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ポンコツストーリー2 ー『私と旅の仲間たち』ー

私はポンコツだ。

これは、謙遜でも卑下でもなく事実である。


小学4年生の時の話だ
この世のすべては、例えどんなことをしても受け入れてくれる温かいものばかりだと信じ、自由奔放に過ごしていた時期だ。


こう見えても、私はモノ作りが大好きだ。
こう見えても…といっても実際に私を見たことがない人がほとんどなのに「どう見えているのか」とお怒りになるのも尤もな事だが、どうか怒りを鎮めて読み進めてほしい。

なぜか家に段ボールがたくさんある家庭だったので、小さな頃から主に段ボールを使って何かを作ることが好きだった。
自分が入れるくらいの大きな段ボール箱の中に小さなテーブルや窓を作り、中に懐中電灯をぶら下げた秘密基地を作ったり、自分が中に入るタイプの新しいロボットを作っていた。

当然小学校でも図工の時間は好きだった。
今でもそうなのか分からないが、図工の時間は2時間連続の時間割が組まれている。
他の授業のようにきちんと座って静かにしなければならない雰囲気と違い、ある程度はみんなと喋りながら、途中で休み時間を挟んだりする比較的自由な雰囲気であったのも好きな理由であったように思う。
当然、モノを作るという、芸術活動の一環なので自由であることは必須であるはずだ。
そんな雰囲気も後押しして、私の芸術的センスは磨かれていったのだ。

いや、今回はそういう話ではない。
そのような授業の雰囲気に加え、元々お調子者な性格だ。
生まれながらのB型、ナチュラルボーンB型だ。
血液型なのだからみんな生まれながらのナチュラルボーンなのだが、こういう言い回しにするとカッコ良いと思ったのだ。
もしよかったらみんなも使ってみてほしい。

大好きな授業
緩い授業の雰囲気
お調子者な性格
遊び盛りな小学4年生

どうなるか想像に難くない。
しかも、その日はいつになくはしゃいでいたように思う。
何かの道具が必要で、先生の許可を得て準備室に取りに行くというミッションが発生した。
前回の廊下で正座事件もそうだが、授業中に教室から出るということは何をするにしてもワクワクすることだ。
例えるなら、真夜中の博物館に忍び込むのと同じくらいの特別感だ。

この例えで、大貫妙子の「メトロポリタンミュージアム」を思い出すか、映画の「ナイトミュージアム」を連想するかで世代が分かれてきたりするのだろうか。
私はもちろん前者だ。
「みんなのうた」で流れていたことから、一部では幼少期のトラウマソングとして有名だが、私は毎回ワクワクドキドキしてこの曲が流れるのを楽しみにしていたくらいに好きだ。

それはともかく、先生から準備室ミッションは託された。
私と数人の友だちで準備室に向かう。
もちろん、全員ワクワクしていていつもよりテンションは高い。

程なくしてミッションはクリア。
私たちは、ミッションクリアの優越感と高揚感に満たされていた。
その高揚感に動かされるまま、こう思ったのだ。


「このままどこか知らないところへ…」


JR東海あたりが新幹線旅行のCMで使っていそうなキャッチコピーだ。

別のポストにも書いたが、幼稚園からの脱走はすでに経験済みだ。

↓興味があって、まだ未読でしたらこちらからどうぞ。



感情の赴くままにどこかに行く、ということは私の心の奥底で常にうごめいている感情だ。
しかし、私は「おとな」になった今でさえ、自由にしたがるクセに大きなことはできないという小物感満載な性格だ。
歳とともに、その大胆さは萎んでいく。
幼稚園から小学4年生になったこの時点でさえ、学校外に出る、脱走するという大胆さはない。
牙を抜かれたライオンである。
図工の教室、準備室も一階にあったので、知らない場所への「冒険」も校舎の一階限定だったのはその性格ゆえだ。

