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騙し、騙され -その10 タイ・お守りを作る人編-

前回までのあらすじ
これはあなたの恋愛観を知ることができる心理テストです。外で寒さに負けず凍りつきながら耐えている雪だるまの描写を選んだあなたの深層を分析して行くと、好きになったらまっしぐらになる反面(続きを読む…)


-お守りを作る人編-


ちょっと、このシリーズの趣旨からは逸れるのだが、タイには騙す人が多い印象を与えてしまっているので、実は良い人もたくさんいるというエピソードもいくつか書いていきたい。

タイに初めて来たのは、いつだったかの年末年始だった。
年末年始の仕事の休みに数日の有給を使っての旅だ。

私は日本のお正月の雰囲気が好きだ。
どこかのんびりと、どこかみんな浮ついた感じで、いつもと流れている空気感が全く違うからだ。
外国のお正月ってどんな感じなんだろう。
そう思った私は、年末年始の飛行機の値段の高さに辟易としながら、何とか手の届く値段のタイを選んだ。
日本と中国はなんとなく同じような雰囲気だろうけど、タイは仏教国だけどお寺の形とかも違うから、お正月も独特な雰囲気なのではないかと思ったからだ。

ちなみに、タイにお正月は3回ある。
1、西暦での年が変わる、いわゆる私たちが一般に知っているお正月
2、旧暦での新年にあたり春節とも呼ばれる旧正月(チャイニーズニューイヤー)
3、タイの旧暦での新年にあたるソンクランと呼ばれるお正月
タイ人の盛り上がり方は、1から3への順で大きくなっていく。
つまり、私が選んだお正月はタイでは一番盛り上がらないお正月だ。
タイに来て知ったのは、12月31日と1月1日だけが休みで2日からは全て通常運行だ。
一応、カウントダウン的な年が明けたら花火があがるなどのイベントはあるが、どちらかというと外国人観光客向けである。
当時はそんな知識もなかったのだが、お正月は朝早くから街を歩き回る予定にしていたので、花火も見ずに31日は早々に寝た。

お正月なので、まずはお寺に行ってみる。
タイは熱心な仏教国なので、お寺には人があふれていた。
いくつか有名なお寺にも行ってみたのだが、入る事すらできないレベルだった。
どこにも、英語が少しできる親切なおじさんがいるものだ。
少し離れているところからお寺を眺めているとタイ人のおじさんが、

「今日、お寺は忙しい。別の日に来たほうがいいよ」

と教えてくれた。
お互い、中学生レベルの英語で少し会話してその場を離れた。

実際、何件かお寺を回るもどこも同じような状況だったのであきらめて、一人歩け歩け大会を開催することにした。
特に目的を決めず、気になる方向、気になる場所に向かっていくスタイルだ。
さらに、この歩け歩け大会には地図は見てはいけないというルールが設けられている。
海外で迷子になり、辺りが暗くなってきた頃に不安な心細い気持ちになってくる、それが醍醐味だ。

なんとなく、木造の古びた家が見える路地に入ってみる。
古い木の匂いが漂って良い雰囲気だ。
道はどんどん細くなっていく。
盛り上がっていないとはいえ、家の前にイスなどを出して仲間で飲んでいたりする家が多い。
ある程度のところまで行くと、恐らく3,4家族で10人くらいで飲んでいるグループに声を掛けられる。
男性陣は全員上半身裸だ。

「どこいくの?」

「ただ写真を撮っているだけ」

「この先はもう家ないよ」

確かに、その家から先は行き止まりのようだ。

「どこからきたの?」

「日本だよ」

「おぉ!日本人ー!」

みんな酒の勢いもあり無駄な盛り上がり。

「ちょっと座りなよ」

「これ飲みな」

座らされて、お酒を回される。

私は、お酒は全くと言っていいほど飲めない。
父親譲りの体質で、ちょっと飲んだだけで顔は真っ赤、目は座り、放っておくと寝るといった感じ。
ちなみに、父親は奈良漬けを食べただけで目が座るレベルの下戸だ。
そんな体質なのだが、天気の良い空の下、お正月、昼にもなっていない時間帯、タイ、色々と開放的な気分だったのもあってお酒に口を付ける。

置いてあった料理を勧められる。
鮮やかな緑色の殻に、中は鮮やかなオレンジ。
ムール貝だ。
しかも生、もしくは半生。
海外で生ものは危険、ましてや貝は危険ってよく本に書かれていた気がするが、これも開放的な私の道徳心がゴーサインを出す。
かなり辛い味付けがされていたがおいしかった。
めっちゃ辛い!って顔をすると、大人たちだけでなく子どもたちもゲラゲラ笑って良い雰囲気に。
他にも、色々とご飯を出してくれた。
恐らく名もないタイの家庭料理なのだろう。
どれも辛かったが、どれもおいしかった。

私も含め、誰もまともに英語が話せないので、お互い簡単な英単語と身振りで会話する。

少し分かったのは、ここは比較的貧しいエリア。
仕事は何をしているのか聞いてみた。
一人の男性が小さなものを見せてきた。
プラスチックのケースに金メッキのブッダ入っているもの。
カバーの写真にいるいい味を出しているおじさんはうちの近所の駄菓子屋さんの主だが、彼も首からいくつかぶら下げているもの、これがいわゆるพระเครื่อง(プラ クルアン)と呼ばれるお守りだ。
これを作っている人たちらしい。

「プレゼント」

「?」

「プレゼント」

そのお守りを手渡してくる。

「くれるの?」

うんうん

「ありがとう!」

なんだかお守りをゲットした。

その後も、片言でお互い分かったような、分からないような会話をしながらみんなの写真を撮っていた。
小一時間ほどいただろうか。
色々ごちそうしていただいたので、ちょっとだけお金を置いて行こうと思った。
財布を出すと、

「マイペンライ」

当時でも理解できたタイ語だ。

「マイペンライ」
気にしなくていいよ、大丈夫だよ、そんな意味の言葉だ。

「本当に?」

みんな笑顔で手を振ってくれている。
その場面も写真に収めて、手を振ってその家を後にする。

ご飯とお酒をごちそうになり、お守りまでもらった。
いい人たちだったなぁ。
その時の写真を見ると、今でも心が温かくなる。
場所を思い出せるならもう一度会いに行ってみたいところだが、どの道をどういったものか全く思い出せない。
地図を見てはいけないルールが設けられていたからだ。
彼らの顔、彼らと時間を共有したあの空間だけは思い出せるのだが。
飲めないお酒を飲んだせいもあるだろう。
珍しく意識もはっきりしていたし酔いつぶれなかったのは幸いだが、今となってはせめてこの道の入り口を写真に撮っておくべきだったと後悔している。


まとめ
今回は、自分の中でタイとタイ人が大好きになった瞬間について書きました。いつもと文体も含めてやや雰囲気が違いますが、そういう温かく優しい気持ちだったという事です。面白味はないけど察してね。

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