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頑張ったねって自分に言うこと/アメリカ社会学留学

マサチューセッツ大学アマースト校に1年の交換留学中のさりです。今日、初めてカンファレンスなるもので自分の書いたミニ論文を発表しました。

テーマは、男性性と、ジェンダー公正のためのムーブメントに男性がどう関わっていくか、そして私がいるUMassのフラタニティで2年前に起きた性暴力事件の後のプロテストのケーススタディ。今学期に個人研究として進めてきたものだった。

感想。英語も内容もまだまだで、他の人の発表を聞くたびに、ああすごいなぁ、って、ただただ圧倒されていた。卒論の発表をしている人が多くて、私のように今一学期を使って書いている内容のものや、授業のエッセイを発表する人は少なかった。そして、当たり前だけどほとんどが英語ネイティブ。(そして白人めっちゃ多い。)私の流暢じゃない英語の発表を聴いてくれるのが申し訳ないような気持ちになることもあった。

学んだこと。スライドには、大事なことだけ書くこと。スライドを印刷して手に持っておくこと。そこに、キーワードと流れをメモしておくこと。アイコンタクトを忘れないこと。笑顔で話すこと。緊張してるって先にみんなに伝えておくこと。大事なことはゆっくり言うこと。基礎知識を共有すること。

そしてどれだけしんどくてもテンパっても、一つだけこだわったこと。聴衆側の感覚を常に持ち続けること。ただ用意したカンペを読むだけじゃつまらない。自分の言葉で、聴いてくれる人に投げかけるような、時に意見を求めながら進めるような、インタラクティブな発表にしたかった。UMassの事件について話すとき、このことについて知ってる人いる?と投げかけてみて、手を上げてくれた人に、少し話してもらったり。

だから、聞きにきてくれた友達から「わかりやすかった」と言ってもらえた時は、心底嬉しかった。社会学者の卵として、まだまだプロフェッショナルではないかもしれない。普通のペーパーの発表とは全然違ったかもしれない。まだベイビーステップを始めたばかり。こうして発展途上の私に発表の機会をくれて、与えられた15分を自分なりに使う経験をさせてくれた教授には感謝しかない。多くの場合、その最初の一歩を踏み出す機会がないからだ。

発表の準備であまり眠れなかった数日。昨日夜2時まで研究棟にこもってプレゼンの準備をしていた時、遠いところまで来たな、と思って、陳腐だなと思いながら、それでもかまわず泣いていた。(ひとつ前の記事に載っている。↓)この誇りのような感覚は、きっと誰とも完全に共有することはできない。だからこそ特別だし、だからこそギュッと抱きしめたくなる。

日本人のとても大事な友達の発表も、すごく刺激を受けた。彼女は、大事に言葉を紡ぐ。英語力を誇示しようとする私の早口とは違う。質問を、gracefulに受け取り自分の言葉でゆっくり返す姿が、とても魅力的だったし、その場にいた人たちはみんな彼女の魅力を感じていたと思う。比べて何かが始まるわけではないけど、私はそんな友達の姿に、また自分も頑張ろうと背中を押された気持ちになった。

帰りは、3時間睡眠の体を引きずって、社会人の台湾人とインド人の友達と、日本人の同級生とで新しくできたタピオカを飲みに行った。糖分が体に染み渡る。一緒に似顔絵を描いたり、お互いの言語を交換したりしながら、ああ、後でゆっくり、このすごい機会のことを自分で振り返りしたいなと思った。

交換留学の日々は、キラキラじゃなかったかもしれない。でも、私は胸を張って、この一年を自分の目標のために、そしてパッションのままに、全力でもがき走り切ったと心から言えるだろう。ここ1ヶ月はいろんな出来事や変化があって、今は身体が引きちぎれそうだけど。

おつかれさま。いい響き。日本語を勉強している友達は、この言葉を使ってスピーチを作っていた。この「おつかれさま」は、誰が言うよりも深く、自分の心に染みていけばいいなと思う。目を閉じて、深く息を吸う。疲れた心が浄化されてゆく。目の裏に、あおい空のよう景色が広がった。そういえば、今日の朝バタバタと寮の部屋を出るときに、キリスト教徒のスイートメイトが私のために短いお祈りをしてくれたのが嬉しかったな。誰かが私のために祈ってくれるということ。なんだか自分の身体の周りに半透明な膜ができて、力をくれるような、そして守ってくれるような気持ちになる。プレゼンが終わるや否や、そのお祈りをしてくれた友達に「おかげで頑張れたよ」と思わずメッセージを送っていた。

どれだけ孤独な道のりでも、わたしは一人じゃないなぁ。一人になることなんてできない。息を吸うたびに、満たされた気持ちになった、夕暮れのアマーストにて。

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