【小説】薔薇の下で 《レトロスペクティブシリーズ⑧(終)》
《レトロスペクティブシリーズ》とは
わたくし鋤名彦名がnoteで作品を公開する以前の、2019年から2021年までに「彩ふ読書会」の参加者有志で立ち上げた文芸サイト「彩ふ文芸部」にて公開していた自作の小説を再掲していく、いわば回顧展。
「薔薇の下で」
埋もれた記憶の中から蘇ってきたその若々しい肉体を、わたしは今から愛でようと思う。その若々しい肉体とわたしの交わりをこの場で公にするが、これが記憶の中にあった断片を繋ぎ合わせたものであるか、それともわたしの筆による空想の産物なのか、それはあなた方の思うままに任せよう。わたしはただ、その肉体との交わりが、わたしの愛であるのか、それとも否であるか、問いたいのである。
記憶の底から蘇ったその若々しい肉体の名はミズキと言い、わたしから四つ離れた血の繋がった弟である。なぜ今わたしの記憶の中からミズキの肉体が蘇り、瞼の裏のスクリーンに映し出されているのか、それは自分でも分からない。スクリーンには十二、三の年頃にミズキの裸体が映っている。ここから少し情景をはっきりさせて行こう。場所はわたしが十八まで過ごしたN県の山村にある実家の古びた風呂場だ。水色の真四角のタイルが風呂場の壁の下半分を規則正しく埋め、その目地に点々と生える黒カビが懐かしい。その縦横に走る目地を目で追うと、ステンレス浴槽の水面になだらかな肩の曲線を露出させ、額に汗の粒を並べたミズキがいる。ミズキは椅子に座り、両手の指先を頭髪に絡ませてシャンプーを泡立ているわたしを見ている。わたしは自分の肩より下にあった肘を上げ、あえて腋をミズキに晒した。ミズキは驚きと恥ずかしさの混ざった声で言った、ジュン、腋毛生えてる。確かにわたしの腋には大人と比べれば弱々しいながら、既に黒く柔らかい毛が生えそろっていた。それは股間を包む毛も同じであった。わたしは立ち上がり、浴槽の縁に顎を乗せているミズキの目の前に性器を晒した。朝露のような滴が細かく縮れた陰毛の隙間で光る。こっちも生えてるよ、わたしはそう言って腰を突き出す。ミズキは顔を伏せ、やめろよと言った。わたしはさらに腰を突き出す。わたしの性器は口の狭い包皮を目一杯広げ、その先端をわずかに露出させた。わたしはミズキの前で勃起していた。ミズキはちらと視線をわたしの性器へと向け、右手で水面を弾いてお湯を勃起した性器にかけた。
わたしの勃起した性器を初めて他人に見せた相手は、弟であるミズキであった。そしてその逆も、つまりミズキが勃起した性器を初めて他人に見せたのはわたしであったし、初めて快楽へと導いたのもわたしであった。しかしその頃のわたしは決して男色というわけではなかった。生活の中で女性に対して好意を寄せていたし、その肉体を抱きたいという欲求を抱いていた。だが女性の肉体へと近づくことは叶わなかった。そしてその欲求が、ミズキへと向いたのはなにも不自然なことではなかったと思う。わたしは肉体に、裸体に触れたかった。その「対象」となったのが、弟のミズキであった。
わたしはここで「対象」という言葉を使う。あなた方の中には恐らく「犠牲」という言葉を連想された方もいるだろう。その「犠牲」となったのが、弟のミズキであった、と。結論から言えば、ミズキがわたしの犠牲となったのはわたしも認めるところである。しかし私はこの記憶の中から蘇ったミズキを、犠牲になったミズキとして描くことを拒否したい。わたしの愛の犠牲者としてではなく、愛の対象者としてのミズキをここであなた方に見てもらいたいのである。
ここで一度ミズキの肖像を記しておきたい。ミズキとわたしは同じ父親、同じ母親から生まれていながら、顔つきはあまり似ていなかった。わたしはどちらかと言えば面長であり、のっぺりとした顔つきであったが、ミズキの輪郭は凛々しさを纏いながらも優しい丸顔であり、目鼻立ちもくっきりとした美男であった。その目は濡れた陶器のような輝きを放ち、笑うと綺麗な小粒の白い歯が並び、わたしを感心させた。身体つきはまだ幼く、肉体の線は細い。そして彼の性器は小さく先の窄まった子供の性器をしている。その先をゆっくり撫で下ろし、舌で刺激したときの話をしよう。それが先に記した、ミズキを初めて快楽へと導いたときである。
