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夕暮れに藪

 十年勤めた家電量販店の仕事を辞めて、二年が経った。
 今はチラシの投げ込みとティッシュ配りのバイトをして、日々の食い扶持だけ稼いで、それ以外の公共料金などは貯金を切り崩して生活していた。
 家電量販店で働いていたときは、型落ちの家電品を安く買って家に揃えていたが、ほとんどすべて売り払ってしまった。テレビは見ないし、米はフライパンでも炊ける。洗濯機なんか大きな桶があれば風呂場で洗えばいいだけの話だ。なにせ時間は山ほどある。タイパタイパと世間ではうるさいが、そんなこと考える必要もない。
 スマホは持っていたが、電話が鳴ることはおろか、LINEのメッセージがくることもなかった。両親は既に他界していたし、兄弟もいなければ友人もいない。恋人などという存在はUMAのごときものだと思っている。
 コンロに火を点け、かき混ぜた卵を流し入れる。油の上を泳いだ卵がアメーバの形のように広がって、外周からぷつぷつと泡だって、火が通っていく。菜箸でかき回しながら炒めると、液体だった卵が固まってきて、いくつもの塊になる。大きな塊にならないように菜箸を細かく回して分離させ、あらかた火が通ったか、というところで刻んだねぎを入れて、次いで昨日の冷や飯を入れる。
 足元のクーラーボックスから缶ビールを取り出す。無論、冷蔵庫がないための代わりだ。あまり冷えていないビールのプルタブを引いて空気が抜ける爽快な音をたてると、喉を鳴らして飲む。キッチンに缶を置くとフライパンを振って飯を空中に舞わせ、白い飯が卵を包むように落ちる。白い波濤がテトラポットに打ちつけて弾け、波間に消えていく様をなぜか思い浮かべた。出身は海なし県だ。全国に八県くらいしかないらしい。その中の一つだ。海には特別な憧れがある。子どもの頃は、年に一回海に行くのが我が家の贅沢だった。その代わりに遊園地も動物園も連れて行ってもらったことはない。旅行と言えば海だった。
 炒飯を皿によそって、空いたコンロに鍋をかけ、水を入れて温める。ふつふつと沸いてきたら顆粒の鳥ガラだしを入れ、乾燥わかめを一つまみ放り込み、塩コショウを振って沸騰させる。出来上がった手抜きスープをマグカップに注ぎ、薄暗いキッチンでそのまま炒飯を食い、スープを飲む。どこで食おうが飯なんか同じだ。
 食べ終わったら三日着続けたスウェットを脱いでTシャツとチノパンに着替え、部屋を出る。財布の中を見て千円札一枚しか入っていないが、ティッシュ配りのバイト先の後輩から「伊藤さん、本って読みます?」と聞かれ、テレビやネットよりはましな娯楽だよな、と答えたら図書カードをもらった。その図書カードが三千円分あることに気づき、何か適当な本でも買うかと錆びついて塗装の禿げた青というより水色に近い鉄の階段を降りながら、口笛を吹いた。コールドプレイの、なんて曲だったか。ローマがどうこうとか言っていた気がするが、タイトルがどうしても思い出せなかった。
 一丁目大通り、という割には片側一車線しかない上に、歩道にガードレールもないような道だが、その大通りを北に向かって行く。南北に伸びた一丁目大通りは、北で二丁目大通りにぶつかり、南は県道に出て住宅街に入り込んでいく。途中でバス停を見かけ、バスの時刻表を眺めたが、一時間に二、三本しか走っていないので、待っているより歩いた方が早いし、金も使わなくて済むな、と「バス代210円」と口ずさみながらバス停を後にした。一丁目は住宅がまばらにあるのと、個人商店が思い出したように点在しているのだが、南の住宅地を越えた向こうの郊外に出来たショッピングモールに客をかっさらわれ、シャッターを下ろしているところが多かった。そんな中でも頑張っているのは「田中衣料店」と「小池米屋」くらいのものだ。「田中衣料店は」近隣の小中学校の制服やジャージを取り扱っているし、「小池米屋」はスーパーなどに比べても安い金額で米を売っているから、知る人にとっては穴場、として固定客をがっちり掴んでいた。
