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【前編】実店舗を畳み間借り活動、そして再び期限付きの実店舗開業 若林アリク店主廣岡さんがお店を持つ理由とは

BONUS TRACKでイベントを開催できるスペース「BONUS TRACK HOUSE」。併設のキッチンスペースでは、休日を中心に食にまつわるイベントを行っていますが、実は平日にも間借りの店主さんによる営業が実施されているのをご存知でしょうか。
ここではポップアップという形でBONUS TRACKへ関わった店主さんをご紹介します。

かつて2021年まで松陰神社駅に存在した商店街、共悦マーケットを賑わした「マルショウ アリク」。築地から仕入れた新鮮な硴(牡蠣)とおばんざいを楽しめるだけでなく、その店主である廣岡好和さんの世界観にも魅了され日々人が集う人気店です。廣岡さんは、バーテンダー、ホテルマン、築地の仲卸などを経て、自身の店を開業。商店街の一員という意識を持ちながら街に賑わいをつくり出していました。

共悦マーケット閉鎖後、廣岡さんは店舗を再度開店するまでの約6ヶ月間、「デアリク」としてさまざまな場所で硴を振る舞う活動を実施。BONUS TRACKのキッチンスペースを活用したポップアップを現在でも開催しています。

そして2022年5月には淡島通りの最終地点である若林にて、新たに2年間限定の実店舗をオープン。そのお店も道路拡張による立ち退きによりあと1年2ヶ月で閉鎖予定という期限付き。自ら出向く店外での活動にも力をいれながら、なぜお店を営業し続けるのか。前編では店舗を始めるきっかけ、そして店舗が「終わる」ことを経験した廣岡さんが感じる店舗の持つ魅力についてお聞きしています。

※このインタビューは2022年3月に実施しました。BONUS TRACKのキッチンスペースでの間借り営業を行っていた当時の廣岡さんへ話を伺った当時のインタビューとなります。

後編はこちら

2021年、実店舗からポップアップに移行

——最近のアリクさんの活動について教えてもらえますか。

まずアリクの飲食業としてのシンプルな持ち味は、やっぱり「硴」を剥くこと。表現の幅を広げるために、食事をコース制で提供することに特化させています。

店を閉めて、最近始めた「デアリク」は出張先で硴を剥かせてもらう業態。もともとある飲食店の店内を出歩き営業するので、営業する店の形態や内装でパフォーマンスが変わります。BONUS TRACKでは、この場所の特性に合わせてお酒は他店舗から持ち込めるルールにしました。

意識していることは、お客さんとの親和性や距離感かな。自分がカウンターに入ることで、そのお店に良い影響が生まれるなら、それは別に近所であろうと地方であろうと良いこと。

基本はシンプルに硴を剥き、あとギターを弾くこ。音楽は酒場に不可欠だと思っているので、ギターを持っていって。持っていっても弾かないこともある。

——アリクからデアリクになって、気持ちの面で変わった部分はありますか。

松蔭神社のアリクでやっていたことの延長としてやっていて、もうすでに自分の気持ちはデアリクとして次に移っている。「デ」がついてるけど、結局アリクだけで内容は完結しているんだよね。自分の中で言葉の定義を遊びで少しだけずらしているだけです。アリクの由来は、「歩く」の古文的表現のあちこち歩きまわるという意味や、「在来」という変わらずにずっと存続してくるという意味が掛かっている。

自分の調子を変えるために、自分の中からアリクっていう名前を一回降ろす必要があったんです。自分やお店が一体どう求められていて、自分という人間はどういうことなのか考え直して、その何かしらの節目を作りたくて。それで手っ取り早かったのが、名前を変えることだったんだよね。

松陰神社の商店街への想いから生まれた「アリク」

——アリクさんの元々あったロゴは今後も使うんですか? 「マルショウ アリク」には商店街を表す「商」の字がありますよね。

考え中だね。共悦マーケットの精神性が好きだから。

——松陰神社の共悦マーケットの存在は大きかった?