家の中にはわたしとミズキしかいなかった。両親はともに買い物かなにかに出かけて行ったあとで、わたしはミズキに「ごっこ遊び」をしようと持ち出した。ごっこ遊びとは互いに裸になって相手の肉体を撫でまわし、性的興奮に浸るというもので、性行為における前戯に近い。まさに性行為ごっこを指す言葉であった。そしてその頃のわたしには男性は自らの穴を使って行為をするという知識は無く、それも思えばごっこ遊びというネーミングは的を射ていたと思われる。
ごっこ遊びの成り立ちから言うと、最初は互いの頬に接吻をするだけであった。まずわたしが唇を尖らせてミズキの柔らかく白い産毛の生える頬の丘へ優しく唇の先を触れさせる。硬くなった唇の肉が頬を押すと、頬も唇を押し返してくる。一度頬から唇を離し、また再び接吻する。三回ほどリズムよく細かく繰り返す。それからミズキにわたしの頬を差し出し、接吻させる。始めてごっこ遊びをした時、ミズキは嫌がった。男の兄弟であるわたしに接吻するのは不健全だと思っていた。しかしながら粘り強くわたしがミズキの頬に接吻をし、わたしが求めている愛をミズキに理解させた時、ミズキはわたしの頬に接吻をしてくれるようになった。それからは唇と唇、舌と舌、ミズキの顔中をわたしの唇が軽やかに駆け回り、鈍重な舌による愛撫を与えた。ミズキがわたしの顔面に与えたのはそよ風ほどの唇の愛撫に過ぎなかったが、わたしにはそれも心地よかった。わたしはミズキの着ていた白色の綿のTシャツを裾から捲り上げ、桃色の乳首を露出させる。わたしの熱に浮かされた舌は迷うことなくその乳首へと向かい、やや乱暴に抉るようにして舐め上げる。その時わたしからミズキの顔は見えていないが、ミズキはどんな表情をしていたのだろう。今のわたしは、ミズキの乳首を舐めるわたしを書きながら、その行為に反応しているミズキの顔を捉えることが出来る。ミズキは喜んでいたはずだ、いやどうだろう、嫌がっていただろうか。アダルトサイトで見た男女の大人たちによる同様の行為では、男が女の無様な乳房の先を舐め、吸い上げる。女は恍惚の表情を浮かべていた。わたしは自分のTシャツの裾を捲り上げ、熟したアメリカンチェリーを押し潰したような乳首をミズキの顔の前に持って行き、ミズキの顔を両手で挟み、無理矢理唇を乳首へと押し付けた。わたしの貧相な胸板の前で、赤子のようなミズキを抱きかかえたわたしは、あのアダルトサイトで乳首を吸われている女と同じ表情をしていたに違いない。わたしの愛はそうか、そうだったのかと、その時確信した。
わたしの胸板からミズキの顔を離した時、ミズキはわたしに対していささか恐怖心を抱いていたのだと思う。大きく見開いた瞼の中で黒目が震えていたのをわたしは見た。ミズキはこのごっこ遊びが、自分を別の次元へと連れ去ってしまうのではないかと、そしてわたしから放たれる愛の放射線があまりにも異様であると感じ取り、今すぐその場から逃げたかったのだと、わたしは思うのだ。わたしはある種の恍惚状態に陥っていた。わたしが抱いていたのはミズキであった、そしてわたしはミズキの肉体を愛していた。しかしそれ以上のものを、わたしは今飲み込むのだという意識が全身の神経を捉えた。わたしはミズキの黒色のジャージの半ズボンと、白のブリーフパンツの縁を思い切り握りしめ一気に下へ引っ張って脱がし、現れた小さな愛しいミズキの性器が、まさに呆然とした顔をして揺れているのを、わたしは大口を開けて陰茎も縮こまった陰嚢もすべて口の中へ含み、唾液をたっぷりと溢れさせた海の中で、舌を鯨の尾鰭ような優雅さで泳がせ、ミズキの性器を愛撫した。窄まった包皮の先に沁み込んでいたわずかな尿の匂いが広がる。柔らかかった性器は次第に硬くなり、大人の親指ほどの大きさになった。しかしながらその先は露出されず、余った包皮が蕾のように垂れ下がり、わたしの舌先がその蕾を震わせた。
