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【あるがままに】 あなたへの手紙①

突然のお手紙、失礼いたします。どうしてもあなたに伝えたいなと思ったことがあったので、このように手紙にすることにいたしました。長文になりますが、どうか最後まで読んで頂けたら嬉しいです。


 わたしがこのnoteで語りたいことというのは、たぶん、いえ間違いないく、自分の内側にあるものなのだと思います。それは、これまで個人的に長く続けていた(今はもうやめてしまったけど)アメブロもそうだったし、続けているインスタもそうだし、個人のnote(これではない別のアカウント)で、自分の内側にあるものを言葉にして発信していました。それは決して目に見えなくて、自分の内側に確かに存在する声のようなもの。広報として会社の名前を背負うからには、会社のこととか仕事のこととか文章にするべきところを、やはりそれだけでは物足りないと、なんか違うのよねって、ひとり静かに湯船に浸かっていた時に気づいたんです。「誰にでも書けるような文章を書きたいのではなく、私にしか書けない文章を書きたい」と。だから、私は誰かに役に立つような文章は書けない。誰にも役に立たないような文章なら書ける。それって広報としてどうなのよ?と思う自分もいますが、でもそれが「あるがままの私なんだから」と思っています。すごく個人的なことを自分の言葉で書きたい。それはまるで日記のような感じなんだろうと思います。日記なんて誰が読むんでしょうね。でもきっと誰かひとりくらいは読んでくれている人がいる。きっといる。そう信じています。
どうしてこう思えるのかといえば、過去の読者さんの声に支えられています。これまでアメブロでもインスタでも「りえさんの書く文章が好き!」「りえさんの書く言葉が好き!」と言ってくれる人が必ずいたんです。その存在を初めて知った時、その人が勇気出して言葉にして伝えてくれた時、びっくりして涙が出るほど嬉しかった。私の書く言葉を好きと言ってくれるなんて信じられない!って当時の私は思いました。ほんとうに?ほんとうに?って何度も思いました。(本当にありがたいことに)それからも度々そういう声をいただきました。「あぁ、自分を出すことが怖かったけど、文章にしてよかった」と心から思えた瞬間でした。そういう人の声があるから、私はまた書きたいと思えるようになったし、顔も見えない中で、文章だけに惹かれて私に会いにきてくれた人もいたくらい。その人とは今でも繋がり心友にまでなっているのだから、出会いというのはほんとうに不思議。文章だけで、私を信じてくれた。私を感じてくれいた。それが本当に嬉しかったんです。こういう経験もあって、私はわたしの語りたいことを、ただただ真っ直ぐに伝えたいんだろうと思います。そしてまた誰かが「りえさんの文章好きです!」とか「共感することがあります!」と思ってもらえたら嬉しい。心に何か小さくてもいいから、あなたの中に何か残るものがあれば嬉しい。けれど、それ以上に、今、こうしてあなたが文章を読んでくれていることが、純粋にとてもとても嬉しい。ありがとう、と言いたい。ありがとうございます。私にしか書けない思いを、私の言葉で、私が感じているままに、言葉にしよう。わたしがわたしにならないで、誰がわたしになるというの。私は、今、生きているのだから。命を与えられているのだから。これからも穏やかに淡々と綴っていきます。そして、わたしの心はいつも燃えています。


 わたしはいつも言葉にならない思いを抱えている。言葉にならないから、こうして言葉として出てこなくて内側でそっと温めている感じ。それが言葉になるのをじっと待っている。決して焦ってはいない。それはまるで、春の訪れを待つみたいに。あるとき「いつも自己対話している人です」と誰かが言っているのを聞いたとき、すぐに「はい、私もです!」と心のなかで思ったことがあった。私も自己対話している。それは時に問いかけているような、ねぇねぇそれってこういう気持ちじゃない。それってこういうことかもよって。いろんな声が聞こえてくる。ガシャんと大きな音を立てて、心の中で鳴り響いていることもある。それは本を通じて行われることもしばしば。読書をしながら自分の中にある、ある思いがくっきりと鮮明に映し出されてくることもあれば、うっすらと見えてくることもある。言葉にならない思いを言葉にするためには、言葉に触れる必要があると私は思っている。だから私は本を読む。読書をする。人と深く対話する。自分の中では到底見つけられないそれを、他の人の文章によって、他の人の言葉によって、自分の心にある言葉にならない想いが、すうっと掬い出されることがあるんだから。答えにわたしは早く辿り着きたいとは思っていない。むしろ、ゆっくりでいい。今はなんでも、早く早くと急かされているように感じる。わざわざ手間のかかることや、時間のかかることより、効率を求めることが優先される。けれど、私はゆっくり理解していきたい。待ちたい。死ぬまでに分かればいい。でも、死ぬまでに結局分からぬままならそれでもいいとさえ思っている。


