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映画「怪物」自分の中に眠る怪物とLGBTQについて

監督・是枝裕和×脚本・坂元裕二
映画・ドラマ好きであったらこの組み合わせは嫌でも反応してしまう。

それに加えカンヌ国際映画祭コンペティション部門「脚本賞」期待値はさらにあがる。

あらすじ

大きな湖のある郊外の町。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。
それは、よくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した―。

映画『怪物』 公式サイト

本作は
安藤サクラ演じるシングルマザー
永山瑛太演じる小学校教師
黒川想矢演じる小学5年生の男の子

この3つの視点から物語が描かれている。
何とも言えない不気味な空気感で、所々登場人物の不可解な言動が見られる為、序盤は正直「???」となる。
ただ、物語が進むにつれパズルのピースがはまっていく。

「怪物、だーれだ」

それは誰しもが持っている時おり制御不能になる負の感情を纏った自分ではないか

恐らく多くの人は怪物になっている自分と遭遇したことがあるだろう。
自身の踏み込まれたくない領域に何者かが侵略してきたら、大事なものを守る為に人は怪物になる。

最初は穏やかな登場人物達も大切なものを蔑ろにされることで、自分の中に眠っている怪物を起こしてしまう。

視点によって見え方がガラッと変わる

この映画の巧みに感じた点は、同じ出来事でも登場人物の視点によって全く違った見え方になるところである。

例えば、安藤サクラ演じるシングルマザーが、担任教師から息子が暴力を振るわれていると心配して学校に行くシーンがある。

安藤サクラの役の視点では我が子を必死で心配する母親であるが、永山瑛太演じる小学校教師の視点からは厄介なモンスターペアレントとして映っている。

ここで気づいた事は主観で見る自分は美化されているということ。女手一つで懸命に息子を育てる良き母親、生徒に理解があり信頼が厚い教師。
どちらも自分視点であり他者からみたら些細なことでわめているモンスターペアレントと目が死んでいる暴力教師として描かれている。

LGBTQ

昨今、ドラマや映画などでもよく題材にされるワード。
本作では物語の肝となる小学5年生二人の男の子の間に友情とは違う特別な感情が芽生える。

作品のなかでキスをしようとして片方が拒絶(拒否というよりは驚き逃げる)するシーンがあるため、”恋”と捉えても良いとは思うが鑑賞者である我々受け取り手に委ねられている。

大人の場合は既に自身の性について自覚しているケースが多いが、子供の場合はまだ自れの気持ちに気づいていないこともあり、本作はこの心の変化や葛藤なども表現している。

そもそも、恋という言葉を具体的に表現するのはとても難しい。キスやSEXを恋を表す方法として捉えるの簡単ではあるが、そこに恋心がなくてもそれらの行為に至ることもある。

最後に
坂元裕二作品に欠かせない存在である田中裕子さんは今回も怪物に見えてしまうくらいの存在感であった(笑)

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