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泥棒税施行条例

 泥棒税施行条例

第1条 この条例は憲法94条の規定を無視し、すべての憲法及び法等に優先するものとする。
第2条 この条例中の泥棒とは、単なる窃盗に留まらず、強盗、横領等他者の所有権を侵害し、財物を窃取することを言う。
第3条 泥棒行為によって収めるべき税額は、泥棒税施行条例施行規則第4条における別表1に定めた額を算出の根拠とする。
第4条 本条例によって生じた税額を正当な理由なく、期限を遅滞した場合には、前条に規定する額に加えて、月5.10%を加算した額を課するものとする。
第5条 本条例は憲法第39条の適用を無視し、条例が制定された日を遡及して適用することができるものとする。
第6条 ………

 テレビを見ていたら、目を、耳を疑うニュースが飛び込んできた。
 だが、それ以上に僕が正気かどうかを疑ったのは、このニュースを見たときに、父が「とうとう来ちまったか」と納豆を混ぜながら平然としていて、母も「仕事がやりにくくなりますねえ」と玉子焼きを箸で切りながら呑気に言い、妹までもが、「ええ、あたし昨日万引きしたばっかなんだけど」と食卓で鏡を覗き込み眉毛を書きながら言ったことだ。
「ねえ、何を言ってるの、みんな」と僕はきゅうりの浅漬けを箸から取りこぼして、不審な眼差しで三人を眺め回して言った。
 ああ、そうか、と父は納豆をご飯にかけながら、「タカシには言ってなかったなあ」とのんびりした口調で言って、母に目配せした。
「なんだよ」と僕はこれまでやってこなかった反抗期の分まで反抗するように、剣呑な口調で父を睨みつけた。
「お父さんね、十年前に会社をクビになっちゃったのよう。なにせ十年前と言ったら、『無職税』が制定された頃でしょ」
 そういえば、と僕は関係ない学生だから気にしていなかったけれど、十年前に「労働税」と「無職税」が制定されて大騒ぎになったことがあった。所得税はそのまま残るから、会社員は働けば働いた時間に応じて追加で税金を支払わなければならず、無職だと無職である期間に応じた税金を支払わなくてはならない、とんでもない法律だった。
「それでな、若い頃父さんは銀行強盗の一味にいたことがあってな。泥棒に就職して働くことにしたんだ」
「泥棒って就職するものなの!? ってか仕事じゃないでしょ」
 何を言ってるんだ、と父は鼻息を荒くする。
「泥棒はちゃんと法に明文化された職業だろうが」
 知らないよ、と僕は叫んで箸をテーブルに叩きつける。
「まあ、法律のことはいいじゃない。とにかく、お父さんに泥棒に就職してもらったけど、お父さんの稼ぎだけじゃあなたたちの学費まで面倒見てあげられなさそうだから、お母さんも泥棒になることにしたのよ」
 これがまあ、天職でねえ、と母親はほんのり頬を上気させて手を添えると、うっとりしたように言った。
「じゃ、じゃあ、キミカは。なんでキミカは知ってて、僕が知らないんだ」
 だってねえ、と母と妹は顔を見合わせる。
「お兄ちゃん。高校じゃ生徒会長とかやってて、真面目くんじゃん。家族が泥棒じゃイメージ悪いでしょ」
 そうそう、と母は身を乗り出して頷いて相槌を打つ。
「それにキミカはバイトだし。万引きとかスリぐらいしかやらないのよ」
 バイトってなんだよ、と僕は声を震わせながら怒鳴り声を上げ、テーブルに両手を打ちつける。
「泥棒はバイトだとかそうじゃないとか関係なく、犯罪じゃないか!」
 妹はうんざりしたような目で僕を眺めると、一心不乱にまつ毛をカールさせていたビューラーをテーブルに置いて、「お兄ちゃん、古っ。いまどきジョーシキじゃん。バイトで泥棒なんて」と頬杖を突いて気だるそうに言った。
 どんな常識だよ、といきり立った僕の両肩を、いつの間にか後ろに回っていた父が押さえて座らせると、人差し指を立ててしいっと目配せした。
「なんだよ」と僕は口を尖らせて不平を述べる。
「静かにしときな。聴こえるだろう。パトカーのサイレン」
 そう言えば、と思うと遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。それどころか徐々に近づいてくる。
「これって、お父さん」と呑気な母が不安そうな眼差しで父を見る。
「ん。まあ、大丈夫だ」と父は笑顔で頷き、「キミカ、カーテン閉めろ」と穏やかに言うと、いつもなら「うるせえ、おやじ!」と悪態を吐く妹が神妙そうな面持ちで従ってカーテンを閉めた。
 パトカーのサイレンは間近に迫ってくる。と思ったら我が家の前を通り過ぎて、隣の蒲生さんちに停まった。三台停まったパトカーからは完全武装した警察官がぞろぞろと降りてきて、蒲生家を包囲し始める。
 父がそっと窓を開けたので、警察官たちの会話が漏れ聞こえてくる。
「蒲生は泥棒税高額課税者だ。市外へ逃亡する意思ありとの情報がある。蒲生含め、家族の一人たりとも逃がすな。抵抗、逃亡の素振りを見せたら射殺して構わん」
 射殺、と僕が素っ頓狂な声を上げると、父が慌てて口を塞いで外の様子を窺う。幸い悟られなかったのか、父は安堵のため息を吐いた。
「蒲生さん、すごく稼いでらしたものねえ。この間のX銀行の強盗。あれも蒲生さんだってもっぱらの噂よ」
