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play dead

 もういやだ。おれは死ぬ。
 三番目に目覚めた男は、何人目かの女が目覚めると、そう言って騒いだ。
「早まるな。状況など分かっていないのだから」
 冷静な男が諫めるが、そんな諫言など効き目がないかのように、その男は死ぬと繰り返した。
「おれは未来になんかいかなくていい。地獄を見るのはいやだ」
「未来が地獄と決まったわけでもなかろうに」
 中年の逞しい男がそう言うと、小柄な聡そうな女も頷いた。
「それに死ぬって言ったって、どうやって」
 男は女の問いに、「こいつを飲む」とカプセル状の物体を示して見せた。
「毒か」と冷静な男は動じない。
「お前さん、なんでそんなものを持っている」
 逞しい男の言葉に、男はくくくっ、と卑屈そうに笑って、「おれはお前たちとは違う。恐怖と真正面から戦うのはごめんだ」、と言ってカプセルを口に放り込み、何人かの男と女たちが駆け寄るのを待たず飲み込んで、やがてぶるぶると震え、喉を掻きむしりながら膝を突いて倒れた。
 聡そうな女が慌てて駆け寄って、脈を確かめるが、首を振る。「だめ。死んでる」
「おい、こいつ目覚めそうだぜ」と若い男が声を上げ、注目を集める。
「死んでしまったものは、仕方がない」と冷静な男が気遣うように聡そうな女の肩を叩く。
 そうね、と呟いて女は立ち上がり、新しく目覚める人間の方へと駆け出す。死んだ一人の男をそこに残して。

 ここはどこだ。開口一番にその男はそう言った。
 そこには十人くらいの人間がいた。だが、その誰もが男の問いに答えることはできなかった。
 全員、目覚めたらこのホールの中にいて、順番に男と同じ問いを繰り返したのだ。最初の一人の問いを聞いた者はいなかったけれど、彼もきっと心の内で呟いたに違いない。
 ホールは円柱形で、その中心に五角柱の太い柱が伸びていた。ホールの中は雑然としていて、おもちゃ箱をひっくり返したような有様だった。足元だけを見たって、ドライヤーやサーキュレイターなどの小型家電が転がっていたかと思えば、凍った何かの肉(たぶん牛肉だろう)や散乱した米などの食料品が散らばっているなど、落ちているものに統一性はなかった。
「なあ、ここはどこなんだよ。あんたら、誰なんだ」
 最後に目覚めた十人目の若い男は混乱した様子でわめいた。仕方ないことではある。みなもそうだったのだから。四番目に目覚めた看護師の女が足元に気をつけながら近づいて行き、男の手を取って「大丈夫だから」と繰り返して宥めた。
「おれたちも知らないんだ。ここがどこか。おれたちがどうしてこんなところにいるのか」
 六番目に目覚めた猟師の、中年の男が言った。彼は顎に生えた無精ひげを擦りながら、「髭の伸び具合から、多分今は午前六時だ」と自嘲気味に笑った。「髭時計か」、くっくと二番目に目覚めた大学生が押し殺した笑い声をもらした。
「俺は、確か、帰り道、歩いていたら、突然丁髷姿の道化師が現れて」
 十番目の男は頭を抱えた。それを冷ややかに眺めていた一番最初に目覚めた教師の男が、「質問に答えたんだろう?」と問いを投げかけた。十番目の男は恐る恐る顔を上げて、その場の全員を順に見回して、「そうだ。あんたらも?」と恐々言った。
「そうよ。『あなた方は未来へ行きたいですか』でしょ」
 八番目に目覚めたモデルの女が自分の爪を眺めながらさも関心がなさそうな声で言った。
 十番目の男は頷き、「ここは『未来』とやらなのか」とホールを見回した。
「まさか」と警察官をしている九番目の中年の女は笑った。「そんなこと、ありえないわ」
