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ある殺人犯の告白

 やあ、あなたが私の話を聞きたいという酔狂な人だね。
 誰もが知りたがっている?
 ああ、そうかもしれないね。でも、私はパンダじゃない。衆目に晒されて、愚かな者たちの好奇を満たすような真似はしたくない。あなたからの取材を受け入れた条件、覚えているだろうね。
 そうだ。取材者は一人のみ。写真は撮らない。私の名前を含め、すべて実名は伏せた状態で書くこと。報酬は前払い金として二十万。原稿が出版された暁には成功報酬として五十万の追加。それから、この取材を打ち切る権限を私がもっていることだ。つまり、あなたが気に入らない質問をすれば、私はいつでもあなたを部屋から叩きだせるということだ。
 では、早速始めさせていただくとしようか。まずは何から聞きたい。
 ……ほう。いきなり確信を突いてくるのだな。いやいや、私はそういう女性は嫌いではないよ。いいとも。まずはそのことから話そう。
 私が彼女を、いや、彼女たちを殺した、その理由を。
 はは。顔色が変わったね。私の信条は「誠実であること」だ。それゆえあなたからの取材を受け入れたときに、私は事実のすべてを包み隠さずお話しようと決めていた。それは、私が逮捕され裁かれた一件の殺人だけでなく、犯したすべての罪について告白しようということなのだ。
 そうとも。私が殺したのは彼女だけではない。私は覚えている。美しい彼女たちの最期を。覚えておくこと。それは礼儀だ。命を奪い、その血を啜って生きる者が、彼女たちへ捧げうる唯一の。
 彼女たちの血は果実のごとく甘く、そしてビーツのように土臭い。それは人間が地に足をつけて生きるからだ。あくせくと土埃に塗れて生きるから、血の中にまでその不味さが移ってしまう。上流階級の人間? もちろん試したよ。だが奴らはだめだ。血の中にまで脂が染みついている。飲むだけでむかむかする。絶世の美女で知られたキャスリー嬢でさえもそうなのだから、他の者についてまで語る必要はないだろう。……キャスリー嬢の失踪にも関わっているかと。そんなこと、言わずもがなではないかね?
 私が思うに、樹に成る果実のように、宙づりだったならば、甘く芳醇な味わいがしただろう。だから、私はそれを試してみた。
 君が知っている、いや、世間が知っている、ユーリアの殺人だよ。
 彼女の鮮度を保つため余計な傷をつけないように心臓を一突きにし、街一番の高さを誇る時計塔の先端に宙づりにして一晩、血を熟成させた。あの日は風が強かった。ユーリアは華奢な娘だったが、それでも持ち上げて吊るすのには骨が折れたよ。吊るした後も、ユーリアが飛ばされないようにずっと見張っていた。なんだか燻製器で肉を燻製にするときの気分に似ていたな。今か今かと、血が熟すのを待ち続けた。
 だが、実験は失敗だった。土臭さは確かに減った。だが今度は下手くそなワインを飲んだ時のような鋭いえぐみが舌を襲ったのだ。果実のような甘さは減じて錆び臭い不純な味となり、とても飲めたものではなかった。
 だがユーリアをそこへ残していくことは気が咎めた。私はせっせと下ろし、彼女の遺体を担いで時計塔前の大通りを横切って都市公園を抜け、いわゆる鼠通りと呼ばれている後ろ暗い者たちの住まう道を抜けて彼女を車に詰め込んだ。不運だったのは、その日市街を警邏しているのが市民には名高き、悪党どもには悪名高きディッセル巡査部長だったのだからね。私は常々思っているが、世の小説家どもは、彼を題材にしたミステリを書くべきだ。彼の周りには、いつも奇妙奇天烈な事件が渦巻いているのだからね!
