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夫あるいは妻という異類(読書記録11)


■前置き

配偶者というのは、一番身近なようでいて、一番遠くにいて、一番理解しているようで、一番理解していない。そんな存在ではないでしょうか。

そんなことない。私たちはお互いのことをこれ以上ないくらい理解をしているっ!
というお二人は、どうぞそのまま、お健やかに。幸せなことです。

通常配偶者との間に壁などないのでしょうが、ふとした瞬間に、見えない壁が現れることがあるんじゃないかと思います。それは壁、というよりはフィルターのようなものかもしれません。向こう側に見える姿を歪ませてしまうような、そう、異界のフィルターとでも言うべきもの。

私たちはしばしばそのフィルターごしに相手を見てしまうから、相手が自分の得体の知れない、理解しがたい異類に映ってしまうこともある。

配偶者が自分と存在する次元を異にするような、そんな異類に見えてしまったとき、あなたならどうしますか?
逃げ出す? それもいいでしょう。賢明です。
拒絶して、相手を更生する? 強い方ですね。ただ、相手が受容するとは限りません。
ありのままを受け入れる? 素晴らしい博愛精神です。でも、一番お勧めしません。理由は……、作品を読んでいただければ。

■登場人物・ストーリー

『異類婚姻譚』

〇私「サンちゃん」 主人公。夫と顔が似てきたことに思い悩む。専業主婦で、刺激のない日々をおくっているものの、今のままでいいのだろうかと生活に疑問をもっている。だが、今の暮らしを投げ出してまで行動するような気はない。
〇旦那 のんびりとした性格で、元妻との間に何か問題を抱えているようだが、それを「私」には打ち明けない。人を窺うような仕草のせいで、好印象をもたれない。ある日突然「私」には顔が崩れ出して見えるようになり、何か仕事上で思い悩むものを抱えて、早退などを繰り返すようになる。
〇キタエさん 近所に住むおばあさん。猫のサンショの粗相のことで悩み、「私」に相談する。

「私」と旦那の顔が似てくることに「私」は不安を覚える。旦那は元妻との間に何か問題を抱え、ゲームに熱中して仕事もおろそかになり、やがて行けなくなる。その頃には旦那の顔は「私」にとっては崩壊した顔面になっていた。旦那は毎晩せっせと揚げ物を作るようになり、「私」は辟易しながらも食べてしまう。そして、二人の顔は、お互いが半分ずつ混じり合ったような顔になる。
一方でキタエさんから猫のサンショの粗相のことを打ち明けられ、彼女が山へサンショを捨てることを決意したときには、弟から聞いた話を思い出して、放す山まで連れていく。
夫が家事をし、自分がテレビや晩酌に興じる生活をおくるようになるが、ある日酔いに任せて旦那に言葉をぶつけてしまう。

『〈犬たち〉』

〇私 主人公。友人が相続した山小屋で暮らすようになる。そこには白い犬たちが住んでおり、彼らと同居するようになる。
〇犬たち 名前をつけられた「パストラミ」を筆頭に、何十匹もいる犬たち。水だけは「私」の前で飲むが、それ以外の飲食や排せつをしている姿を一切見せない。統率のとれた動きをして、凍った湖に穴をあけて潜ったりしている。

私は友人が相続した山小屋で暮らすことになるが、そこには何十匹もの白い犬がいた。犬たちと生活を共にしていくうちに、麓の町では犬を過剰に毛嫌い、というよりも警戒し、警備員は銃を携帯すらしていた。
私は犬の存在を隠し、友人が山小屋を訪れる日を待ったが、過ぎても友人はやってこない。町まで下りてみると、町の中はもぬけの殻となっていた……。

『トモ子のバウムクーヘン』

〇トモ子 二人の子どもの母。この世界が突然消されてしまうクイズ番組だと、ある日はっと気づく。そのことで、家に存在するあらゆるもの、飼い猫や自分の子どもたちまでもが、異形の存在のように思えてきてしまう。それらを何も知らないふりをしてバウムクーヘンを焼き終えるが、それでも彼女に根差した世界への疑念は消えず――。

『藁の夫』

〇トモ子 トモ子再び。前の話しとの関係はないと思われる。ちょっと不注意。それが元で夫との喧嘩に発展してしまう。夫との結婚は成功だったと信じていたが、喧嘩をきっかけに疑念を抱くようになる。
〇夫 藁。

トモ子の不注意で、車に傷をつけてしまったことで夫が怒り、喧嘩になる。すると夫の体から何かが零れだして、その代わりに夫は元気を失ってただの藁に戻っていって。

■印象的だった文章

『異類婚姻譚』

  • 旦那の目鼻が顔の下のほうにずり下がっていたのだ。瞬間、私の声に反応するかのように、目鼻は慌ててささっと動き、そして何事もなかったように元の位置へ戻った。

  • ソファに寝そべるその姿を見るたび、私はまるで自分が、楽をしないと死んでしまう新種の生きものと暮らしているような気分になる。

  • うーん、だって結婚って、相手のいいところも悪いところも飲み込んでいくんでしょ?

