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虚構日記~5月26日~

 序文

 私は小説家だ。と名乗るのはおこがましいか。まだ世に出てすらいない、孵るかも分からない卵にすぎない。
 これはあくまでも私の個人的な記録だ。小説ではない。もしこの記録を目にする稀有な人がいたとしたら、ここに書かれていることを小説とは捉えてほしくないけれど、だからと言って事実だとも思ってほしくはない。
 じゃあ、何だと思えばいいのだ、と言われることだろう。だから私はこう提言しておく。
「この文章は、虚構の物書きが日々を綴った事実の一片だ」と。
 書き手が虚構なのだから、その体験などは事実であっても虚構にすぎない。だが事実を書いている以上小説ではない。言葉を弄しているにすぎないだろうか? だがそれでいい。あなたがこれを小説だとも事実だとも思わなければ。

虚構日記

 私は日記をつけることにした。だが、そこに書かれていることはすべてでたらめである。嘘のみでできた日記を記すのだ。
 第一日、私は一人で過ごすことが寂しいので、自分のパートナーとなる虚構の人物を創作することにした。私は男性であるからして、パートナーは女性がいいと思った。ではどんな人物を創作しようかと考えて、過去の自分の創作物をヒントに作り上げるのがよろしかろうと考えた。
 燃えるような赤髪、ロングヘア―。髪と同様情熱を宿す緋色をしていながら、冷めた玉のような冷静な瞳。手足はしなやかにすらりと長い。漆黒のコートを身に纏って、といきたいところだが、今の季節柄合わないので、ブラウスに赤いロングスカート。スカートにはスリットが入っていて、動きを阻害しない。
 名前はシャルロッテ。ゲーテの『親和力』の人物から採用した。長いので愛称シャルで呼ぶことにする。ドイツ語名だが、出身は日本ということにしておこう。両親がドイツ語圏の国の出身であることにして。では、以降シャルは私の無二のパートナーとして日記に登場させることにする。