「私はなくもないと思うがね」
 五番目に目覚めた銀行の頭取はたっぷり太った腹を揺らして、足元に落ちていた女の子の人形を蹴散らす。それを見て七番目に目覚めた専業主婦は顔をしかめて、「どうしてわたしたちなんでしょう」と教師の方を見て訊ねるので、彼は肩を竦めて「さあ」と気のない返事をした。主婦はまだ何か言いかけていたが、頭取の「誰か私を出したまえよ!」という苛立たしい叫び声に妨げられて押し黙った。
「だが、これで全員目覚めたことになる」
 教師はそれぞれを見回して腕を組み、顎に手を添えて考え込むと、「何かが起こるのではないか?」と呟いた。
 そうだな、と猟師は同意しながら、「おい、最後の。お前さん、仕事は何をしていた」と問いを投げかける。
 十番目の男は当惑しながら、「そ、それが何の関係があるんだよ、これと」と拒む姿勢を見せたので、教師は鋭い一瞥を投げながら、「互いに肩書で呼び合うよう協議した。名前を明かすよりいいだろう」と冷たく言った。
「どんな奴がいるか分かんないしー。ま、あたしは調べればすぐばれちゃうけど」
 モデルはそう言って、「にしても、だっさい服。病院着?」と全員が共通して着ている薄緑色の薄手のズボンとシャツを掴んで、不服そうに口を尖らせた。
「お、お宝発見!」
 大学生は足元の雑多な品を漁って、その中から日本刀を見つけ出した。子どもの玩具、あるいは模造刀だと誰もが思っただろう。大学生が、その刀で落ちていた大根を何の淀みもない太刀筋で両断するまでは。
「は?」
 大学生は狼狽え、大根と刀とを見比べていた。そこへ慌てて看護師が近寄ると、切っ先に自分の指を添えて力を込める。すると、ぷつりと切っ先が看護師の指の皮と肉を裂いてめり込み、鮮血が丸く膨れた。
「これ、本物よ」、看護師がやむなく傷口を口に含んで血を吸うと、顔を青白くさせながら言った。大学生も恐怖に駆られ、思わず日本刀を落とし、「な、なんで本物がこんなところに」と慌てふためいた。
「そんなものが、必要になるかもしれないってことかしら」
 警察官の女がそう推測して言うと、主婦も「そんな感じしますね」と同意した。「必要って、例えば」と大学生が落ち着きを失しながら訊ねると、警察官は苦笑して、「それは分からないけど」と首を振った。
「それで、十番。あんたは何をしている人だ」
 猟師は人懐っこい邪気のない笑みを浮かべて十番目の男を見やって訊ねた。十番目の男はしばらく渋っていたものの、やがて諦めたのか、「無職だ。定職には就いてない。就職活動中だったんだ」と言いにくそうに言った。
「そうか。そいつは言いずらいことを訊いてすまなんだ。だが、なあ、これは。どうする、先生さんよ」
 猟師は困ったように頬を掻き、教師に助けを求める。
「フリーターでいいのではないか」、と教師はさして関心もなさそうな口ぶりだが、視線はフリーターをじっと捉えていた。
「まあ、無職、よりはましか。お前さんもいいな。ここにいる間だけのことだ。我慢せいよ」
 フリーターは黙って頷いた。
「ところで、何にも起こらんじゃないか」
 頭取は苛々して足を踏み鳴らしながら、教師を忌々しそうに眺めて不平を述べた。
「私に訊かれても困る。私は推測を述べたに過ぎない」
 頭取が舌打ちし、「生意気な若造が」と吐き捨てると、警察官は苦笑して「まあそう苛々しなさんな」と宥めた。
「そ、それで三番の方なんですけど……」
 主婦は恐る恐る言った。教師はため息を吐いて首を振り、「放っておけ。もう何をしても無駄だ」と切り捨てて、話を打ち切った。