 やがて北上していくと、一旦民家や商店の姿は途切れ、雑木林や何もない空き地が広がる一帯に出る。この空き地に大量の太陽光発電装置を設置しようという動きがあって、反対住民がフェンスなどに反対を表明する文書や看板などを括りつけていっている。行政が随時撤去するものの、撤去されればすぐに設置されるから、いたちごっこなのは否めない。
 そして二丁目大通りにぶつかる頃になると、駅も近くなるので、オフィスビルはファミレス、カフェなどが増えてくる。本屋は駅に隣接したショッピングビルの中に入っているので、駅に向かい、構内を抜けてビルに入ると、五階の本屋を目指す。
 エスカレーターを上りきって本屋にふらりと入って行くと、入り口で男とぶつかりそうになる。慌てて避けると相手も申し訳なさそうに頭を下げるので、こちらも倣って頭を下げる。
「あれ、伊藤か?」と相手の男はちょっと意外そうな声を上げるので、こちらも顔を上げてみると、謝って損した、と舌打ちした。高校時代の悪友の相吉だった。「おお、久しぶりだな」と手を挙げて気さくさを装ったものの、正直面倒な奴に会っちまったなと思った。
「なあ、高校卒業以来だもんな。今お前なにやってんの」と無造作な頭で、無精ひげも伸ばしっぱなしの私を値踏みするように見て、相吉は顎を擦るふりをして口元を押えた。隠したところで、口角が上がっているのは分かっていた。私は「まあぼちぼちとな。お前は」と自分から話題を逸らす。相吉もそれを敏感に察し、私の答えを深追いすることなく、「俺はお役所だよ。市役所。そこでさ、生活保護とか、そういう関係の部署」と目に優越感を滲ませて言った。
「へえ、意外。お前役所なんか誰でもできるつまんねー仕事とか言ってたじゃん」
 相吉はいやいや、と手を振って、法律やら条例覚えたり、色々な制度を把握しながら仕事しなきゃなんねーから、けっこう面倒だし、頭使うぜ、と自分のこめかみを人差し指で叩きながらにやつき、「伊藤こそクリエイティブな仕事以外はやらねーって言ってたけど、その辺どうなのよ」と矛先をこちらに向ける。
 そこで相吉の出で立ちを上から下まで眺めてみると、ハイブランドとは言わないものの、それなりに名の知れたブランドのものばかりを着こなしていた。ジャケットも革靴もファッション誌で見たことあるような代物だった。だが、ファッション誌で見かけたのは一シーズンくらい前だ、と思うと、相吉の虚栄心が透けて見えるようでかえってみっともないな、と考えて、ユニクロすら高くて買えず、百円二百円の古着で済ませている私はどれほどみじめなのかと自己嫌悪が募ってくる。
 まあ今は、更なる飛躍のために充電中って感じかな、と私は腕組みをして胸を張り、自分の嘘と弱みが表面に出ないように虚勢を張った。へえー、と相吉は感心して、ブックカバーのかかった文庫本と思しきもので肩を叩きながら、なんかかっこいいじゃん。でもさ、要するに今何もしてないってこと、とこちらの急所を容赦なく的確に突いてくる。いや、だからさ、充電っていうのは世俗的な仕事をしてちゃできないわけでさ、としどろもどろになりながら言うと、分かった分かった、と相吉はひらひらと手を振る。
「それよりお前、何の本買ったんだよ。お前の辞書に読書の二文字はないはずだろ」と私が責めるような口調で言うと、ガキってのは愚かだよな、と相吉はしみじみと言う。俺は大学に行って目覚めたんだよ。ドストエフスキーやカフカ、ガルシア・マルケスやジェイムズ・ジョイスを知らずに生きていることのなんて勿体ないことかを。相吉が口にした作家の名前らしきもので辛うじて知っていたのはドストエフスキーだけだった。無論、読んだことはない。私は海外文学と昭和以前に書かれたものは読まないことに決めている。日本人なら日本のものを読むべきだし、今を生きる人間なら、今書かれたものを読むべきだと思うからだ。大学の課題で二葉亭四迷の「浮雲」を読んだが、地獄の責め苦かと思ったものだ。
