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【後編】店舗閉店から間借り活動、そして再び期限付きの開店へ 若林アリク店主廣岡さんの店を通してまちに関わる姿勢について

BONUS TRACKでイベントを開催できるスペース「BONUS TRACK HOUSE」。併設のキッチンスペースでは、休日を中心に食にまつわるイベントを行っていますが、実は平日にも間借りの店主さんによる営業が実施されているのをご存知でしょうか。
ここではポップアップという形でBONUS TRACKへ関わった店主さんをご紹介します。

かつて2021年まで松陰神社駅に存在した商店街、共悦マーケットを賑わした「マルショウ アリク」。その店主である廣岡さんは店舗を再度開店するまでの約6ヶ月間、「デアリク」としてさまざまな場所で硴を振る舞う活動を開始。BONUS TRACKのイベントスペースを活用したポップアップを現在でも開催しています。

廣岡さんはなぜお店を続けていくのか。その理由は廣岡さんの店に立った視点から考える人、まちの関わり合いのあり方への哲学にありました。

※このインタビューは2022年3月に実施しました。BONUS TRACKのキッチンスペースでの間借り営業を行っていた当時の廣岡さんへ話を伺った当時のインタビュー、後編です。

前編はこちら

ゼロから街の盆踊りを作る

——物語の中にあるまちの一員になりたいとおっしゃっていましたね。

地元はいわゆる郊外のベッドタウンで育ってるからちゃんとした故郷がない。両親共に移住者で、それぞれの故郷を故郷としていた印象があった。そしてその故郷に行ったことがなかった。そのコンプレックスが盆踊りを作らせたのかもしれないと、今では思います。

昔からまったく盆踊りを踊ったことも神輿を担いだこともない人間が、世田谷で盆踊りをいきなり勝手に作った。自分には何もないので、地元の仲間に入りたかったから街に関わりたくてエントリーして。そういった気持ちが重宝されて仲間に入れてもらったら、俺にも手を貸してくれて。お互いがお互いを意識しあわないとコミュニティもなくなっていくから、他の人の手を借りないと自活していけないので、自分にもできることがいろいろあると思ったね。

——関わりのための手段が盆踊り。人を巻き込むのはかなりパワーがいることだと思います。

振り返ると結構大変なことをしていましたね。盆踊りが許される確証も場所もないまま、レコーディングや踊りの振り付けなど、金を出さないでプロに関わらせて、めちゃくちゃな進め方だったからね。でも、自分たちのやりたいことだということで説得をしたら合意してくれて、相当の人数が協力してくれました。

——お店を作るということも巻き込むことですね。そしてお店を持つ時から、もう"終わり(閉店)"があることはわかっていたんですよね。

契約でいろいろ問題はあったけれど、単純に商売を続けていく不安の方が強かったです。そこにコロナが来ていよいよ終わりだと思ったら、周りの人たちがいろいろ仕掛けてくれて、なんとかなったというか。

接客に対する思想

——今、もう1回お店をやりたい気持ちがあるのかを聞かせてもらえますか。

一時は難しいだろうなという気持ちになってる時に、みんなから「やっぱり場を持つべきだ」と言われて、その気になっています。でも今思うのは、この仕事に憧れて、ずっと夢見て、実際に実現して、1回やり遂げた。何度も自問自答して、なんでこの仕事が好きなんだろうとか、これから先もこれを続けたいって思ってるんだろうと考えた結果、誰かと関わった事実が、自分にとって1番生きている確証を得られるなと思って。

自分は物を作ったりするわけではなく、なくなるものばかりを商売にしています。でも、その中で記憶を頼りに再会が何度も起こる。その中で、自分の知らないところで何かが形になったりして、その人たちがまた違う形でこちらに戻ってくるというか……。そういう感覚の名称がわからないんだけれど、それが好きなの。

例えると、なんで絵を描いているの?という問いかけと一緒。楽しいから気持ちいいからやる。他人からすると、よく1日中やってられるねと思われたり。昔はカッコつけたくてモテたくて売れたらいいなという期待もあったかもしれないけど、でも今もまだやってるということは好きだからとしかいいようがない。自分の中では根拠なんかない。踊りたいから、踊ったっていう話。

誰かの好き、嫌い、辛い、嬉しいとか。そういうことに触れていたいですね。例えば、「1級建築士の試験を勉強するから酒を1年間飲みません、今日が最後の酒です」という客が来て、それから1年後に来て乾杯するという、そんな喜びは俺にしかわからない。そんなことを毎日独り占めできる。それは社会に出る前からそこに興味があるから続けているし、これからも続けたい。