 すると突然五角柱の柱が音を立てて動き始める。柱が下がって床の下に飲み込まれていくが、どれだけ飲み込まれても天井から途切れる気配はない。どれだけ長い柱なのだろうか、と思っていると、柱の途中に黒い点が現れ、それが徐々に近づいて大きくなっていくと、どうやら柱に空いた穴らしいということが分かる。
 柱の穴が床から五メートルほどの高さまで下がったところで、柱の駆動は止まった。何かが起こると息を飲んで身構えていた全員だったが、柱が止まった後はしんと静まり返る静寂ばかりが漂って、何かが起こる気配を見せようとしなかった。
「なんだ、こけおどしかい」、と警察官が痙攣した口角を吊り上げて笑みを浮かべ、柱に背を向けた瞬間、柱の黒い穴から何かが飛び出し、警察官の後ろに飛び降りた。
「警官! 後ろだ」と猟師が叫び、警察官が振り向くが、彼女の首が回りきる前に、その首は何かによって刎ねられ、弾き飛ばされた首は落下してごろごろと転がり、主婦の足元で止まった。警察官の体は首から血を滴らせながらよろめき、倒れると、それを合図にしたかのように主婦の凍えるような恐ろしい絶叫が響き渡った。
 何か、は目にも止まらない速さで移動すると、何が起こったのか理解できず、逃げ惑う全員を嘲笑うかのように大学生の左腕を斬り落とす。大学生は痛みと苦悶のあまり叫ぶが、何か、はとどめを刺さず飛び去る。
「ちっくしょう。何なんだよ、一体よ」
「固まるな。一網打尽にされるぞ」
 猟師が腕を振って必死に走り逃げ、教師は無闇に逃げ回らず、冷静に状況を分析して対応しようとしていた。
 何か、が動きを止め、地面に降り立ったときに、その場の全員が息を飲んだ。いつの間にかモデルは腹を串刺しにされ、何か、の腕らしき部分に力なくぶら下がっていた。
 何か、は頭部は人間のものだった。ざんばら髪の女で、顔は異様に青白く生気がない。顔の白さに反するように唇は紅で、見開かれた目は瞬きをせず血走っていた。そして頭から下は異形としか言いようがなかった。胴体は甲冑を纏ったような、甲虫の腹に似ていた。腹からは無数の足が伸び、めいめいがばらばらに蠢いている。その足とは別に四肢が存在し、足は四足獣のような毛むくじゃらのもので、腕は無機質な機械の鉄骨になり、先端には巨大な鎌が生えていた。その鎌の先端に、モデルがぶら下がっている。背中には猛禽類のような巨大な翼が生えており、羽ばたくと床に散らばった雑多なものが飛ばされるほどの勢いで風を起こした。
「な、なにこれ……」
 看護師が絶句して声を漏らすと、怪物はぐるりと首を巡らせて看護師を見つめ、翼を羽ばたかせて浮上し、空中を滑りながら飛んですれ違いざまに看護師の首を刎ねた。看護師の首と、刺さっていたモデルの体が抜けて吹き飛び、頭取を直撃して彼は気を失って倒れた。
「猟師! さっきの日本刀だ。あれは、こういうときのためのものだ」
 教師が叫ぶと、猟師は「なるほど」と合点がいったように叫ぶが、日本刀がどこに紛れてしまったか、あまりに雑多なもので溢れた床では分からず、「畜生!」と悪態を吐いて、床のものを蹴散らした。
「さっきの刀一本とは限らん。全員探せ、死にたくないならば」
 生き残った者全員で怪物の恐怖に怯えつつ、足元を探り始める。怪物はその様子を見てまるで「待て」をされた従順な犬のようにその場でぴたりと動きを止め、目だけをくるくると回してその場の様子を眺めていた。
「何をしているんだ」、思わず教師は足を止めた。「私たちが戦えるようになるのを待っているのか」、教師は足元に落ちていたアーミーナイフを怪物の目を盗んで懐に忍ばせ、まだ見つかっていないふりをして別の武器を探した。すると長柄の槍が見つかって、槍を持ち上げると相当な重量で、やたらめったらに振り回すのは無理だな、と苦笑しながら、「何か見つかったか」と声を上げた。