 で、結局何買ったんだよ、と言って、相吉の手から文庫をひったくる。相吉は慌てて取り返そうとするが、私は背を向けて相吉の手を避けつつカバーを外して見る。どうせ官能小説とかだろ、と思ってにやにやしながら検めたら、海外小説だった。ノヴァーリスの「青い花」。勿論知らない。期待外れだ、と白けながら相吉に返してやると、なんでそんなに慌てたんだよ、まるでエロ本見つかった中学生みたいな慌てぶりだったぞ、と冷ややかに相吉を眺めながら言うと、だって、ノヴァーリスもまだ読んでないのかよ、と思われたら恥ずかしいだろ、と恥じ入って答えるので、私はげんなりとした。
 相吉は本当に住む世界が違うのだなと思った。流行周回遅れのブランド品に身を包んで、海外文学にかぶれている、ちょっとした知識人を気取っている。私たちが高校生の頃、唾棄すべきものとして指さして非難した、そのいけ好かない粋人気取りになってしまったのだ。それに比べれば、尾羽打ち枯らしたような出で立ちといえど、理想は高くもち、貧苦に身をやつしている私のなんと尊いことかと思う。その尊さは、私を推してくれてもいいほどだということは推して知るべしだと思う。
「伊藤もさ、生活に困窮したら俺んとこにこいよ。話なら聞くし、フードバンクっていって、食べ物を配ってる取り組みもあるからさ」と相吉は私の肩を叩いて、返事を待たずにすれ違ってエスカレーターを降りて行った。
 私は憤慨し、今に見ていろ相吉め、と靴を踏み鳴らして店の中に入って行くと、カウンターの前で靴底が外れて落ちた。店員があっという顔をしたので、私は何食わぬ顔で引き返し、靴底を拾ってポケットに突っ込んだ。底がなくなった靴は地面と足を隔てるものがほとんどなく、歩く度に足底に痺れるような痛みが走った。
 文庫の海外文学のコーナーに直行したが、思った以上に数があってどれを選べばいいのやらさっぱり分からなかった。出版社、レーベルごとに分かれているので、レーベルごとに特徴があるのだろうとは推察できたが、どういう特徴があるのかまでは分からなかった。とりあえず平台に並んでいるものを手に取ってぱらぱらとめくってみたが、文字がみっしりと詰まっていて、蟻の大群が行進しているようにしか見えず、これは本ではない、とそっと平台に戻して腕を組み、悩んだ。
 うんうん唸りながら悩んでいたので、何人かの客が海外文学のコーナーに足を踏み入れようとしたが、ぎょっとして立ち去って行った。唸り、足は貧乏ゆすりをし、目を瞑ると相吉の憎々し気なにやけ面が浮かんできて、かーっと頭に血が昇る。睨みつけるように目を見開くと、視界の隅に海外文学ではない文庫本が映る。
 思わず手に取る。衣服がしどけなく乱れ、艶めかしい肢体が露わになった美しい女が表紙に描かれた小説だった。肩と膝の滑らかさは煽情的で、赤らめた頬に羞恥の微笑が浮かび、彼女が私に買うように訴えているように思えてならなかった。
 それをカウンターに持って行くと、カウンターにいたのが若い女性店員だったので僅かに尻込みする。しかしこれくらいのことで臆していては、と堂々とカウンターの上に官能小説を置く。そして財布から図書カードを抜き、「これで」とトレイの上に出すと、図書カードの絵柄がピーターラビットだった。その可愛らしい兎のイラストが私をじっと見つめて何かを訴えているような気になり、官能小説の表紙の女の絵も、はしたない絵に思えてならなく、途端に強い自己嫌悪の情に苛まれることになった。だが会計処理は粛々と進められて、こちらが頼んでもいないのにカバーをかけてくれる温情まで示されては、自分の情けなさに打ちのめされないわけにはいかなかった。
「残高が二千五十円です」と女性店員はにこやかに言って、輪ゴムで留めた文庫の上にピーターラビットの図書カードを添えて返した。私は「ありがとう」とぎこちない笑顔で頭を下げると、足早に店を去った。
 店を出るところで人とぶつかりそうになって慌てて避けた拍子に手が滑って文庫本を落としてしまう。入る時も出る時もか、と苛立ちながらも「すみません」と頭を下げて顔を上げて相手を見ると、相手も同じように頭を上げたところに視線がぶつかり、「伊藤じゃん」と声を上げる。
