピー映画かなにかだと思うことでしょう。「Into the wild」などのように、若者が自然に生きる系の映画はたくさんあります。
海外では様々な賞を総ナメしているこの映画、一体どこがすごいのでしょう。※以下ネタバレあり
コントラストのすさまじい「仕事」と「旅」
映画序盤、アマゾンの巨大工場で働く彼女の姿が画面に映し出される。
ベルトコンベアーが張り巡らされ、凄まじい騒音がなり続けるパッキング工場。
疲労を顔に浮かべる豆粒のような人たちを、淡々と捉えるカメラ。
不穏な展開に、心はざわざわに締め付けられます。
会社の倒産によって以前暮らしていた街を追われた彼女。
その姿からにじみ出る惨めな様子がさらに追い打ちをかけてくる。
主人公かわいそう…そんな気持ちになったところで物語は始まるのです。
その後も彼女は転々と職を移ります。
大規模農業での集荷作業、ファストフード店の調理場、公共トイレの掃除など。
さまざまな現場作業で身を粉にする描写が続いていくのですが、だんだんと美しい自然のカットも増えていきます。
どこまでも広がる平原、地平線に立ち登る山脈、真っ黒な岩に打ち付けては飛沫をあげる波、桃色に染まる荒野の夜明け…
ストーリーが進むにつれ、彼女は憐れむ対象ではなかったことに気付かされていきます。
旅と仕事の往復、一体何が残るのだろうか。
ここで少しわたし自身の話をします。
2019年にフィンランドへ旅立ってからというもの、ナイキのリュックサックひとつあれば何処でも暮らせる、旅人のような暮らしをしています。
そのせいか、今もなお生活を維持するための仕事と、生きたいように生きることの区別がつかずに日々もがき苦しんでいます。
この映画の各所で、自分のことのように思えるシーンがあり、「こんな暮らしをして、いったい何が残るのだろうか」という不安にかられていました。
一緒に暮らそうと誘われるも、実の妹には別れを告げ、大切なパートナーからは姿をくらまし、一人で旅を続ける主人公。
どうしても他人事には思えません。
生き方を自身で選んでいることだけはわかるのですが、何かから必死に逃げ続けているかのよう。
一体何がそうさせているのでしょう。
最後のサヨナラを言わずに生きる
「See you down the road (いつかまたどこかで)」
主人公と同じように、キャンピングカーで暮らす人たちが、別れを告げる時に口にするセリフ。
物語の終盤に、この言葉について語られるシーンがあります。
「ノマドはサヨナラの代わりにこの言葉を使うんだ。何年後になるかわからないけど、また、必ずどこかで会えるから。」
その言葉に微笑む主人公。
その瞬間、自分の中の不安も晴れていくような気がしました。
彼女が貫いていた住所不定の旅暮らし。
それは、大切な誰かや何かを、諦め、手放してしまうことへの抵抗だったのです。
どこかに定住すること、何かに身を預けることは、他の選択肢を犠牲にすることで成り立ちます。
ところどころで住宅の正面からの画を、ウェスアンダーソンチックなショットで撮ってたのも頷ける…
あぁ…途中で突然ワンピースを着だしたのも気になる…
これからみる人にはぜひ注目してほしいところが満載です。
もちろん、この作品には他にもアメリカの格差社会への批判や貧困問題のリアルなどのメッセージも含まれているでしょう。
そう簡単にわかったつもりにはなれませんが、心に残る映画に出会えて、雨の金曜日でしたが晴れやかな気分です。
映画館、また通おうっ!
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