【広報日記】 生きよう、伸びよう。
広報日記と書いているけれど、広報の話(仕事の話は)はまったく出てこない。広報であるわたしの思い・考え、学んだこと・気づいたこと、読んだ本のこと。個人的なことばかりを、今日も書き記している。
ご興味ある方、どうぞお付き合いください。
氷山の一角
今月の上旬に「集中内観」に行ってきた話は前回書き記しましたが、これは氷山の一角で。その下には言葉にならない思いが、たーーーくさんある。正直自分でも「ある」と言っておきながら、本当にあるのかな?とぼんやり思っていたけど。
先日社長に、内観に行った時のコトを質問されたとき、帰ってきてから夫以外の人に話すのは初めてで。且つ夫からは、あまり聞かれなかったうえ、気づいたことはさらっと答えていた程度だったので。あんなに色々と丁寧に人に話すのは初めてだった。話しているうちに、これもある、あれもある、って思った。そして、もっと深いところに何かある、間違いなく「ある」って確認していた。
ただあの一週間であったことを説明するにも、言葉にしているうち、あの日々の営みや気づきが、なんだか軽く扱われてしまうような、なんか違うんだよな、、、と思いながら話していた。目に見えないそれは、言葉にならない。個人的なことであるし、内側で起きていることだから相手も理解もできない。あと、簡単に理解されたくない、という気持ちもあった。言葉にする意味があるのかなぁ、とぼんやり思いながら話しているうちに、社長にとって何か気づきになることはないか?ということだけを、記憶の中から引っ張り出して話していた。
時間が経ってからわかること
人はひとりひとり違うのだから当然といえば当然なのだけれど、考えていること、感じていること、気づいていることはさまざまで。かつ、個人的なもので。誰とも共有できないことなんだろう、と私は思う。内観の最終日さいごに、参加者さんとの座談会で、他の人の感想を聞きながら、あの日もそんなことを思った。
けれど、時が経ってから分かってくること、理解できること、というのもあるんだなぁとこの日わかった。それは人に話した(言葉にした)からかもしれない。そしてこれからもきっと、そういう瞬間があるのかな、と思っている。
メモは見返さない
内観中、メモ帳隅々にまで、いっぱいに記した言葉たち。途中でボールペンの芯が、黒が出なくなり。青も出なくなり。最後「赤」で書いていた。しかし、帰宅して思うのは、テープで流れていた先輩方・先生方の「金言」と思える大切な言葉以外は、見返さないものだなと思った。先生にもメモは取らなくてもいいようなことを言われたような。メモよりも、じぶんの心の内側で感じていることが本物ですね、と思う。
『ご自分に対して誠実ですね』
自分とした約束を守り続けている人の生き方、その姿は、どこから見てもかっこよくて、美しいとさえ感じた。画面越しに映るその人は、私から見ても輝いていた。『ご自分に対して誠実ですね』と、ある女性の言葉が聞こえてきた。わたしもそう思いますと心の中で思った。 日々実践(行動)あるのみで、それ以外には道はない。教えられたこと、本に書かれていることを地道に続けていくことしか近道はないし、この道以外にないと確信している。
私自身で言えば、7つの習慣は丸4年の実践となる。道半ばで、まだまだ未熟な部分も多いし、自分はどうであったのか?と、自分の在り方と行動とパラダイムに、反省と挑戦を続ける日々を過ごしている。
視点を変えれば奇跡は起こる
実践し続けるほどに、新たなフェーズに入っていく。また違う挑戦と実践がやってくるということ。諦めないこと、信じ続けること。私は、目の前の人に諦めそうになったことは何度もあるけれど。『シナジーはあるんだ』と信じ続けることの大事さに改めて気付かされた。
試されている
子育ての読書会で、『親という漢字は、木の上に立って見ると書くけれど、まさにそういうことですよね』とある人が仰った。本当にそうだな、と思わず深く頷きながら会話を聞いていた。
親の『忍耐』 、親の『見守る』 心、『子どもの選択や子どもの人生、子どもそのものを信じる』 親のパラダイム、そして、『自分を信じる』子どもを信じている自分を信じること、の大事さを感じました。
そして、子どもの興味あること、好きなこと、やってみたいということに、応援してあげる・寛大な心をもって接してあげられるか。面白がって、一緒になって楽しめるかどうか。親である私のほうが試されている。
スマホ依存の影響
前回の読書会には参加できなかったけれど、この日も繰り返し先生が『スマホ依存の影響」の部分を「とても大事なところだから」と仰って、もう一度読み返した。
★本のタイトルは『自分の親に読んで欲しかった本』
この読書会の指定本ではないけれど、先生が買って読まれたそうで、ここはと思う部分を共有してくださっていた。
もう大人なので、相手がスマホをいじっていても深刻なダメージは受けないけれど。それでも相手がずっとスマホをいじっていたら、いい気持ちにはならないでしょう。 書籍の中に、『その人との関係が良くなることはないでしょう』と書かれていて、本当にそうだと思う。これは、子どもにも言えること。しっかり危機意識を持とうと改めて思った。
子どものスマホ
正解はないからこそ、親は心揺れながら、ざわざわとしながら、さて、うちではどうするのか? いつ子どもにスマホを持たせるのか? 持たせるときのルールは子どもと決めるのか? スマホについてどんな話を子供とするのか? ・・・いろいろと考えを巡らせる。そういう風に、悩みながら、考えながら、進めていくものなんだなと思った。
しかし、大事なのは、子どもと前向きな話し合いの場とすること。たとえばそれは、子どもの気持ちも聞く。ただ今はダメと伝えるだけではなく、なぜそう思うのかを聞くこと。親として経験していること・思っていることを伝えること。
個人的に感じていることですが、スマホの電磁波が与える身体と脳への影響、依存になりやすい、付き合い方に注意が必要だと思っているので、できるだけ遅い越したことはないと、今のわたしは思っている。
いずれ子どもも持つようになったら、親と子でスマホ時間を決めて、家族全員同じルールとするのもいいなと、思っている。例えば、夜21時〜みんな触らないと決める。
これは今もそうしているけど、スマホやiPadなどの電子機器は、置き場所を決める。インターホン横の棚に置くこと。家族ルールとして提案して話し合いたい。そして、できていな時はお互いに注意し合う関係でもありたい。
今できることは、子どもと対話できる関係、家族会議できるだけの関係を、信頼関係を築いておくことの大事さを改めて感じている。相手を理解する。日々暮らしのなかで、実践するのみ。
新緑のうつくしい日々です。この季節だけの風の心地よさ。花々の美しさ。ありがたいです。四月も無事に過ごせたことに、感謝です。ありがとうございました。
お身体をどうぞ大切に。
お元気でいてくださいね。
今日もありがとうございました!