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【短編小説】ザ・ラブ・カウンター

愛情を数値で示す機械「ラブ・カウンター」が、世界的企業フェイゾーから発売されたのは、つい最近のことであった。

何しろこんな時代である!みんな愛されたかった。

店に行けばなんでも食べ物が安く手に入り、都市に住んでいれば特に生命の危機を感じずに毎日を送ることができ、何かトラブルが起きても公的な援助が非常に充実している国であればこそ、その国では「生きていること」そのものへ満足する心があまりにも軽々しく見られていた。見たくなくても自分よりももっと裕福な生活、もっと美味しい食べ物を味わっている他者の姿がスマホの画面にありありと映し出される。欲望は限りなく高まっていき、人々は少なからず傲慢だった。成功できないこと、結果を出せないことはすべて個々の努力と能力が足りないせいにされていった。不幸な人は不可視化され、幸福な人は酔いしれて免疫不全になっていた。

人々は孤独だった。SNSやインターネット上のつながりは盛んだった。が、残念ながら、どう足掻いても人肌の温もりが恋しいのだった。ある者は可愛い配偶者を求めてお金儲けに奔走した。ある者は「孤独に慣れない者は人間として成熟していない」みたいな言説を有名動画共有サイトで検索しまくり、自分自身を説得しながらひとりぼっちの日々を送っていた。

だが、すばらしい異性を求めて懸命に努力した成功者たちは、自分たちの地位が高くなるにつれて結婚を渋りだした。

「俺じゃなくて、俺の持ってる金と結婚したいんでしょ?」成功者たちは言った。「結婚すると財産分与になるから結局は損するだけだ。子どもも作らず、遊んでいた方が得だろう。」たしかに。しごく真っ当な考え方だったが、それでも彼らは寂しかった。

遊びの生活というものは、己の動物的な本能を満たすことはできるかもしれぬが、心のどこかに寂しさを感じるものである。それは一夜の契りを結んだあとに急に冷たくなり、自分に背を向けて眠りにつく男を眺めているときの肌うららかな女性の寂しさに似ているのではないだろうか。

やはり、やはりだ。自分のことが本当に好きな人間が欲しい!一夜限りの関係も大いに結構だが、雨が降ったら傘をさしてくれるような人がいるに越したことはない!

このような富裕層の要求を満たすために、はたして「ラブ・カウンター」は生まれた。

その機械は高価だったが、非常に優れものだった。自分と話しているときの相手のバイタルサイン(心拍数、呼吸数、血圧)の変化や、瞳孔の開き方、声のトーンの変わり方などをすべて計算し、相手が自分のことをどれだけ好きかをきわめて科学的に計算するのである。特にこの「科学的」というところが、成功者たちの心をとらえた。

「人間の心なんて不確実だ。」彼らは言った。「数字以外信用できんわい。」

で、この「ラブ・カウンター」は瞬く間に完売した。世界的企業フェイゾーはさぞ儲かったことだろう。

「ラブ・カウンター」の効能は凄かった。成功者たちは「結婚してほしい」と迫る女たちに「ラブ・カウンター」をかざした。だが、ほとんどの女性たちはきわめて落ち着いていた。これに関して言えば、まったく当たり前の話であった!都会に住み、たくさんの経験を積んだ垢抜けた女たちが、男に結婚を迫る程度で血圧を上げるはずがない!

「愛情ランクC」と書かれた画面を見て、男たちは首を振った。

「残念だけど、君とは一緒になれない。」などと言いながら。

さて、エヌ氏もこうした成功者のうちの一人であった。遊びにも飽き、高級な食事やサウナにも飽き始めた。酒の味はだいたい覚えた。ただ、とてつもなく広いマンションの一室の中で、孤独を感じずにはいられない、そういったありふれた成功者のうちの一人だった。

彼は「ラブ・カウンター」を手にして、ほうぼうの女性に試してみた。プレゼントを買ってあげた時ではなく、渋谷駅前を並んで歩いているときなどに、件の機械をそっとかざしてみるのだった。するとほぼ間違いなく「愛情ランクC」の画面が彼の目の前に映し出されるのである。

はあ。これじゃあ、こんなもの手にしても意味ないじゃないか。

エヌ氏はある夜、フランスのワインを飲みながら一人で考えていた。

そもそも愛情とはなんだろう?それは赤の他人に期待することができるものなんだろうか。

愛情?それは原因ではなく、むしろ結果ではないのか。長年連れ添った夫婦が、お互いの情愛を確かめる必要も感じず、何があってもその人のそばにいる、これが愛情なのではないか。要するに、「長く添い遂げることができたからこその愛情」なのであり、「愛情があったから長く添いとげることができる」わけではないのだ。考えてみれば、目の前に異性がいてドキドキするからといって、それがどうして「愛情」を測ることができるのだろう?こんなもの、子供だましに過ぎないじゃないか。「まったく、お前さんは本当にダメな奴だぜ!」とか何とか言いながら彼のそばを離れないのが愛情なのだ。落ち着いた心で、お互いの気持ちを推し量り、尊重する努力を怠らずに日々を送ること、これが「愛情」を形作るのではないか。

だが、ここまで考えた後、エヌ氏はなんとなく自分が妙に幼稚に思えてきた。

なにが愛情、愛情だ。機械を通してしか相手のことを信じられない俺が、そもそも愛情を持っているはずがないのではないか・・・

だが、こうも考えた。

でも人間は分からない。悪意を持っている人間なんてそこら中にいるし、腹の底ではどんなことを考えてるか、男も女も分かったもんじゃない。何か分かりやすいものに縋りつきたくなるのも当たり前だろう。それぐらい、大人というものは怖いのだ。他人は底知れないのだ。

彼はしばらく立ち尽くした後、手の中にある「ラブ・カウンター」を窓から放り投げた。

それはたまたまその下を通りかかっていた不運なサラリーマンの頭に当たった。

「いてっ!なんじゃこりゃ!おっ!これは今話題のあのラブ・カウンターじゃないか!!」

そして彼はそれをポケットに入れた。

「帰って妻に試してみよう。」

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