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自己啓発をやめ自分の殻を捨てろ【自己啓発をやめて哲学をはじめよう】感想

こんにちは、レイです。

近年の自己啓発ブーム、なんだか違和感を感じない?誰もが自己啓発を信じて、自分の中にだけ答えを求めようとしている。それって、不思議だ。
最初はそれでいいかもしれないが「ちっぽけで下らない」と思っていた自分の中にだけ存在する答えが、本当に真実なのか?

心の中に余裕ができれば、もっと視野を広げるべきだ。そう、自分の中ではなく、外に。そこに答えを求めてみろ。これを哲学というが、その「試行し続けて答えを探し求める」という至高の領域に足を踏み入れてみてほしい。

これは、哲学の入門書ではない。その必要性と必然性を問いかけてくる、そんな一冊だ。もしも君が「なぜ自己啓発を…」と疑問を感じることができる人だったのであれば、この本は突き刺さる。


内容

◆衰退する日本社会に自己啓発が罠を仕掛ける!?
人工知能の台頭、働き方の変化、少子高齢化など、
とくに若い人たちは絶望へ向かう社会の中で、
今の状況をのんびり眺めていられなくなりました。
日本が迎えている状況は、
ローマ文明、漢文明、メソポタミア文明など
高度に発達した豊かさにもかかわらず滅んでしまった文明と
よく似た道をたどっていると言えるからです。

こうした世の中にはびこるのが自己啓発ビジネスです。

自己啓発をやめて哲学をはじめよう

「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」を読んで

漠然と誰もが思っている「自己啓発って必要なの?」という視点で書かれた一冊。本書によれば、自己啓発というのは「自分の中に答えを探す」というものである。だが、それは「こんな私の」と思っている自分の中に答えを見つけるもので、本当に満足できる回答なのだろうか?
それは、きっと「自分という閉じた殻の中」でしか通用しないものだろう。

自己啓発といえば聞こえはいいが、そのビジネス形態からして変だ。人の不安や不運、不幸を煽り立てて、その心に付け込んでいく。不思議なことに、このビジネスは非常によく成功する。

ただ、自己啓発ビジネスは、貧困におびえる人の心の隙間を利用し、
自己啓発のカモにしている。
このビジネスを正とするような人しかやっていない。

しかも、このビジネスで最悪なのは受講者が報われないことだ。自己啓発にはまってしまった人がすべて成功できるかというと、そんなことない。むしろ、家族や友人の関係を破壊しかねない。

自己啓発を進めても、そのコミュニティを脱退すると無意味だ。他で、自尊心を養い自分を維持する手法がないからだ。結局、時間とお金の無駄に気が付くまで、永遠と課金し続ける不幸なシステムだ。

一方で、哲学というのは自分の内側にひそんでいる可能性をあきらめることから出発する。言い換えれば、自分への執着を捨て去ることの必要性を
説いた学問だ。その最果てには、外の世界で通用する答えがある。

その姿勢は、世の中の絶望と向き合い、外側の世界に見えるわずかな真実とともに生きることにある。経験することがすべてではなく、考えることで導き出す。よく思考し、練り直し、熟考すれば、気が付ける世界の理なんだ。

「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」から学びたい姿勢

今回紹介している本で、このnoteを読んでくださっている皆さんに知ってもらいたいのは「自己啓発で成功するのは一握り」であるということ。そして、それは「宝くじ」を掴むのと変わらないということだ。

本書で紹介されている一つのデータに、収入に関するデータがあった。筆者によれば、約42%の要因が遺伝で、8%が育った環境で決まる。つまり、君の親次第で人生の半分は決められているようなものだ。むろん、これは「収入」に限った話だが。

残りの50%は様々な要因があるが、結局は運である。出会う人、関わる人、自分のちょっとした行動。それが、自分の人生を大きく変える要因になりえる。そうしたチャンスを獲得して実際に力に変えられる人は、最終的に「行動し考え続けた人間」である。結局は、学び続けて考え続けることでしか、その50%は覆らない。

今出した例は「収入」という極端な例だ。だが、自己啓発に心酔している人の多くの悩みは「金」「未来」である。この収入というのは、一つの指標として大いに利用できるものだった。

少し前置きが長くなったが、結局のところ次の三点を忘れなければいい。

  • 自己啓発は自分の内側/哲学は外側

  • 学び、悩み、その果てに本質を見つけることができる

  • 自己啓発の次の段階にシフトする

特に、最後に紹介している「次の段階」ということが重要だ。

自己啓発から哲学へ

自己啓発というのは、繰り返しになるが自分の内側。哲学は、自分の外側に、世界で使える真理を探し、思考していく。個別性が高く、言葉を選ばなければ「誰にも応用できない理論」を、「誰もが応用できる理論」にする。

始まりは、自己啓発でいいだろう。だが、その自己啓発をし続けても、意味はない。それは、自分の中で完結しているし、閉じた世界でしか使えない。もしも君の環境が変わったり、予想外の事態があったりすると、自分の中に答えがない事態になる。そうなると、今までの時間も思考も、残念だが使うことができない。

自己啓発をして自己分析を行い、何が大事なのかまずは見極めてみる。ある程度、自分の内側について整理できたんなら外側に興味関心を向けてみよう。哲学という知識体系に触れてみれば、きっと今の価値観が一変するだろう。

哲学を利用して世界の本質的な箇所に触れ、深く知りかかわっていく。そうすれば、もっと本質的な回答を得ることができる。そうすれば、もう自己啓発に囚われて、自分の中に引きこもる必要もない。

感想

僕が「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」を読んで初めに感じたのは、「だよな」ということ。実は僕、哲学が大好きだ。だから、自己啓発本を読むこともあっても、「??」と思うことのほうが多い。

哲学は、もっと広い視野で物事を捉えて解を探す。そこには、徹底的な思考と、小さな発見があればいい。哲学者になりたいのではなく、僕はその哲学的な思考を手に入れたいのだ。圧倒的なインプットをして、その情報を脳内で整理して、しっかりと推敲し考えていく。その果てに自分なりの解を見つけて、正しいかどうか。独りよがりなもので、欠片も本質に迫ることができていない意見ではないか。そうやって、自分の考えを精査していく。

一方で自己啓発というのは、自分という殻の中で完結する。外からの情報はなく、基本的に自分と向き合い続けるものだ。自分の中に答えがあって、その答えを信じて突き進む。自分が正しく、本当の答えというのは、自分の内側にしか眠っていない。そんな考え方だ。

正直僕は、この考え方には同意できなかった。むろん、自己分析は必要だし自分という人間を正しく把握していることは重要だ。でも、それだけで「すべてが終わった」「問題がない」と思うのは、早計で傲慢だ。君は、そんなに偉大な人間ではないから、その問題に苦労していたんだろ?自分の中に、答えがないから、探し求めていたんじゃないのか?そんな簡単に「OK!!」といえるのだろうか?

僕はそのことに関して、「YES」という口も、思考もなかった。だから、ずっとモヤモヤとしたものを感じていた。そして、これは自己啓発を終えて、社会に視線を向けている人たちも同様だろう。次に見ないといけないのは、世界だと、僕は思う。そのために、大量にインプットしてアウトプットして、考え続ける習慣を作らなければならない。


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