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妙齢のベンチ

忘れもしない2016年5月30日、地元の公園にて髭ヅラのオッサンを見た。とはいっても、彼は公園でベンチに座って「カメラマン、秋のヌード大特集」とかなんとか書いてある雑誌を脇にはさんで寝ていただけである。蓮の花が咲き始めるその季節、水滴をつるつると抱え込んだ蓮の葉っぱに覆われてしまった堀の立て看板、「水をきれいにしよう!」なんてなぜか墨汁で書かれたポスターに寄っかかって、ぐうすか四六時中寝ているのである。時たま、近所の小学校に通っているらしい、しわくちゃの給食着とカラフルなランドセルを持った小学生の女の子が、ベンチの傍らを通り過ぎる際にこの世の終わりのような眼をしてそのおっさんの髭の先端のあたりをまじまじと眺めている、のをよく見かけた。焼酎に酔ったラーメン屋の店主か何かが思いつく限りに描き殴った絵のような光景である。なにしろ、オッサン!オッサンなのである。オッサンと言うだけでこれほど彼を内蔵する世界というか、空気というか、区画一帯がすべて珍妙な、危険な香りをそそるモノに千変万化せしめられ、おかげで青いステップワゴンに乗ったお母様方は件のベンチのすぐ脇を通る車道だけは通学時に通るなと彼女たちの宝石である我が子に伝えるくらいのもので!それでも、過疎地域の代表例として社会の教科書に載っている我が故郷にも実にいろんな意見を持つ人がいるもので、いっちょまえに自分と同じ空気を吸っているこの汚らしいオッサンという存在に限りのない憐憫の情を抱えるマザーテレサ風の隣人愛を持つ人もいれば、本能的な嫌悪感丸出しの、嚙み潰した苦虫でさえ改めて足で踏んづけるくらいの激しい被害者感情を持って市役所に訴える人もいたそうである。

で、このオッサンがやはり問題であった。ある日、まだ高校生だった私の耳に妙な噂が入ってきた。「オッサンがゲロを吐いているらしい」のである。それも、タイミングを見計らって、彼の帝国であるベンチと「水をきれいにしよう!」の区画に中学生、もしくは高校生の女の子がタピオカ片手にはじめしゃちょーのYouTubeをワイヤレスイヤホンで視聴しつつ侵入したちょうどその時に「おぇぇぇぇ」である。「うえぁ、グプブっ」と痰を吐くときもある。とにかく、彼は彼の帝国に何者かの侵入を認めた際に、必ずゲロなり痰なり、鼻水なり尿なり、彼の体液を排出することによって自分の存在を誇示する悪癖があるらしく、これが清潔を第一とするわが故郷、わが国の分化に存分に染まり切った若人たちの神経を逆撫でするのであった。こうなると体制側も黙っちゃいられないらしく、静かな、意地の悪い反撃を始めた。ホーム・ルームで担任の先生が持ってきたプリントには「不審者情報」と書かれていた。「新緑の候、保護者の皆様におかれましては・・・平素よりご理解、ご協力いただき、誠に感謝しています・・・」から始まるいつものクソつまらないテンプレートの文面に、例のオッサンのことが書かれているらしい。「公園内、『妙齢の淑女』像わきのベンチに座っている、不審者にお気をつけください。」「特に害を与えるわけではないですが、最近、近所の方や本校の生徒から多くの苦情が寄せられています。」ときたもんだ。オッサン、あのオッサンはこのプリントを読んでどう思うだろうか。「カメラマン、秋のヌード大特集」を丸めて棍棒代わりに振りかざしながら学校に殴り込みに来るだろうか。ていうか、あのベンチに正式名称あったんだ。『妙齢の淑女』像わきのベンチ、だってさ。妙齢の淑女に妙齢のオッサン、ちょうどいいカップルじゃないか。二人そろって灰色に固まっているところあたりが、特にね。なんて考えながら帰路についていたら、グッドタイミング、あのオッサンを見つけた。相変わらず「水をきれいにしよう!」に寄りかかって寝ている。心のどこかにうっすらと同情めいた、憐憫めいた、本来意地の悪い自分に似つかわしくない丸っこいものを感じた私は、足元に倒れて転がっているまだ封を切っていないワンカップ大関を起立、気をつけ、回れ右させ、美しいポジショニングに修正したあと、背後から聞こえてくる「おぇぇぇぇ」という汚らしい音を無視しながら、道の真ん中に蛙が二匹、交尾しているのを眺めていた。

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