 五月二十六日(日)
 シャルを連れて川べりの土手を散歩した。
 向かいから犬を連れた老人が歩いてきた。真っ白な豊かな髪を揺らし、にこにこと犬を見て歩いていた。
 犬はいわゆる柴犬で、優しい穏やかな顔立ちをしていたから、メスなのだろうと思った。行儀よくとことこと飼い主の老人の前を急ぐでもなく、老人を引っ張るでもなく歩いていたので、可愛らしいなと私も微笑んだ。
 シャルは仏頂面のまま犬に向かって足早に近づいて行くと、老人がぎょっとした顔をして身構えた。
「失礼する」とシャルは老人に向かって頭を下げると、スカートの裾を払って犬の前にしゃがみ、そっと頭に触れるとにやりと笑って、わしわしと頭を撫で回した。犬は警戒するでもなく、シャルのなすがままに任せて、大人しく頭を撫でられていた。
「お前は賢い奴だ」
 シャルは感心して首の辺りをくすぐると、もっとと言わんばかりに犬は首を上げてシャルに体を摺り寄せる。その様子を見ていて老人もほうと感心したように息を吐いて、微笑ましそうにシャルと愛犬とを眺めていた。
「シャル、その辺で」と私がシャルの肩に手を置くと、シャルは振り向いて無感情な眼差しを私に向けてきたが、私にはそれが名残惜しい感情を宿した瞳だと分かった。
 シャルはぐるっと顔を老人に向けて、「この子、名前は」と訊くと、老人は「ミカだよ」と答えた。
「ではまたな、ミカ」
 シャルは後ろ髪を引かれる思いで頭を一撫でして立ち上がると、「では行こうか」と私の手を取る。私と手を繋ぐということは、相当に名残惜しいらしい。私はくつくつと笑うと、シャルはきっと鋭い眼差しを向けて、「何がおかしい」と口を尖らせるのが、また可愛らしいと思う。
 老人と犬と別れてしばらく歩くと、河原に下りる階段があるので、下りてみることにする。今日は天気がいい。予報では曇りのち雨、という予報だったけれど、空には雨雲もないし、太陽と青い空が覗いている。日差し厳しく暑さすら感じるので、水のせせらぎに耳を浸して気持ちを涼ませるのもいいかもしれない、と思った。
 河原に下りて、私は配慮が足りなかったことを恥じた。シャルは黒いヒールの靴を履いていたのだ。それでは河原のごつごつとした岩だらけの中を歩くのは辛かろうと思ったが、シャルは平然と岩を踏みしめ歩いている。どんな平衡感覚をもっているのだろうか、と私は感心しきりだった。心配は杞憂だったらしい。
 河原を歩きながら、私たちは取り留めもない話をした。昨日の夕食の話。今日の朝、どこからかメカトンボが飛んできて、我が家のガジュマルの葉を五枚毟り取っていったこと。私の作品の批評。そんなことをだ。
 すると上流の方から、川の流れにゆうらりゆうらりと揺られて、木の桶のようなものが流れてきた。桶は私が両手を広げたくらいの幅があり、右に左に揺られて流れてくる。私は川に洗濯にきたおばあさんが誤って流してしまったのではないかな、と思ったが、シャルは桶を見るなり「桃は入っていなさそうだな」とつまらなさそうに言った。
「昨日お前の小説を読んで、桃太郎を思い出した。私のところにも赤子が流れてこないものか」
 シャルは遠くを見つめながら寂しそうに言う。
「子どもがほしいのかい」、私は驚いて目を見開きながらシャルを見つめた。
 ああ、とシャルは頷いて足元の平たい石を拾い上げ、川面に向かって放った。石は水面を五回ほど跳ねると、対岸に飛び出し、その先にあった岩に突き刺さった。
「私に子どもがいたら、鬼など歯牙にもかけない強者に育ててみせる」
 いやいや、と私は手を振って苦笑する。シャルらしいと。
「おじいさんもおばあさんも別に桃太郎を戦闘マシーンに育てたかったわけじゃないんだから」
「そうなのか?」と真顔で振り向いたシャルの目は怪訝そうだった。
 そんなやり取りをしている内に、桶が近くまで流れてきたので、川の中に入って桶を拾い上げた。両手で抱えるのがやっとの大きさで、ずっしりと重かった。
「これはなんだ」とシャルは桶の中を覗き込んで、中のものを指さして首を傾げる。
「ううーん、鬼、かな」
 私ははあはあと息を吐きながら、桶の中を覗き込む。桶の中では額から二本の角が生えた、着物姿の小さな子どもが横になってすやすやと寝息をたてていた。見た感じ人間の子どもと遜色ないのだが、どう見ても頭に生えた二本の角は飾りではなく本物に見えた。とすると、これは桃太郎ではなくて鬼の子が流れてきたのだろう。
「鬼の子を育てたらまずいか」
 シャルはきらきらと星が瞬きそうなほど目を輝かせて言うので、私は渋い顔をして「まずいんじゃないかな」と釘を刺しておいた。
「桃太郎が勝てないくらい強くなっちゃったら大変だろう」
「それはそれで趣がある」
 用法を間違えていないか、と思ったが敢えて追及はせず、とりあえず鬼の子をそのままにしてもおけないので、桶の中から抱きかかえた。桶が重かったから鬼の子も重いかなと思ったのだが、鬼の子は存外軽かった。まだ一歳になるかそこらの幼児の軽さだ。
 鬼の子はむにゃむにゃと口を動かして、親指をくわえると、ちゅっちゅと吸い出す。着物などは濡れていないので、風邪などひかないだろうかと心配していたが、一安心する。
「さっきの犬、ミカに通じるものがある」
 シャルは表情を緩ませて、微笑みを浮かべた。おお、と私は驚いて目を見張る。シャルが笑顔を浮かべるなんてことはなかなかないことだ。
「なあ、やはり私がこの子を育てたい」
 シャルは私に向かって両手を差し出す。鬼の子を渡せという意味だろう。渋ってシャルの機嫌を損ねるのも危険なので、私は大人しく鬼の子をシャルに渡す。
 シャルはおっかなびっくり、ぎこちない手つきで抱きかかえると、「よしよし、いい子だ」と体を揺さぶってあやした。
「この鬼の子を強く育てたいのかい」
 いや、とシャルは目を瞑って首を横に振った。
「この愛らしさを伸ばしてやりたい。そして世間に知らしめたい。うちの子が一番だと」
 もううちの子になっている、と失笑すると、シャルは不機嫌そうに「不服か」と私を睨みつけた。
「いや、そうではないよ」と否定するものの、懸命なシャルがおかしくてまた笑ってしまい、シャルの顔つきが険しくなっていく。
「アイドルにでもするかい」
「それはいい考えだ」とシャルは大きく頷く。
 だがシャルは鬼の子に視線を落とすと表情を曇らせる。どうしたのかと訊くと、眉を曲げて悲しそうな顔をして顔を上げる。
「私には歌も踊りも心得がない。それどころか愛嬌すら。そんな私ではこの子の才能を十二分に引き出してやることなどできそうもない」
 なんだ、そんなことか、と胸を撫でおろして、私はシャルはそのままでいいんだよ、と言ってやった。苦手なことは得意な人に任せればいい。シャルはそのままで、と鬼の子の頬を人差し指でさすり、シャルの悲し気な頬をさすってやって、笑いかけた。
 ありがとう、とシャルは呟いた。
 そうして私たちは鬼の子を家に連れて帰ることにした。隣の家のカズくんがベビーベッドを使わなくなったというので譲り受け、その他乳幼児の育児に必要なものを近所の西松屋で買い揃え、鬼の子の育児がスタートした。
 まずは名前を決めなければ、と思った。私とシャルはそれぞれで名前を考え、披露していくことにした。そもそも鬼の子は男の子なのか、女の子なのか、という問題になり、私とシャルが確認すると、鬼の子は女の子であった。そういえば、どことなく顔立ちが優しげな気がした。
 シャルが考えた名前は、逆鱗丸とか、ネーミングセンスが壊滅的な名前だったり、グスタフなどドイツ系の名前(しかも男性名)ばかりだったので却下した。じゃあどんな名前がいいんだ、と膨れっ面をしてじとっとした目つきで見つめるので、私は鬼の子の顔をじいっと見つめて、紫(ゆかり)という名前を提案した。
 シャルは強そうじゃない、と不服そうだったが、渋々納得したので鬼の子の名前は紫になった。
「私が母で、お前が父か」と意外そうにシャルは言う。
「そうなるかな」
 シャルは顔を赤くして、「ふ、夫婦か」と視線を泳がせているので、私は「この子の父と母であっても、私たちが夫婦である必要はないんじゃないか」と言ってやる。
 するとシャルは私の腹にボディブローを食らわせると、不機嫌な声で「そうだな!」と声を張り上げたので、紫がびっくりして起きてしまい、ふえふえと心もとない泣き声を上げ始めた。
 私は腹部を襲った強烈な一撃のせいで床に転げて悶えていたので、シャルに紫を抱くよう促した。
 シャルは慌てて紫を抱きかかえると、ちっちと舌を鳴らして揺さぶってあやし始める。
 私たちの鬼の子の育児は、前途多難な幕開けとなったのだった。

〈後日に続く〉


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