廊下を図工室とは反対の方向にみんなで向かう。
もちろん、校舎内で知らない場所などほとんどない。
しかし、授業中に行くそれらの場所はどれも見慣れないもの、キラキラした色がついたように見えるのだ。
とはいえ、一階にあるものなど大したものはない。
授業をやっていないため、鍵がかかった薄暗い家庭科室や視聴覚室、何らかの倉庫、4年生は使わない下駄箱。
そしてその先まで行くと職員室がある。
さすがに職員室はまずいのでその手前で引き返す。
先ほどミッションをクリアした準備室の前を通り過ぎ、給食室の前を通る。
給食室はいつでも、料理の匂いと消毒液のような匂いの入り混じった独特の香りをはなっていた。
廊下を曲がり、保健室や予備の教室などを通り過ぎると、もうそこは雪国、ではなく図工室だ。

なにか物足りない。

私たちの冒険心はまだ満たされていない。
一緒にいた「旅の仲間たち」も同じ気持ちのようだった。
私たちはこの満たされない気持ちを、図工室の真横にあるトイレで入ることで満たそうとした。
別に用を足したかったわけではない。
中に入り、なんとなく置いてあったトイレ掃除用のモップやバケツ、トイレのつまりをペコペコするやつ(ラバーカップというらしいです)なんかを手に取り、それを武器にしようとする者、楽器のように音を鳴らす者、みんな思い思いの形で今回の冒険の高揚感を表現する。
その高揚感は、図工室まで届いたという。
それはそうだろう。
授業中である。
静かな学校で、隣にあるトイレから異音がしたとなれば先生は黙ってはいないだろう。
そうだ、すぐに先生が飛んできた。

先生は、小学4年生の私たちからすればおばあちゃんという年齢に見えた。
小柄でショートヘアー、毛糸で編んだベレー帽をいつも被っており、いかにも芸術家っぽい風貌であったと記憶している。
その先生が、男子トイレの扉を開けて

「何をしておるー!」

と怒鳴り込んできた。
私たちは、ハッと我に返る。
そうか、授業中だったな…

「トイレから出ろ!一列に並べ!」

そういって、トイレの外に一列に並ばせられた私たち。

「何をしておったか!」

何をって、私たちは冒険という長旅の終焉を名残惜しく宴を催していたのだ。
無論、小学4年生にそこまでの語彙力はなかった。
私が代表して答える。

「ちょっとふざけちゃったみたいです」

戦いや冒険を終えた兵士たちの宴であったのだが、あえて謙遜して「ふざけた」という表現に置き換えてみた。
そして、「みたいです」という表現を使うことで、自分たちの高揚した気持ちを隠し「伝聞」や「推量」の表現を使用してみたのだ。
しかし、この表現が先生の怒りを燃え立たせてしまったようだ。

「みたいですとは何事か!」

いつの間にか鬼のような形相の先生の片手に、トイレペコペコが握られていた。
黙っている私たちに、先生は

「このポンコツ!お前たちはこうだ!」「こうだ!」

「こうだ!」の掛け声とともに一人ずつ、お腹にトイレペコペコで力いっぱい吸引もしくは圧縮される私たち。
なす術もなく、されるがままの私たち。

自分がしたことを目撃したふうに語る、それは人の怒りに火をつけるのだなぁと知った10歳の学び。
そして、生まれてはじめてポンコツという「称号」を戴いた記念の日であった。

帰宅して、真っ先に母に報告だ。
こんな面白いことを報告しないわけにはいかない。

「今日こんな事があったよ!
ポンコツって言われて、トイレペコペコでおなか突かれたよ!」

と嬉しそうに話す私に

「それは恥ずかしいことです!」

と家でも怒られる残念な10歳児。


そんな私が好きな映画は「ロード・オブ・ザ・リング」
全部で3部作からなる映画だが、その第一部のサブタイトルは「旅の仲間」
まさに、授業中に準備室に道具を取りに行き、様々な冒険をした旅の仲間たちとの良い思い出と重なる部分の非常に多い名作映画である。

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