 母が憐れんだ目をしながら言うと、父は思い出したように、「ここ最近続いてた紳士強盗、あれも蒲生じゃねえかなあ」と言って顎髭をさする。
「蒲生さんちのヨシミちゃん。同級生だけど、美人局で強盗紛いのことして、生徒指導の先生から呼び出されてたな」と妹。
 僕はもうどこから突っ込んでいいのか分からず、うわーっと叫んで頭を抱えた。
「まあ、おれたちゃ真っ当な方よ。殺しなんかやれば、『殺人税』の税金はとんでもねえからなあ。末代まで借金地獄だぜ」
 そうそう、と手をひらひらとさせて、「人様を傷つけることはしないから」と母も父に同意する。
 僕は、と血が滲むような声で振り絞る。
「僕はA市役所に入ってみせる。それで、こんなおかしな条例改廃してやるんだ!」
 父は一瞬きょとんとした後で大笑し、「むだむだ、やめときな」と僕の肩を叩く。
「市長にだってできねえよ、そんなこと」
「なんでだよ、市長が決めるんだろう、市のことは!」
 父は首を横に振って、「まあ、正確には議会の承認を得て市長が執行するんだろうがな」と言った後で、自分の席に戻り、「まあ、そんなことはこの際どうでもいいさ」と言って納豆飯をかきこむように口の中に運んでいく。
「あのね、タカシ。あなたが泥棒が仕事だと知らなかったように、物事の表だけ見ていては、本当のことは分からないものよ」
 ぐっと、奥歯を噛みしめる。悔しいが、もっともらしいことを言われているような気がして、反論ができなかった。だが、何かそれは間違っているような気がしてならないのだった。
「その内、死んでても税金とられるんじゃねえかな!」
 父は大口を開けて笑う。納豆の糸が引いてるから、口を開けないでほしい、本当に。
「おちおち死んでもいられませんねえ」
 母は隣の家から響き渡る怒号や銃声などどこ吹く風といった様子で家族にお茶を淹れていく。
「でもさあ、お兄ちゃん。A市役所に入るには横領の実技試験があるんだよ?」
 妹は冷めたトーストを人差し指と親指で摘まみ、目の前でぶら下げると皿の上に放り投げて言った。
「横領の実技ってなんだよ!?」と裏返った金切り声を上げて立ち上がり、地団駄を踏んで、テーブルの上の朝食を薙ぎ払った。
「そりゃあまあ、効率的な横領の仕方とか? 知ってれば防ぐのに役立つとか、そんなつまんない理由でしょ」
 妹は自分のココアには被害がないよう、マグカップを持ち上げながら言う。
「あらあらまあまあ」と言いながら母はぱたぱたと歩いて台拭きをキッチンから取ってくると、床に落ちた料理を片付け始めた。
「この朝食だって、泥棒した金で作ったんだろ!」
「だっさ」と疎ましそうに言いながら妹は立ち上がり、「遅刻するから行くね。お父さん、お母さん、ドジ踏んで迷惑かけないでよ」と言い捨てて家を出て行った。
「仕事に貴賤はねえんだぜ、タカシよ」
「泥棒が言っても説得力ないんだよ」と僕は机の上にこぼれた塩焼きの鮭を父の顔に向かって投げつける。鮭はびたりと父の額に張り付き、油を引きながらずり落ちてコーヒーの中に落ちた。
「タカシ。もう世の中は綺麗事だけじゃ生きていけないの。清濁併せ呑む器の大きさをもたなくちゃ」
「そんな併せ呑み方は嫌だよ!」
 僕は狂乱したように髪を振り乱して机を連続で何度も叩いた。
「そう言ったってねえ。ほら、タカシが片想いしているアユミちゃん。彼女だってパパ活で荒稼ぎしてるし、お金がなくなったパパには特殊詐欺の受け子のバイトを斡旋したりしてるわよ?」
 何でアユミちゃんを知ってるんだよ、と悲鳴のような叫びを上げて髪を掻き乱した。
「っていうか、パパ活……」と僕は絶望して床に這いつくばり、この怒りと憎しみを誰にどこにぶつければいいか分からなくて床を叩き続けた。
「お、決着したみてえだな」と父がカーテンをそっとめくって覗き込む。僕も近づいていって見ると、ブルーシートがかけられた担架がいくつも運び出されていく。
「あーあ、惨いことしやがるぜ」
 父は頬を掻きながら、外の警察たちを睨みつけていた。
「おい、金目のものは残らず押収しておけよ!」と年嵩の刑事が叫ぶ。
「これじゃどっちが強盗だか分かりませんねえ」
 母のおっとりとした物言いに頷いて、父も「まったくだぜ」と忌々しそうに呟く。
「タカシよ。お前はこれを見ても公務員になるって言うのか」
 僕は、と口ごもった。頭からアユミちゃんのことがあまりにもショック過ぎて離れず、思考回路が機能していなかった。
「僕は税金がない国へ行きたい……」
 僕は力なく呟いた。
「今は外国で暮らすにも外国居住税がかかるぜ」
 こんな国滅びればいいんだ! と僕は叫んで、鞄を引っ掴んで家を飛び出した。
 今日どんな顔をしてアユミちゃんに会えばいいのか、そればかりが僕の頭の中を支配していた。
「おっ、学校かい」とパトカーに寄り掛かっていた刑事が右手を上げて陽気に言う。彼のベストには血痕が飛び散っていた。
 その内恋愛するにも税金がかかりそうだ、と思った。二人目以降税率が上がるとか。でも、アユミちゃんなら税金を払っても恋したい。だけど、パパ活してるんだよなあ。
 朝の街路は光の礫が散ったようにきらきらとしていた。世の中は汚いけれど、世界は綺麗だ、と僕はしみじみそう思った。

〈了〉


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