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真剣勝負

 少年は拳を握りしめ、右足をわずかに引いて体を半身開いた。
 握りしめた拳には、必要以上に力が入る。勝負の機会は限られている。負ければすべてが終わる。
 少年は汗ばむ握りしめた右手を包むように左手を添え、顔を上げた。目の前には、不敵な笑みを浮かべた少女が立っている。
 少女は構えることもせず、腕を組んで悠然と立ち、口角をほんの少しだけ上げて笑みを形作ると、既に表情には勝者の風が吹いていた。
 その風は少年の目には、少女の三つ編みにした黒髪を揺らし、浅黄色のスカートをはためかせているように見えたが、ここは屋内であるからして実際に風が吹くことはなく、過剰な少年の自意識が見せた幻想である。
 一方の少女は泰然自若として立っているように見えたが、彼女は内心疑心暗鬼だった。昨日は少年に勝利はした。それも少年の癖と心理を読み抜いた上での、完全な勝利だった。だが、鮮やかすぎる完全勝利を遂げてしまったがゆえに、いくら単純な少年と言えど、何か対策を練ってくるのではないか、という疑いの種が彼女の中で萌芽していた。その一方で、そんなことを微塵も考えないような男、それが少年だ、と確信している部分もあって、少女は戦略を考えあぐねていた。
 無理に口角を引き上げたが、緊張感のあまり小刻みに震えているような気がするし、今思い出したのだが、朝から海老の天ぷらを食べたから唇が油でてかっていないか心配だった。腕を組んでいるのも、そうしていないと震えていることがばれてしまいそうで、自分で自分を抱きかかえて慰めるために、腕を組んでいた。指先に脇の辺りがじんわりと汗をかいてきている感触が伝わる。汗臭くないかな、と途端に少女は心配になるものの、それを表情に出さない辺りは流石である。
 少年は勝負であるからして、今日は長ズボンでやってきた。昨日は短パンで少女に勝負を挑んだため、緊張感からくる震えが膝に出て、それを少女に看破されたがために負けたのだ、と少年は信じていた。そこで少年はふと思った。今日も半袖で来てしまったが、長袖にするべきではなかったかと。肘に震えが出て、心を見透かされる恐れもある。ああ、自分はなんて愚かなのだろう、と少年は裸の肘を凝視した。
 少女は虫でも肘に止まったかしら、と訝しく少年の様子を見ていた。態勢は昨日と同じ。右半身を引き気味に、力を込めて構えた右の拳を放つ。単純だ。男子ってばかよね、と少女は内心でせせら笑った。
 そんなにがちがちに構えていたら、あなたの手の内が丸見えよ、と少女は落ち着きを取り戻しながら、少年、いや、年頃の男子全員の浅慮をあざけり、見下しながら組んでいた腕を解いた。
 もう震えはしない。こんな子どもっぽい男子相手に、この私が負けるはずがない、と昨日の勝者である少女は勝者のみがもつ優越感と余裕を取り戻し、両腕をだらりと下げ、無為自然に構えた。
 少年は少女のその様子を見てはっとし、奥歯を噛み締めた。愚かな少年なりに、彼女が自分を見くびっていることが分かり、悔しさと憤りのために、燃える焔を瞳に宿して少女を睨みつけた。
 少年の拳にはこれまでにない力が宿り、今だったらどんなものでも粉砕できるような気がした。女子に侮られることほど、男子の自尊心を傷つけるものはない。それは、心の根っこの部分では自分たちの方が女子に比べて子どもっぽいな、という自意識が支配しているせいかもしれなかった。
 だが、その大人ぶったプライドが、今日はお前を敗北に追い込むんだぜ、と少年は男子全員の声を代弁するように、内心で呟いた。この勝負は大人だから勝つものとは限らない。何事にも無心になれて、余計な雑念を入れない純粋な子どもの方が、大人の貧弱な想像力と頑なな理屈を上回って、勝利をもたらすこともあるのだ。
 少年は余計なことは考えない。反射だ。すべては反射。本能の赴くままに一撃を繰り出す。理屈を超えた野生が、今日は少女を撃ち抜く、はず。
 少女は理路整然と少年の思考を頭の中で巡らせてみた。相手は単純だ。単細胞な子ども。野生の獣といっていい。だとすれば、何も考えてこない、という最も愚かで最も賢明な選択をとってくるに違いない。ならどうするか。簡単だ。計算してこないなら、これまでの統計的な情報によって立って考えれば、自ずと答えは出る。
 共通の掛け声を、少年は炎が燃え立つように叫び、少女は静謐な湖の水面にさざ波がたつように声を上げた。ともに対照的ではあったが、気迫に満ちていた。達人の剣客が白刃を抜いて裂帛の気合とともに刀を合わせる、さながらそんな様相を呈していた。
 視線がぶつかる。二人の間の何もかもが、その勝負に収斂していく。
 さあ、いざ勝負、と二人の声が重なって響く。
「じゃーんけーん!」
 勝負は一瞬のことであった。あいこで仕切り直す、そんな無粋なこともなく、互いに振り上げた白刃を一振り、振り下ろしてすれ違った果てに、勝負は着いた。
 さあ、今日の給食のあまりのゼリー。それを獲得せし勝者は、いずれか。

〈了〉

■あとがき

今日は短編とも言えないごく短いものを。
考えないで書けるようなものなので、こうした物語の組み立てとかいらない断片的なものになってしまいますが。

こうした断片的な情景などを切り取って書くのもいいかな、と思っています。長編を書き上げるまでは。

一応、なんちゃってリドルストーリーです。
勝者については読者の方の数だけ、答えがありますので、色々と空想していただけると嬉しいです。


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