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書評講座 Vol. 1

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課題書: 1)『エルサレム』- ポルトガル、ゴンサロ・M・タヴァレス著、木下真穂訳、河出書房新社、2)『キャビネット』- 韓国、キム・オンス著、加来順子訳、論創社、3)『クィーン… もっと読む
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#翻訳者向け書評講座

【書評】正常と異常の境目とは 『キャビネット』キム・オンス著|加来順子訳

ものすごく足が速ければオリンピック選手で、ものすごく手が長ければビックリ人間だ。才能とは、個性とは、体質とは、どこまでが正常で、どこからが異常なのだろうか? キム・オンス著『キャビネット』は、正常と異常、現実と虚構の境界をぼかして読者を煙に巻く。 〈ポスト人類〉相談窓口 主人公のコン・ドックンは〈安定が一番〉という母の遺言に従い、とある公企業になんとか就職を果たした。だが、百三十七倍の倍率を突破して、いざ職場に行ってみれば、仕事とよべる仕事はほとんどなく、待っていたのは〈

妄想の中の『エルサレム』

 ポルトガルの小説家ゴンサロ・M・ダヴァレスが描いた小説『エルサレム』(木下真穂訳)はこんな話だ。  自称「統合失調症」を患うミリアは、患者として精神科医のテオドールと知り合い、結婚する。その後、病状が悪化して精神病院に長期入院するのだが、そこで患者のひとり、エルンストと知り合い、恋仲になる。病院では、何が重要で重要でないのかは精神科医によって決められ、患者たちは常に監視され、厳しく統制され、治療の一環として、自分の思考や行動、習慣を棄てなければならない。患者たちはいつか本

インクルーシブな恐怖―ゴンサロ・M・タヴァレス著 木下眞穂訳『エルサレム』

 現代ポルトガルの最重要作家といわれるタヴァレスの、ジョゼ・サラマーゴ文学賞受賞作品。  屋根裏部屋の窓から飛び降りようとするエルンスト。早朝、教会の扉があくのを待っているうちに激痛に襲われ、エルンストと電話がつながった途端に失神するミリア。  読者をいきなり緊迫感に満ちた終盤の場面へ投げこんだのち、物語は時間を行き来しながら枝分かれした道筋をたどり、ふたたび冒頭場面へと収束していく。つぎつぎと切り替わるエピソードから登場人物たちの仄暗い過去を少しずつ拾い集めるのは、彼ら

『エルサレム』ゴンサロ・M・タヴァレス著/木下眞穂訳——夜明け前のもっとも闇の濃い時間で展開する物語

二〇〇四年、アンゴラ生まれのゴンサロ・M・タヴァレスがポルトガル語で発表し、数々の文学賞を勝ち取り、世界五十ヶ国で翻訳された衝撃作だ。書名は『エルサレム』だが、舞台はどこかのドイツの街らしい。 それほど長くはない小説なのに、実に三十二もの短い章から構成される。途中には謎めいた預言書のようなおもむきの小説「ヨーロッパ02」が、入れ子構造のように挿入されてもいる。時間は不思議な進み方をする。ぐんと進むかと思えば少し後戻りし、種明かしがなされたかと思えば、また迷宮のような過去へと

『キャビネット』キム・オンス著/加来順子訳<風変わりな人々の、身につまされもする物語>

ときおりツイッターのタイムラインに流れてくる『虚構新聞』の記事を目にしたことはあるだろうか。どう考えてもありえないようなニュースが大真面目に書いてある。洒落がきいていて、どうかすると現実の世界を強烈に皮肉る内容になっていることもある。 二○○六年に発表され、キム・オンスの代表作となった本作『キャビネット』は、火山の噴火で一瞬に消えた町で唯一生き残った男の短い話が語られたあと、「虚構新聞」もハダシで逃げ出すほど荒唐無稽なショート・ショートがつぎつぎに展開する。ガラスを主食とす

魂の物語―ゴンサロ・M・タヴァレス著『エルサレム』書評

書評家の豊崎由美さんの翻訳者向け書評講座に参加しました。三冊の課題本の中から『エルサレム』を選んだのは、すでに読んでいてすばらしい小説だと感じていたからなんですが、いざ書こうとすると考えがなかなかまとまらずにかなり苦しみました。なので、講座には覚悟をきめて臨んだのですが、豊崎さんからは鋭い指摘とともに励ましの言葉もいただき、感激しました。また、一緒に参加したみなさんからたくさんの刺激をうけました。その時に指摘していただいたことを踏まえ、書評を書き直しました。 豊崎さん、幹事

私たちの生きる社会はエルサレムに似ている──【書評】ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム』

 タイトルは、「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」という旧約聖書の言葉からの引用である。この文脈で、エルサレムは神と同義であり、エルサレム=神を忘れてしまうならば自分はもう何もできないという、その「エルサレム」がタイトルになっている。  物語の舞台は、一昔前の、ドイツ語圏を思わせる都市である。五月二十九日の夜明け前、病に犯されたミリアは体の痛みを感じながら、教会を目指す。しかし、教会は開いていない。病の痛み、つまり自分を殺す「悪い

加害者と被害者の境界 ―― ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム』書評

 去年くらいから、アジア系住民が道端やバスの車内でいきなり突き飛ばされたり殴られたりする事件をしばしば目にするようになったせいで、カナダで生活している私は、自分が外国にいて異質な存在であり、脆くて危うい弱者になり得るのだということを意識するようになった。レイシズムは不正義だ、けしからんと怒っていられるうちは、まだ他人事だったけれども、いま被害に遭っているのは私と似たような人。被害者と自分を隔てるものが何もないところで起きる暴力には、もう恐怖しかない。  ゴンサロ・M・タヴァ