「おおう。こっちには猟銃があったぞ」と猟師。
「こっちはさっきの日本刀です」と主婦。
「だめだ、ナイフしかない」とフリーターは悲鳴じみた叫び声を上げる。
「頭取と大学生はだめだ、戦えん」と猟師が声を上げると、怪物の首がぎりぎりと動いて、武器を持った四人を認めると、翼を羽ばたかせ始める。
「私たち四人でやるしかない。猟師」
 心得ているよ、と猟師は叫んで猟銃を構え、怪物の頭に狙いを定める。
 怪物も狙いを最も脅威となる猟銃を持った猟師に定め、鎌を振りかぶって飛ぶ。怪物の飛行は速かったが、猟師はそれでも狙いを外さなかった。
 猟銃は火を吹いて怪物の額に命中し、頭を弾き飛ばした。頭蓋が割れ、脳漿が飛び散った。だが、それでも怪物は止まらなかった。勝利を確信していた猟師は当てが外れ、それが何を意味するかを悟ってこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。猟師は慌てて第二射を装填し、引き金に指をかけるも、怪物は猟師の前で静止し、猟師の首を刎ね飛ばした。首は宙を舞って床に落ち、転がった。
 そこから間髪入れずに教師が槍を構えて突進していて、怪物の腹を背中から貫いた。
「すまん。囮にした。許せよ、猟師」
 槍を有効活用するには、確かに教師の手は有効だった。槍を振り回すことができない以上、点で攻撃しかできない。となれば、怪物の足が止まる瞬間の点を狙って突き刺す。それが槍を用いての攻撃の最適解だ。だが、猟師も教師も誤算だったのは、二人の攻撃が怪物の急所からは外れていたということだ。
 怪物は振り返ると、教師を蹴り飛ばした。教師は宙を舞って吹き飛び、床に強かに体を打ち付けた。
「教師さん――、猟師さん――」
 主婦は絶望したように叫んだ。構えた日本刀がかたかたと震えていた。
「か、貸して。俺がやる」
 大学生がよろめきながら主婦に歩み寄って行き、その手から刀をもぎ取る。「でも、その怪我じゃ」、主婦が動揺し、おたおたとしながら言う。
「主婦のおねーさんは、猟銃を取りに行って。あれが一番有効な武器だ。その間の時間は、俺が稼ぐから」
 大学生は走り出し、怪物の注意を引く。怪物は主婦から大学生へと照準を移したようで、主婦には見向きもせず飛んでいく。
 主婦は猟銃目がけて走り出す。大学生は刀を振りかざし逃げ回っていたが、やがて怪物に追いつかれ、抵抗虚しく首を刎ねられてしまった。
 主婦は恐怖と義務感に焦りながら走った。一度振り返ると、怪物はこぼれた脳を垂らしながら、無表情に彼女を見つめていた。その後はもう、振り返ることができなかった。目の前には猟銃が転がっていた。近くに教師が倒れているが、動かない。死んでしまったのだろうか。恐慌に陥りながらも主婦が猟銃を掴もうと手を伸ばした、そのとき。
 彼女は何かに足を掴まれ、倒れた。猟銃の銃床に手が触れたが掴めず、銃は触れた拍子に滑って離れた。
 怪物に掴まれたのか、と決して振り返りたくなかったが、主婦は意を決して振り向いた。彼女の手を掴んでいたのは人間の手だった。フリーター? と思って顔を上げると、フリーターは怪物に追いつかれ、腹を鎌で貫かれていた。だがただでは死なず、怪物の右目にナイフを刺し、足でナイフの柄を蹴り落として、首筋まで引き裂いた。そこで初めて怪物は生物らしい動揺を見せ、ナイフを厭うように振り払った。フリーターは血の塊を吐きだしながら、「こいつの弱点は首だ」と叫んで、そしてぐったりと倒れた。