一度性器を口の中から出すと、ミズキの勃起した性器はわたしの涎にまみれ、天井に吊るされた円形の蛍光灯の光できらめいていた。ミズキはわたしにその顔を見せようとせず、両腕を顔の前で交差させて顔を隠していた。わたしは指先で優しく蕾をほぐしてやった。愛らしい雄しべの先がほんのわずか顔を出した。わたしは再び雄しべを口へ含んだ。唇を尖らせ、その細い雄しべを唇の裏の柔らかい肉で包み込み、ゆっくりと上下に顔を動かした。ミズキはいまだ腕を顔の前で交差させ、何か呻くように声を漏らしていた。ミズキは言う、もうやめて。わたしはその声の行く先を見届けたが、わたしの耳元には入って来なかった。それはミズキがミズキ自身に向けて放った言葉であり、ミズキの感情を情動させる行為を自ら行っていた。ミズキの快楽は徐々に高まっていった。ミズキの腰が跳ね、口から雄しべが飛び出しそうになったのを、わたしは両腕をミズキの小さく柔らかい尻に回して、腰を抱え込んだ。その時ミズキの雄しべから温かい蜜が、それは射出されるのではなく、とろりと口の中に注ぎ込まれるようにして現れた。わたしは自分の精液は手で触れたくないほど嫌悪していたが、ミズキの蜜はわたしに甘美な刺激を与え、口の中に独特の匂いと粘り気が拡がった。ミズキは言った、僕どうなったの。わたしは口の中で舌を動かしながら蜜と唾液を混ぜ合わせ、ガムのように噛みながら、泣きそうな顔をしているミズキを優しく抱きしめた。
それから幾度かごっこ遊びは続けられたが、ミズキが快楽に達し、蜜を流したのはこの一度きりのことであった。次第にごっこ遊びすらもミズキは嫌がるようになり、ある時ミズキが一人風呂に入っているところにわたしも一緒に入ろうとして脱衣所で服を脱ぎ始めると、物音に気付いたミズキは風呂場のドアを開け、大声でわたしに出てって、と叫んだ。最初の快楽から何年か経った後で、ミズキの肉体も大人びてきていて、あの時には無かった成長の印も確認出来るようになっているはずだった。わたしはその印がどのようになっているのか、目を凝らしたが、ドアからは湯気は溢れ出し、それがミズキの裸体を覆い隠したので、はっきりとは分からなかった。再びドアが閉められ、裸のまま突っ立っているわたしの前で湯気は天井へと昇り、やがて消えた。
記憶の中からミズキの肉体を掘り起こした墓堀人は荒れ地に大きく穿たれた穴の横に木製の椅子を置いて、静かに『薔薇の奇跡』を読んでいた。墓堀人はわたしがミズキの裸体を抱えて近づくと、すっと顔を上げて目で問いかけた。わたしはゆっくりと首を横に振る。わたしはこの物語のなかで、はじめに言ったように愛の対象者としてミズキを描こうと努力した。しかしここまで読んだあなた方は、それがことごとく失敗していることが容易に理解出来るだろう。これがすべて現実であったとしても、空想であったとしても、わたしにはミズキを犠牲者として描くしか、筆は動かなかった。わたしはミズキをもう一度記憶の中に埋めるため、掘られた穴の底にミズキを静かに寝かせた。墓堀人がそこに持っていた本を投げ入れる。わたしが顔をそちらに向けると、墓堀人はわずかに口角を上げて微笑み、頷いた。わたしたちは錆びたスコップで土をかける。またいつか、墓堀人が勝手に掘り返してあの頃のままの、若々しい肉体のミズキをわたしの前に連れてくるだろう。わたしは今、自分の貧相な筆を握りしめ、ペン先からほとばしったばかりのインクを眺めている。少し頭がぼんやりとしている。
(了)
初出・転載元:「彩ふ文芸部」『薔薇の下で』著者:鋤名彦名(2021.12.31)
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