——そんな部分を大切に思いながら続けることは難しいことですか。

精神的なことでは、まったく辛くはない。客が1人しか来なくて全然売れなくても、辛いというよりはこの人とゆっくり話できて知らないことを聞けて良かったという実感の方が強い。

ただ結局、不安になる原因はお金。あの手この手でふさわしい価値に変えるための手法を取らなきゃいけない。でも、そんなことは本質ではないと思っています。然るべき形で自分が求められるのであれば、そこをなくさないようにしている。過去のお客さんたちは求めてくれるかもしれないけど、自分は明らかに大きく変わった。でも、これは予見できた話なんですよ。

——急に変わったわけではなくて、前からその兆候はずっとあったわけですね。

急に変えざるを得ない状況としてコロナがあった。でも天災や法的なことなど、いろいろな要因で結局変わる。だから、20年前に夢見ていた一生続けられる居酒屋は、今も始められないことがわかったの。でも取り組むことができたと思います。怒られながら。

次の及第点はそこなんだけど、家賃の問題だけでなく、周囲との関係も絶対にネックになってくる。人が集まると周りはなにか言うはずだから、それに対して自分がどこまで関係性を築けるかというと、そこには難しさを感じます。

商店街の賑わいをつくる

——商店街にお店を持たれていたので、BONUS TRACKというまちに対する視点や解像度が高いですよね。私にも持ってない視点をから、ここの面白さを感じていただいてると思っています。

BONUS TRACKはタイムスリップなんだなと思っていて。60年前に建てられた共悦マーケットを、新たに今ここでスタートした人たちがいるのかもなと。こういう感じか……と思う部分と可能性あるぞと思う部分があって、なるほどなと思いながら見ています。

いろいろな商店街を見ていて感じるのは、関わる人が今のうちに自分の中で咀嚼して落とし込まないと、独自性を持つということができなくなると思う。ここにいる人たちがそれぞれで今起こってることがどういうことなのかを理解して、自分たちのお店でちゃんとパフォーマンスをしないと、空洞化して普通のモールと一緒になる。結局店に立ってる人が伝えようとする気持ちがないとまちのお店としての魅力は入ってこないかもなって。それは違うと思っています。

——そのお話、イベントスペース担当としてはぜひ参考にしたいです。

もちろん本当に大変なことですけどね。まず楽しい雰囲気を作るということが1番。楽しい状況がないと、ただお金を突っ込んで人が集まってる状態が続くだけになっちゃう。そういう意味で、自分は餅付きや盆踊りや神輿のように、お金のやり取りを介さないことにもいくらか目を向けてます。それらは誰でも見ることはできるけど、担いだり踊ったりするのは自分の気持ちが動かないと実行に移せない。踊るアホウに見るアホウみたいな話だけど、街も店も視野に入っているならすこし大げさに盛り上げるくらいの気持ちも必要なのかなって。

——参加をする雰囲気をつくることに、私も壁を感じることはあります。

遊びの要素を入れることが肝な仕事じゃない?  例えば、毎日お店やってて毎日忙しくて、それがすべてだとしたら危ない。それ以外のことにも興味を持つべきだと思う。関われなかったとしても、なんで関われないかを考えたり。自分に関わりのない世界がある中で、どう生きていくかを自覚しないといけないと思っていて。

でないと、台風が来ても誰かを助けようという発想にはなれないかもしれない。スーパーマーケットの商品の棚が空になった時、アリクは黙っていても人や物が集まってくると思っていた。「あいつのところはトイレットペーパーが足りないみたいだから」という話を周囲がする。そういう関係性を作ろうとしてるから。

みんなの気持ちに寄り添える接点がそれぞれにあればいい。店がうるさいことや硴が嫌いな人もいるわけだから、そんなのはわかってる。それを前提にして、なぜここに来て、しばらくここにいるのかという話で。できればまた来てほしい。また来ない人に対しては別にいちいち言わないですよ。それは自分の性格というかスタンス。

——誘っても来ない人は来ない。

そこに対して諦めもついてるし、差別化してる部分もある。そうしないと自分が期待して疲弊してしまうから。こっちが先入観で興味がないと思っていると、気持ちの上で遮断してしまい、向こうはそんなことなかったこともある。でも、そんなことの繰り返し。

前編はこちら

アリクさん情報
https://www.instagram.com/ariku2014/
世田谷区若林5-34-9
BONUS TRACK KITCHEN/STANDにて不定期出店
2024年に閉店予定

編集:高岡謙太郎、塚崎りさ子 取材/撮影:塚崎りさ子 執筆:高岡謙太郎



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