 じゃあ、誰が足を、と掴まれたのとは反対の足でぬいぐるみや枕などを蹴り飛ばすと、そこから出て来たのは顔面蒼白で、卑屈そうな笑みを浮かべた頭取だった。
「死にたくない。死にたくない死にたくない。死にたくない」
 読経のように頭取は繰り返す。主婦はなんとか頭取の手を引きはがそうとするが、足をいくら振っても、頭取の顔を蹴り飛ばしても、彼は決して手を離さなかった。それどころか、主婦の足だけが命綱であるかのように、ますます手を食い込ませるので、主婦も痛みに顔を歪めた。
 最早猶予はない。生き残っているのは主婦と頭取だけで、しかも頭取は使い物にならない。なら、自分がやらなければ。誰も助けてはくれない。首を刎ねられて死ぬのは嫌だ、と主婦は渾身の力を込めて頭取の鼻目掛けて足を振り下ろした。鈍く、湿った音がして、主婦は踵が濡れた感触を覚える。
 頭取は呻き声を上げ、掴む力が緩んだため、主婦はその隙に足を引き抜く。「いやだ、やめてくれ。一人にしないでくれ――」
 頭取は悲壮な叫び声を上げるが、すぐに、うごっ、という呻き声に変わり、それっきり静かになった。それが意味するところを主婦も分かっていた。
 あと、わたし一人。
 生き延びる。なんとしても、生き抜いて見せる。生存への一念、凄まじいまでの執念による力で、主婦は跳んで猟銃を掴み、転がって起き上がり、銃を持ち上げようとする。
 だが目の前には鎌を振りかぶった怪物がいた。銃を構えて、撃つ。素人の自分がその動作を完了するまでに要する時間より、怪物が鎌を振り下ろす時間の方が短いに違いない、と主婦は悟った。死ねない。死にたくない。でも、どうしようもない。諦めかけながらも、無駄とは知りながらも反撃の手を打とうと銃を持ち上げる。
 その瞬間、怪物と主婦との間に割って入った影があった。影は怪物の鎌の根元目がけて突っ込み、自身の身を以て鎌を受け止めた。
「今の内に、首を吹き飛ばせ!」
 教師だった。気を失っていた教師は覚醒し、状況を速やかに判断すると、痛む体に鞭打って怪物と主婦との間に跳びいったのだった。そして懐からアーミーナイフを抜き、怪物の首筋目掛けて振り下ろすが、割れた頭で受け止められ、ぐじゅりと湿った音をたててナイフは飲み込まれた。
 主婦は猟銃を構え、狙いを首に定めようとする。だが、初めて持つ銃の重みと、その一発を外したら全員死ぬという重圧がのしかかり、正確に照準を定めることから妨げていた。銃口が震えて揺れ、歯がかちかちと音をたてる。
 怪物は教師が押えた鎌に見切りをつけ、反対の鎌を振り上げる。ああ、教師も首を落とされる――。主婦が覚悟したとき、教師はふっと笑った。
「君ならやれる。頼む。見ず知らずの間柄だったが、せめてみんなの仇を――」
 怪物の鎌は教師の首を容赦なく斬り落とした。
 教師の頭が転げ落ちていくのを見て、主婦の恐怖と緊張は限界点を超え、彼女は糸が切れたような感触を感じていた。すると体が自身の意思とは別の糸で動かされているように勝手に動き、銃を構え、照準を怪物の首に合わせ、自然と引き金に指をかけた。
「わあーっ!」と主婦は鼓舞するように叫び、引き金を引いた。銃弾は過たず怪物の首へと飛び、喉の辺りを中心に吹き飛ばした。
 怪物は振り上げていた鎌をゆっくりと下ろし、全身が弛緩してその場に崩れた。
 やった。主婦は肩で息をしながらそう呟く。だが彼女の心には達成感や喜びより、全員死んでしまったという喪失感と悲しみが渦巻いていた。
 彼女は銃を放り投げると、よろよろと歩き出した。五角柱の柱が動き出し始め、再び降りてきて、怪物が飛び出してきた穴が地面すれすれのところまで下がったのだ。
