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大切なひとに『死にたい』と言われたら差し出す1冊

死にたいわけではない。
ただ、生きることにそこまで肯定的になれない。

生きたくても生きれない人がいることは、頭では理解できている。

しかし、これが素直な気持ちだからしょうがない。

なぜ生きることに肯定的になれないのだろうか?
何度も考えてきたが答えは出ない。

生きがいがないから?
大切な人がいないから?
命の重みを実感するような経験がないから?

どれも間違いではないが核心をついていない。

ただ、間違いなく言えることは死にたいわけではない。生きているのであらば、幸せになりたいし豊かな心で過ごしたい。

そんなことを考えながら、日々を過ごしているときに出逢った1冊を紹介したい。

作者の土門蘭さんは、10歳のころから『死にたい』という感情が発作てきに湧き出る。

しかし、自傷行為をしたりSNSで息をすうように「死にたい」とつぶやくような感じではない。

土門さんは結婚もしており子供にも恵まれ、作家として本も何冊か出しているので、傍からみれば持っている側に見えるかもしれない。

けれど、『死にたい』気持ちを抑えることができない。

苦しみから少しでも解放されたい。
子供たちのためにも死んではいけない。

そんな考えから、カウンリングを受けることを決意する。

土門さんのカウンリングは、カウンセラーさんとの対話を通じて「なぜ、自分はこんなに『死にたい』のか?」の根の部分を探る、あてもない旅のようにも思えた。

そのなかで、カウンセラーさんが土門さんに説いた「話す」は「放す」との内容が印象に残った。

心のうちに耳を傾け自己との対話をいくらしても、堂々巡りになることの方が多い。

そんな時に、他者に向けて「放す」ことで、自分にはなかった考えが浮かびあがってくる。

そうして見つけた新たな発見が、生きやすくなるためのお守りになっていく。

なぜ、大切なひとに『死にたい』と言われたら差し出す1冊なのか?


土門さんの言葉に嘘を感じなかったから

自己啓発系の本に「今日が人生最後の日だと思って、後悔がないように生きよう」のような内容がよく書かれている。

「これでもか」とこすられてきた内容だし、言葉に重心が乗っていないように感じるのである。

しかし、土門さんの言葉には他者の気をひくためではなく、本気で『死にたい』ことが伝わってくる。そして「どうにかして生きる」という青い炎のような、思いが言葉に宿っている。

もし、周りに本気で『死にたい』と思っている人がいたら、本作をまずは当事者に勧めるまえに自分で読んでみてほしい。

そして、この作品を読んで『死にたい』気持ちとの向き合いかたについて、少しでもヒントになると感じたら、差し出してあげてほしい。

自分と同じような考えをもっている人が、この世に存在している。

それがわかっただけでも、救われることってあるんです。


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