【本121】『悼む人(下)』
著者:天童荒太 出版社:文春文庫
事故や事件で亡くなった人を悼み歩く静人。本人もなぜそれをするのか、何がそうさせるのか、分かりません。そんな彼の周りに集うのは、世の中を蔑む週刊誌の記者・蒔野、夫を殺した罪を負う女性・倖世、殺された夫・朔也の亡霊、そして、末期癌に侵された母・巡子です。みな、静人がなぜそれをするのか、自分なりに解釈し、意味付けをしようと懸命です。
でも、人の解釈って面白くて、その人自身の経験を通してでしか意味付けはできないもの。こうして、それぞれが静人像を描きながらも、いつのまにか自らの「愛」や「生」に向き合っていきます。
愛、生きること、そんな根源的なものを静人の生き方を通じて、考え始めていくのです。
私はこの本を読みながら、娘のあるエピソードを思い出しました(娘は、時々不思議なことを語ります^^;)。
「大きくなったら「おくりびと」になるの」。
娘によると、亡くなった後、三途の川のこちら側からあちら側にいくとき、船にのるそうです。その船頭さんが「おくりびと」。おくりびとは、道中、その人の人生で悲しかったこと、苦しかったこと、憎んだこと、辛かったことをただただ聞きながら船を漕ぎ、相手がその気持ちを捨てた(浄化)ところで、あちら側に届けるそうです。
きっと、亡くなった後に残るのは、苦しみや憎しみという感情ではなく、静人が悼み覚えるまさに「誰に愛されたか、誰を愛したか、誰に感謝されたか」だけになるのかもしれません。
そんなことを思いながら、「愛」の根源的な強さを感じました。
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