  • 二匹の蛇がね、相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。どんどんどんどん、同じだけ食べていって、最後、頭と頭だけのボールみたいになって、そのあと、どっちも食べられてきれいにいなくなるんです。分かります? なんか結婚って、私の中でああいうイメージなのかもしれない。

  • 男たちは皆、土に染み込んだ養分のように、私の根を通して、深いところに入り込んできた。

  • 朝起きて鏡を見ると、顔がついに私を忘れ始めていた。

  • 心ゆくまで過ごし、さあそろそろと立ち上がると、どちらが旦那なのか分からないほど、二輪の花がよく似ていることに気が付いた。じっと見るうち寒気がしてきて、私は逃げるように岩場を離れ、一度も振り返らずに、山を下りた。

『〈犬たち〉』

  • 彼の話し方を聞きながら、いつも私は、油を塗りたくったゆで卵が口から勢い良く飛び出して来るところを想像した。

『トモ子のバウムクーヘン』

  • コンロの火を弱火にしていたトモ子は、この世界が途中で消されてしまうクイズ番組だということを、突然理解した。

  • トモ子はまるで、自分の家が一瞬にして何者かによって殺されてしまったような気分になった。

■感想

タイトルの異類婚姻譚とは元々日本だけでなく、世界中に流布されている、人間とは異なる種族(動物や妖怪等)と結婚する物語形式のことを言い、多くのお話が、一旦は婚姻がなされるものの、関係の断絶という形で終わっています。

この短編集ですと、表題作は基本的にその物語形式に沿った展開なのに対し、『〈犬たち〉』では、『異類婚姻譚』のテーマを引き継いでの、異形のものとの融合が描かれ、後二作では異形のもの、あるいは異界への拒絶、断絶が描かれています。

『異類婚姻譚』のユニークなところは、夫という異界のもの(動物でも妖怪でもありませんが)の変貌が進むに伴って、主人公もそれに引っ張られる形で異形化していくところです。

その異形化、旦那と私が溶け合って一体となっていく過程には、旦那の作る「揚げ物」という食が絡んでいることも見過ごせません。「私」は異界の食べ物を食べ続けることで、どんどん異形化を促進され、終盤では旦那と私の立ち位置は逆転することとなります。即ち、旦那が専業主婦である「私」の役割となり、「私」が「楽をしないと死んでしまう新種の生きもの」と称して軽蔑した夫の位置に座ることになる。

何となく似ているな、って感じる夫婦っていますよね。
DNA上は何の共通点もない、赤の他人のはずなのに、一緒に暮らしていると顔立ちや雰囲気が似てきてしまう。

そんな背景には『異類婚姻譚』のような闇が隠れているのかも……、と思うとぞくぞくしますね。

幸い我が家は夫婦で似てくるところはありませんが、私と子どもはそっくりだと言われます。
血が繋がっているので当然と言えば当然なのですが、見た目はそっくりでも中身はだいぶ違うように思えます。

私は大人しい部類で、友達とも遊べますが、どちらかというと一人遊びが好きな性質でした。面倒見のよい部分もあったのか、放っておくといつまでも遊んでいる幼馴染を、引きずってでも家に帰したりしてました。

そのせいか、委員長だとか、合唱コンクールの指揮者だとか、先頭に立つ役割を半ば押し付けられることが多かったり。推薦式の投票制って、本人の意思を全力で無視しているんですよね。私はけっして手を上げないのに、気づけば舞台に立たせられている、ということがしばしばありました。

それ以外にも、教師陣からはいざというときに切れる安全牌だと思われていたふしがあり、遠足とかであぶれた子がいると、必ず私のところにお鉢が回ってきました。一緒のメンバーは嫌がるので、それをなだめて説得するところまで私がやらねばならず。

そんな都合のよい、断らない人間として苦労しないよう、子どもたちの性格までは私に似ないことを願っています。

他にも難儀な性格なので、世の中生きづらいし、苦労も多くあります。子どもたちには私よりもっと生を謳歌して、人と人との関りを大事にし、実り多い豊かな人生にしていってほしいなと思います。

私も『異類婚姻譚』の私と同じなのかもしれません。今いる現状に甘んじて、もっと懸命に手を伸ばせば届く人生があるのかもしれないのに、暖かい布団の中でぬくぬくとしている。

いつか私も、布団を出て日差しの下、自分の人生を胸を張って生きることができる日がくるでしょうか。

少し湿っぽくなってしまいましたね。反省、です。
それではまた次回の読書記録でお会いしましょう。

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