私しか得られない情報の大切さ
私たちが生きる時代は、片手に収まる小さな機械で、すぐに気になったことを調べられる時代。
調べて自分が納得できるような、確からしい答えに思える情報が、十分すぎる数存在している時代。
これから友達と行くご飯屋さんを決める時、事前にインスタで料理の画像を調べて、食べたいものがあるかどうか確認する人も少なくないのではないか?
きっとそうすることで、”ハズレ”のお店を引かない確率は高まるかもしれない。
でも事前調査である程度知ることができた分、
どんなお店の雰囲気なのだろう?
どんなメニューがあるのだろう?
という未知のモノへのワクワク度は低くなるかもしれない。
私がずっと便利だと感じてきたスマホや、インターネットに数多の情報が溢れる時代だからこそ見落としていたこと。
それは、”未知のモノへのワクワク”を失うことだけではない。
もっと、私にとっては大切なこと。
それは、”直接の体験を通して感じられる、本物の情報ー私の五感を総動員して得られた私しか得られない感情や感覚”。
それは、時になんだかうまく言語化できない感情や感覚かもしれない。
ネット上で誰かが書いてた、”美しい”、”素晴らしい”だけでは表せない感情かもしれない。
どこかの誰かがあんなにネガティブに書いてたことだけど、実際に試してみたら、自分にとっては「超最高じゃん!!!!!これ好き!!!!!」って思うことかもしれない。
自分が実際にはどう感じるかわからないのに、どこの誰かもわからない人が言っていることを100%信じ、あるコト/モノ/ヒトに触れてみることを辞めるのは、もったいないな。
自分は他の誰かと同じように感じることばかりではないから。
これからは、どこかの誰かの意見もチラ見するけど、自分が感じる気持ちという私しか得られないう情報を大切にしていきたい!
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