 彼は私を見つけた途端にぴんときて、彼一流の尋問の手口で私をやっつけてしまうと、私は忽ち自白に追い込まれてしまった。それにはもちろん、ユーリアを殺し、喪ってしまった悲しみが、私を不甲斐なくさせていたこともあるだろうがね。なぜならといって、私ほどユーリアを愛していた者は、この世にいないからだよ。
 なぜ自分で殺しておいて、愛や悲しみを語るのかだって? あなたには分からないだろうな。愛する者の命を自ら刈り取り、その肉体を損壊することの、悲しみに満ちた喜びを。あるいは、喜びに満ちた悲しみを。そこに伴う脱力、喪失感を。頭の中が沸騰し、魂まで蕩けてしまいそうな甘美な喪失感を。女性には、特にあなたのようなうら若き女性には、到底理解できぬだろう。
 お待ちになられるがいい。あなたは私と愛について議論するためにこのあばら家に来られたのか。そうではないだろう。
 ……落ち着かれたかな。よろしい。続きを語るとしようか。
 と言っても、逮捕された後の顛末についてはあなたもご存じのはずだ。あれだけセンセーショナルに報じられたのだから。刑期を終えた私がまず行ったのがどこかお分かりかな? ふふ、そうではないよ。図書館だ。私は図書館で自分の事件を報じた過去の新聞をすべて取り寄せ、該当する記事だけ切り抜いて盗み出したのだ。だっておかしいとは思わないか。事件の主役である私自身が、世間でどんな扱いをされているか知らぬなどと。
 さて、あなたの質問に戻ろうか。なぜ、彼女たちを殺したのか、だったね。
 そうだ。彼女たちを殺し、その血を飲むため。それも理由の一つではある。だが、すべてではない。むしろ副次的な行為だと言えるだろう。
 血を飲むという行為は彼女たちの肉体から漏れ出てしまう魂を損ね、自然に還すことをよしとしないがため、私の身の内に取り込んでいるに過ぎない。彼女たちは私の中で昇華し、新たな魂となるのだ。それは言うなれば生命の循環を私一人で担っているようなものだ。その入り口となる飲血という行為は、性交のようなものだと考えれば、あなたにも理解できるだろう。
 なにを言っているのか理解できない? 狂っている? そうか。あなたもそういう理解に留まってしまうのか。実に残念だよ。あなたは彼女たちよりも聡明そうだと思ったのに。
 あなたは似ている。私が最初にこの手にかけた娘、マリアーネに。ハープの弦のように煌めくその白銀の髪も、青というより緑に近い、南国の海のような瞳も。才智の高さゆえに高慢なその精神を覆い隠す、賢しい猫のような声も。何もかもが、マリアーネを想起させる。
 ……ああ、失敬。気が高ぶると、体が震えてしまってね。大丈夫。もう落ち着いた。
 マリアーネを殺したのは、私が十六のときだ。彼女は私の同級生だった。それだけじゃない。幼馴染で、おむつをした赤子の頃からの誼だ。彼女は賢く、運動神経もよく強く、そしてなにより美しかった。十六の頃には学校の内外の男たちがひっきりなしに交際を申し込むほどだったよ。中には大企業の若社長なんてのもいたな。
 だが、彼女はどんな男にもなびかなかった。どんなに秀麗な男でも、どれほどの富や財をちらつかされても、彼女はどこ吹く風と、そう、まるで自由気ままな風のように男たちの求愛をはねのけ、彼らの間を悪戯心たっぷりに吹き過ぎていって、笑っている。そんな娘だった。
 私は求愛しなかったのかって? したさ、もちろん。私ならばという淡い期待もあったがね。彼女はやはり笑って首を横に振った。
 だから殺した? まさか。そんなことで私は彼女を殺したりはしない。
 ある日マリアーネは告白した。彼女が愛する人は、百年以上前に死んだ人間なのだと。学校の倉庫の中に打ち捨てられていた学生兵の肖像画。その主に恋をしてしまったのだと。私は彼女に連れられて行って、学校の倉庫に忍び込んだ。そしてそこに隠されていた肖像画を見て、思わず身震いした。その油絵からは死臭が漂っていた。そこに描かれていた兵士は死にながら生きているような妙な生々しさがあった。後で調べて分かったことだが、その油絵に用いられていた絵の具を溶く油は、人間の脂が使われ、絵の具の中には肖像画の本人の骨粉が混ぜられていた。描いたのは学校の教師だった兵士の母親だった。額に書かれた日付から、百年前の戦争時のものであることは明らかだった。