 人生の第二章とも言うべき、わたし人生の扉が開いたのは今から約3年前だったと記憶する。それまでの人生がなんだったのかといえば、本当の真のわたしは蓋をされ「私は私を生きていなかった」のだと今振り返って思う。本当にやりたいことや、したいと思うことは、できなかったし、怖かった。どこか怯えていた。どこかで遠慮していた。周りの顔色を伺っていた。私が本来生まれ持っていた輝きとか、才能とか能力のもっとも本質的な部分が蓋をされて閉じられていて、それが一気に花開いたとき、あっ!と初めて気づくことになった。「あ〜わたし蓋してたんだ」って。開いたときの衝撃はそれはそれは大きいもので、涙なしには語れない出来事だった。それをきっかけに私の人生は、すべてが変わった。変わり始めた。まず、自分へかける言葉が変わった。付き合う人が変わった。自然と出会う人も変わった。話す言葉が変わった。食べるものが変わった。身体が変わった。物事の受け止めた、出来事への見方も変わった。在り方が変わった。だから、わたしの人生が変わり、運命までも変わっていった。それはすごい早さで行われたものと、時間をかけてゆっくり変わっていったものと、流れはふたつあった。
私の強みは?と聞かれ伝える言葉は、1、行動力 2、メンタルの強さ 3、信じる心。「私はちゃんと私を生きている。」と、今はそう言い切れる。私は自分の人生をほんとうに歩み始めた。同じ街、同じ風景を見ても、それまでと全く違う見え方に変わった。時間の流れが変わった。だから今もこの1ヶ月が長いとも短いとも感じず。ちょうどいい、という言葉がしっくりくる。1日1日を生きれる喜びに浸っている。いずれくる終わり(死)を見つめている。そして、毎日思うんです、今日も仕事があり、食べる物があり、衣服があり、雨風を凌げる家があり、家族がいて、みんな無事に帰ってきている、わたしは今日も命があった、と、眠る前に手を合わせている。感謝で胸がいっぱいなる。ときに涙が出る。すべてのことに感謝し、わたしは、この命を輝かせよう。あなたのご縁もさまざまな運命を通して出会えたことに心から感謝しています。ありがとうございます。




こんなに長い文章なのに、最後まで読んでくれるなんて。本当にありがとうございます。本当のことを話すと、ここまで個人的なことを、思っていることを、会社のまた広報の記事として残すことが本当に良いのだろうかと、自問自答を繰り返しました。記事を削除しようかと思ったこともありました。個人のnoteであるなら良いでしょう。しかしここは、ブックダムという会社のnoteであることがやはり心のどこかで引っかかっていたのです。「一気読んでしまいました」と添えられた社長からの温かな返事は大変嬉しかったのですが、わたしの中でその引っ掛かりはいつまでも消えませんでした。でも昨日、背中を押してくれた言葉と出会いました。このまま誰にも読まれぬまま削除してもいいの?本当にそれでいいの?ともう一度問いかけたとき「やっぱり出そう!」と決心いたしました。最後まで読んでくださったこと、心からありがとうございます!

時々、またこうして、あなたへ私の思いをお手紙にして書かせていただきたく思っています。また読んで頂けたら嬉しいです。

都内では梅が咲き始めました、ゆっくりと季節が春に向かっているを感じます。今日もあたなにとって、素晴らしい一日でありますように。

感謝を込めて。


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