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【小説】朦朧

救急車のサイレンが聞こえてきたと思ったがその日は朝から喉に違和感を覚えていたが、
違った。実際には自分の頭が勝手に記憶のど寝ているあいだもつけっぱなしにしていた
こかから引っ張って来て鳴らしているサイレエアコンのせいで乾燥しただけだろうと、
ンの音だった。そう思っているとエンジンのあまり深く考えずにいた。一応うがいだけ
唸る音が聞こえてくる。これもまた幻聴かとでもしておくかと思ってやったのだが、一
思うと、駐車場から聞えてくる実際のエンジ日中違和感が消えることはなく、その日の
ン音だった。どうも意識が浮ついてしまって夜、私は数年ぶりに高熱を出した。確かに
いる。これはすべてここ数日間私を悩ませて悪寒は感じていたのだが、食欲があったの
いる高熱のせいである。遠ざかるエンジンをで普段と変わらない夕飯を食べ、これで市
聞くとは無しに寝返りを打ちながら頭を動か販薬でも飲んで一日休んでいればどうにか
す。底に砂でも堆積しているかのように重たなると思っていたのに、体温計を見た私は
い頭が半回転したことにより、その砂が一気驚いてしまった。三十八・六度。これは厄
に攪拌されたような、澄んでいた上澄みが無介なものをもらってきたのかもしれないと
くなっていく感じがして、視界が回転してい思った。翌日、体温は少し下がったものの、
るような錯覚に陥る。それはゆっくりと回転喉の痛みと身体の怠さは相変わらずで、私
しているということではなく、針金をペンチは近所の内科医を調べては発熱外来が出来
で少しずつ折り曲げて丸めているような強引るか電話をかけまくり、運良く一番近所に
さを伴っていて、こちらが無理矢理視界を正ある内科医の予約を取ることが出来た。い
そうとすると、逆に今度は身体が回り始めるつも以上に着込んで、ゆっくりとした足取
のではないかという感覚になる。視界と身体りで病院へ向かった。信号待ちをしている
のバランスの崩れた、まさに船酔いのようなとき、隣に立っていた男が何やら忘年会が
状態になり、怖くなって目を閉じる。このま云々という電話をしていて、私は聞くとは
ま眠ってしまえれば楽なのにと思いながら、無しに信号が変わるのをじっと見つめてい
それでも意識はあらゆる扉を手荒にノックした。診断結果は溶連菌感染症だった。コロ
ていく。浮かんできたのは会ったこともないナか、インフルエンザかと思っていた私は、
女の姿だった。いや最近会ったかもしれない。少し拍子抜けした思いがした。しかしなが
お互い裸で風呂に入っている。ああ、あの店ら厄介な病気であることは間違いなく、症
のと思っていると、壁に黒い影が過ぎ去って状が無くなっても処方された分の薬はすべ
行くのが見えた。この時期にまさかと思ってて飲まなければなりませんと言われた。全
いるとやはりまた黒い影が白い壁紙の真ん中部で十日分、朝昼夕の一日三回だ。診察日
にいるのは見える。何もこんな時にと思い、から十日間となると年末年始休みとちょう
やっとの思いで起き上がって殺虫スプレーをど重なっており、もちろんその間の飲酒は
探すが、見当たらない。そうこうしているう避けた方が良く、お酒無しで年を越すは未
ちに黒い影は消えていた。再びベッドに横に成年ぶりではないかと思った。友人らと予
なろうとするが、自分はずっと横になったま定していた忘年会も欠席の連絡をし、不可
まで、一切起き上がっていなかったことに気抗力的に早めの仕事納めとなったこともあ
が付く。そうなると今起き上がったのは夢だっり、あとはゆっくりと養生するだけだった。
たのか。それよりも黒い影に気を取られて消薬を飲み始めて喉の痛みはすぐに治まった
えてしまった女のことを考えるがもう顔すらが、一向に熱が三十七度台後半から下がっ
思い出せない。そのときインターフォンが鳴ってはくれず、それに頭痛もあって、身体全
た。また幻聴かと思うと再び鳴った。誰だろ体が重たく怠い感じが抜ける様子はなかっ
うと思い、ベッドから上半身を上げる。次鳴った。寝返りを打ちながら頭を動かすごとに、
たら今度こそ対応しなければと思っていると、土嚢を転がしているような感じがして、そ
また鳴った。しかも間を開けずに二度連続でれに頭の中のいろんな引き出しが引っくり
だ。こちらが高熱でうなされているとも知ら返されていろんな映像や音が目まぐるしく
ず、なんて迷惑なやつなんだと怒りが湧いて錯綜していて、寝付くのにも一苦労だった。