 マリアーネはその死者の絵に接吻し、抱きしめてみせた。私はそこに崇高な愛というものを見た気がした。時間という強固な障壁を超えて交し合うマリアーネの愛こそ、真実のものではないかと。それが真実であるだけに、マリアーネにはもう一つの障壁を超えてほしいと思った。即ち、人と絵画という壁を。
 私はマリアーネに彼女の絵を描いて、兵士の絵と一緒にしたらどうか、と提案した。彼女は大いに喜んで、本当の子どもの頃にしかしてくれなかった接吻を雨のように私の頬に降らせてくれた。私はそれだけでもう、報われた気になっていたが、マリアーネのため、最後までやり遂げることを固く決心した。
 私たちは美術室から画材を盗み出して倉庫に隠すと、放課後になると合流して、彼女の肖像画を描き始めた。私はコンクールで金賞をもらったことがあるくらい、絵の腕には自信があったので、スケッチの段階で彼女は気に入り、私の首にしがみついて大喜びしてみせた。
 いよいよキャンバスに描いていく、という段階になったとき、私は授業を仮病を使って抜け出し、一足先に倉庫に入って準備を整えた。兵士の肖像画は、愛する妻の姿がよく見えるよう、キャンバスの代わりにイーゼルに立てかけた。
 マリアーネがやってくると、私は祖父の家から盗み出していた鉈を後ろ手に隠しながらにこやかに彼女に近付き、やあ、と挨拶すると、彼女の顔が引きつった。私は平静でいたつもりだが、表情にはただ事ならない色が浮かんでしまっていたのかもしれないね。
 マリアーネが逃げ出そうとするので、私は慌てて彼女の後頭部に鉈を振り下ろした。人間の頭蓋というのは硬いもので、頭皮を裂いて骨まで達した感触はあったものの、骨を断ち割れたとは思えなかった。
 マリアーネは前のめりに倒れ、後頭部から流れた血が顔の辺りまで垂れて広がっていた。振り返りながら青ざめた顔で私を見上げ、どうして、と何度も繰り返したので、私は幼い子どもでも理解できるよう、言ってやったのだ。
 マリアーネの兵士への愛にいたく感動したこと。その愛が成就するよう、マリアーネも兵士のように絵になるべきだということを。
 そこに至ってマリアーネは泣いて訴えた。兵士じゃなく私を愛するから許してほしいと。私は激しい怒りを覚えたよ。憎悪といってもいい。私が信奉していたマリアーネはそんな軽薄な女性ではない。たとえ彼女本人であっても、彼女を汚すことは許せなかった。私は是が非でもマリアーネの命と魂をキャンバスに封じ込め、兵士と添い遂げさせなければならないと考えた。
 私は手に持った鉈を無我夢中で振り下ろした。何度も何度も、彼女の美しい顔を叩き割り、眼球が転げ落ちても、もはや動かなくなっても鉈で叩き続けた。そして我に返ったとき、彼女は完全に絶命していた。
 正気に返った私は慌てて彼女の血を掬い集め、髪の毛を剃って細かく切り刻んですり潰し、彼女の指や眼球、鼻、唇、といった彼女を象徴する体の部位も削いで潰し、細かくした。そうして作ったものを絵の具の中に溶いていき、一心不乱に絵を描いた。私の全身全霊を込めて、マリアーネへの清浄な愛を込めて絵を描き上げた。
 その絵と兵士の絵は、今もこのあばら家の中で仲睦まじく眠っている。美しいとは思わないか。私のマリアーネへの愛と、マリアーネと兵士の愛とが結晶化して出来上がった絵。愛は障壁を超えるほどに崇高なものとなっていく。超え難い壁を超えたマリアーネたちの愛は、天上の福音にも勝るものだろう。
 これでお分かりかな。私は己の快楽や悦楽のために殺人を犯す能無しの愚か者どもとは違う。私の行いは「完成」なのだ。未完成な存在として生まれてきた人間を、「死」という絵の具で彩り完成させること。それが私の行為だ。殺人とはあくまでも完成のための手段に過ぎない。目的ではない。   
 死とは通過点だ。死の先にある「完成」こそが重要なのだ。人間はそのために生きねばならない。私は、その手伝いをちょっとしているだけだ。
 ああ、お嬢さん。そんなものは下ろすがいい。そのようなものを振りかざしている時点で私の話が理解できていない証拠だ。お嬢さんは恐らくユーリアの関係者だろう。敵討ち、というところが目的かな?
 死とは通過点だ。その通過点を私が通してやったのが十一人。なんにせよキリの悪い数字だ。
 何を言っているかって? 簡単なことさ。私は待っていたのだよ。若くて聡明で美しい、十二人目が現れてくれることを。

〈了〉


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