 その穴へ向かうことが正解かは分からなかった。また怪物が飛び出してくるのかもしれない。ただ、このホールには他に何もない。あの穴を調べなければ、何も進まないように思えた。
 ああ、と嘆息しながら、彼女は息子のことと夫のことを思い出す。二人は今何しているだろう。わたしがいないと何もできなくて困っているだろうと思うと、一刻も早く帰らねば、という気持ちになる。
 そうして歩き、穴が目前に迫ったところで、彼女はどんという衝撃と、胸に鋭く激しい痛みを感じた。歩く力が抜けた彼女は、震えながら自分の胸の辺りを見ると、日本刀が突き出していた。入院着のような服が瞬く間に血で染まっていく。
 なぜ、どうして。生き残っているのは、わたしだけなのに。
 振り返ると、そこには死んだはずの三番目の男が立っていた。興奮して頬が上気し、荒く呼吸をしている。
「なん、で」
 主婦はそう呟いて、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「残念だったな。おれが飲んだのは一時的に死を偽装できる薬だ。前のトライアルの勝者の景品の一つとして獲得したものだ」
「前の、トライアル……?」
 三番目の男は引きつった笑みを浮かべる。男の狡猾さや冷酷さがにじみ出たような笑みだった。
「そうだ。あの怪物と戦い、生き残り一人を決める。これはそういうゲームだと、おれたち勝者は考えている。トライアルで三度生き残れば、解放される。そういう仕組みだ」
「そん、な……」
 命を賭した戦いがゲームだなんて。それなら、無惨に死んでいった八人と、そしてこれから死のうとしている自分の死の意味はなんなのだろうと、もう腹立たしささえ覚えず、ただしつこい油汚れのようにその疑問がこびりついて離れないのだった。
「トライアルをやると、大体生き残りが何人か交じるもんなんだが、今回はラッキーだった。おれ一人だったからな。死の偽装薬だけで勝てたんだから、儲けものだよ」
「わたし、たち、が死ぬのを見て、いたの」
 ふん、と男は鼻を鳴らす。「結局は殺し合いになるんだ。おれが殺すか怪物が殺すかの違いだろ」
 男はそう言って主婦の背中に足をかけ、刀を引き抜く。うっと呻き声が主婦の口からもれるが、反射のようなもので、死にかけた彼女の体は痛みも苦しみももはや感じられないでいた。
「あの世には刀はいらないだろ。次のトライアルにもらっていくぜ。おれもあと一勝で解放だ。次もお前らみたいな間抜けなら楽なんだけどな」
 そういって調子が外れたけたたましい笑い声をあげると、男は穴の中に消えて行った。
 主婦は懸命に手を伸ばした。床を掴み、這って進もうとした。出口へ、出口へ。まだ死ねない。
 だが、無情にも柱は起動を始め、穴はどんどん上方に上昇していくと、やがて天井の中に飲み込まれ、見えなくなってしまった。
 主婦の目の前には子どもの遊ぶ、木でできた列車の玩具が置いてあった。彼女は血に濡れた手でそれに触れると、愛おしそうに撫でた。そうしていると、夫と息子の笑い声が聞こえてくるような気がした。
 意識が薄れていく。自分が死ぬのだ、という冷酷な現実が自分の身にのしかかり、圧し潰そうとしていた。彼女はその重圧を受け入れ、圧し潰されて朽ちる己の運命を悟り、ただ涙を流した。
 ああ、あの人とあの子に、もう一度でいいから、会いたかった……。
 彼女は事切れる最期の最後のときまで、夫と息子のことを考えていた。

〈了〉


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