きた私は、どんな用件だろうともう居留守をなぜか夢の中では実家にある、私が幼い頃
決め込んでやろうと思ったのもつかの間、私に弟と使っていた二段ベッドが出てきて、
の中からもう一人の私が玄関へと飛び出してその上段である女性タレントとセックスを
行き、インターフォンを鳴らした人物を部屋する夢を見た。私は特別その女性タレント
の中へと連れ込んできた。その人はアパートが好きだったわけでもなく、なんの脈絡も
の管理会社の人で、近々外壁塗装工事をするなく登場したのだった。それに二段ベッド
旨を伝えにきたというのだが、私には一切理の置かれている寝室には両親が寝ていて、
解の出来ない言葉で話していて、詳細の書か私はバレないようにしてことを運ばなけれ
れた紙を渡されたが文字が滲んで読めなかっばならなかった。さらに別の夢では大学か
た。私が質問しようとすると、管理会社の人何かの研究施設のような建物で、誰からも
は大声で叫び出し、それは人間の声というよ見つかることなく何かを探し出すという内
りも、エレキギターをかき鳴らした音に近く、容だった。それも建物内部を探していたの
このギターリフどこかで聞いたことあるなんではなく、ベランダやテラス、屋上など野
て思っていると、私の中からギターリフに合っ外を走って飛んで、時には塀やフェンスを
たドラムリフが溢れ出し、その場は一瞬のう乗り越えて行くというアクロバティックな
ちにスタジオセッションへと早変わりした。身軽さを披露していた。どんな障害物も難
次々と浮かんでくるギターリフに合わせ、こなくクリアし、さらにスピードが加速して
ちらも最適のドラムを叩く。そして生まれたいくさまを一人称視点で見続けていた。そ
セッションは今だに誰もが聞いたことのない、の夢を見ていた間はその研究施設めいた建
最高のロックへと昇華していく。もし私に楽物のことも、何を探しているのかも分かっ
譜を書く能力があったのなら、このセッショていた。それに途中で施設の人間に見つかっ
ンをすべて書き残せただろう。だがそんな才て驚いて逃げ出したこともあったが、今は
は私には無く、ただただ生まれていくギターなぜそのようなことをしていたのか、その
とドラムのセッションに身を任せるしかなかっすべてが記憶にない。ふと尿意を催して目
た。これはすべて幻聴で、ここで鳴っているが覚めると、私が今見ていたものは夢なの
ギターもドラムも、過去に私が聞いたことあだと分かる。女性タレントと実家でセック
る曲の断片を適当に並べているだけなのは分スするわけがないし、私が塀やフェンスを
かってはいるが、それでも頭の中でギターと乗り越え、走り回っては飛び降りたりする
ドラムを演奏しながら、未知の曲を作り上げことが出来るはずがないからだ。だがあの
ているのはとても楽しかった。今私は眠って実感は不思議と忘れることはなく、夢だと
いて夢を見ていたのか、それとも起きている分かっていても、現実で過去に体験したこ
状態で思考だけが異様に働いて幻覚幻聴を起とがあるかのように思えてくる。スマホの
こしているのか、それは分からない。スマホカバーを開いて発光する画面を薄目で見て
のカバーを開くと、それに反応した画面が目時間を確認する。だいぶゆっくりと眠れて
を刺す強烈な光を放つ。目を細めて時間を見いたようで、そろそろ次の食事の時間が近
ると救急車のサイレンを聞いた時から少しもづいていた。薬が毎食後であることもあっ
経っていないことが分かる。いや、救急車のて、時間には気を遣うようになった。ベッ
サイレンはいつ聞いたのだろう。あの時の私ドから起き上がって重たい身体でトイレに
は時間なんて確認していないはずである。サ向かう。この何ともない数歩の移動も億劫
イレンを聞いたのはいつだったか。そう思えになる。相変わらず頭が重たく、額に冷え
ばギターとドラムのセッションも今初めて体た指先を当てると少し気持ちが良かった。
験したものではないように感じる。そうなの用を足し、洗面所で手を洗いながら鏡を見
だとしたら、私が今見ていたものは、私が今る。寄れた襟首の灰色のスウェットを着た
見ていたものか不安になってくる。私が今見覇気のない男の顔がそこにはあって、虚ろ
ていたものは、私が今見ていたものであるとな眼でこちらを見ていた。これが出来の悪
いう確証はない。私が今見ているものは、ゆっい小説ならば、鏡に映る自分が話しかけて
くりと回転していく天井だけだ。くることもあるだろうが、そんなことは無かった。

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