「田所、か?」と訝しそうに言うと、「それ以外誰がいるってのよ」とフェミニンなレース飾りのついたブラウスに赤いロングスカートを履いている女、田所が底抜けに明るい声で私の肩を叩いた。
 久しぶりじゃん。卒業して以来?と田所は人差し指を顎に沿わせて思案するように上方へ視線を巡らせて言う。ああ、そうだな、と私は高鳴る心臓の鼓動を必死で抑えようとしながら上擦った声で答えた。
 田所は、高校時代三年間、密かに憧れ続けた存在だっただけに、見すぼらしい私の今を見られることが耐えがたい責め苦のように思われて仕方なかった。せめて上に一枚フランネルシャツを羽織ったり、チノパンも古着じゃなくてユニクロで買ったものが一着あったはずなので、そちらにすればよかったと内心舌打ちをする。
 伊藤はさ、今なにしてんの。あたしはブライダル関係でさ、人の結婚式ばっかり眺めて、自分の結婚はまだっていう、ネタみたいな人生よ。捕まえる彼氏捕まえる彼氏みんなクズ男でさ。金も体もつぎ込んじゃって、人生お先真っ暗、みたいな。もういい年じゃん。結婚に希望持てないっていうかさ。噂で聞こえてくるんだよね、この間式挙げた誰それさん。もう離婚しちゃったんだって、とか、彼氏の時は優しかったのに、結婚した途端モラ男になったり、すんごいマザコンで、義母がクソだったり。そんなことばっかり聞いていてみなよ、結婚って本当に人生の墓場なんだなって思うわけ。世の夫婦はゾンビみたいなものよ。墓場から蘇ってきて街を闊歩している。冷え切っているにしろ、仲睦まじいにしろ、結婚っていうゾンビウイルスを感染させるために、次の獲物を探して常套句を囁くの。結婚はまだなの、いい人はって。
 田所はそれこそ何かにとりつかれたように捲し立て、圧倒されて硬直した私に気づいてごめんごめん、と手を合わせて謝りつつ、足元に私の文庫本が落ちていることに気づいて拾い上げる。私があっと叫ぶ間もなく、「伊藤ってどんな本読むの」とカバーを剝き始めて、そこから現れた表紙に一瞬表情を固まらせ、すぐに御仏のような笑みを浮かべて、「いいと思うよ。伊藤だって男だもんね。でもさ、設定が義母っていうのはちょっとキモくない?」と言って文庫本を返すと、あんまり性癖拗らせないようにね。特殊な方向に進んじゃうと、自分の欲求が発散できなくて、伊藤が辛いことになっちゃうからさ、とウインクして「それじゃ」と言ってエスカレーターを上って行く。
 私は文庫本を小脇に抱え、頭の中が真っ白になったままエスカレーターを下り、家に帰った。帰路の道程のことは覚えていなかった。気づいたらアパートに辿り着いていて、ベッドの上に胡坐で座っていた。目の前には官能小説と、唯一部屋にあった古典と言える芥川龍之介の短編集を並べて置いていた。そしてそれぞれ表紙を剥いて中身を入れ替え、表紙が官能小説になった芥川龍之介の短編集を持って缶ビールとハリボーのグミを出してきて、リビングの椅子に座る。クマの形をしたグミを二粒放り込み、弾力の抵抗にあいながらも咀嚼し、顎が疲れてきたところでビールを流し込む。芥川の「藪の中」を読む。田所にとっても、私が買った本の中身は藪の中だったらよかったのにと思った。私は今外形的には官能小説を読んでいる。だが、真実は芥川龍之介を読んでいるのだ。それを知るのは私だけだ。外側に見えるものなど、簡単に移ろい、欺くことのできる儚いものだということだ。これは決して苦し紛れの負け惜しみなんかではない。
 いつの間にか部屋には夕日が差し込んでいた。オレンジの光が白い無数の埃の柱を浮かび上がらせ、部屋の中に影を伸ばしていく。窓辺に座った私の手元にも夕日が差していた。官能小説の表紙、そこにいる義母に黄昏の光が当たり、浮かべた密やかな笑みに、妖艶な美しさを加えていた。そしてその義母の中身は芥川龍之介なのだ、と思うと、化生じみた妖しさが加わり、どことなく文学的に思えた。
 さて、日が暮れていくにつれて部屋は闇に包まれる。明日の予定も明後日の予定もない。私の未来もまた、誰知らぬ藪の中。

〈了〉

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