アリクを始めたのは、あの場所だからこそできた。松陰神社に住み始めてから仲間が増えて。その中の地元で生まれ育った不動産屋の芳秋くん(松蔭会館 佐藤芳秋さん)の「この街をどうにかしたい」という思いに巻き込まれた。そこから仲良くなったお店を数店舗使ってイベントを企画したの。芳秋くんには空き地を貸してもらってバーベキューをしたり、アーケードの中にある唐揚げ屋を使ってワークショップや飲食店のSTUDYでライブをやったり。

商店街のアーケードを使うために、大家さんへ挨拶しにいったら、数年前に雪が降った時に大家さんのスコップを俺が借りたことを憶えていて。そこから話が弾んで、「商店街の花屋さんが半年後に辞めるからそこで店をやったら?」と勧められて。芳秋くんや仲間に「店やっちゃいなよ」って後押しされ、何をやるのかも考える間もなく店を始めるきっかけができたんです。

——アリクを始める前には、築地市場で働いていたんですよね。

9年、10年前かな。その頃の自分は料理の能力を高めて、何かしらのジャンルの料理を得意になりたいと思っていました。自分は料理を始めたのが遅く、勤めた飲食店の中で、米を炊くとか野菜だけ切るとか、ひとつのことに長い時間貼り付くことがしばしばあって、他のことも知りたくなったこと。魚に触れることも然り。深夜遅くに帰宅するような、労働の時間帯自体も、変えたかった。そんな理由で築地に向かいました。どうやって値段が付けられて、どういう人が購入できるとか。自分が働いていた頃は、築地の移転問題が勃発して、震災後の食の不安もまだあって。とにかくいろいろ知りたかったの。

そこで気になったのが、硴を扱ってる会社。硴がめちゃくちゃ売れていて、最初は何が良いんだろうって疑問を持った。その会社が経営する飲食店も強烈で。当時のオイスターバーというと、高級レストランのイメージ。硴は世界の主要なところから仕入れて硴料理に特化したものを出すような。だけど、その店の出し方はあまりにもライトで、効率の良さと売れ行きに驚いて、硴を扱うことに興味が出てきたんです。それから求人誌で探したけど、築地の求人は余り公に出ておらず。選択肢はほぼなかった。勤めた先が硴の扱いに特化していたのは、たまたまです。

——その影響で、アリクさんはカジュアルに硴を提供しているのですか。

そうだね、アリクはその店の骨組みをモチーフにしてます。

その硴の仲買業者で働いたけれど、先程の共悦マーケットで店を始める話がすぐに来た。最初は硴に対する興味が中途半端で、それがうまくいくかどうかはわからないけれど素材としての可能性を感じていて、求められている人に届いていないからやらない手はない。アリクを始めた後も、仕入れ先としてその会社を利用させてもらってます。最初は入っていきなり辞めて驚かれてしまったけどね。

自分の店を持ち、1日の実感を得る

——ホテルマンほか、飲食店・カフェ店長など従事し、最終職歴は築地というキャリアを得て、自分のお店を作られた。

お店で自分がしたいことは「実感」。その1日で自分が生きたという実感を得るためには誰かが必要で。「人が好きで、この店でこういう商売やって、こういう仕事に就きました」というよくある話だし、社会に出る前の若い頃にその話をしても説得力はないけど、その話に尽きる。

人に興味があるから人の興味のあるものを探してくる。店に興味を持った人にまた会いたいから、食べ物とか飲物を提供する以外にそこにいる時間をどう提供しようかする。その人の興味のある話題を聞いて、それに対して自分が興味を持てれば、それについて知ろうとするという当たり前の話で。

——実感がしたい。指す意味は異なりますが、TYONの店主 外川さんもおっしゃっていました。お二人とも、これまでのキャリアがあったからこその気づきですね。

そうね。自分はいずれ大衆的な酒場を開くことが夢だった。それから家族もできて店も持って、まさしくこれだという感覚があった。でも、お店を続けるのはやっぱりとても難しいんだよね。

それでも、まだここにいたいから考えて、自分にできることは制限されるけどできることをやった。ドラえもんの世界の中では登場人物が固定されていて、ジャイアンのような商店の息子がいる。ああいう物語の中の1人に自分はなってみたかった。けど、なれなかった。現実はドラえもんのように、(未来がチラッと見えるか)時間が止まった中で起こる物語ではなかったから。

後編へ続く

アリクさん情報
https://www.instagram.com/ariku2014/
世田谷区若林5-34-9
BONUS TRACK KITCHEN/STANDにて不定期出店
2024年に閉店予定



編集:高岡謙太郎、塚崎りさ子 取材/撮影:塚崎りさ子 執筆:高岡謙太郎



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