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春学期11週目 日食に願いを、自分に花束を

アメリカはマサチューセッツ大学アマースト校(UMass Amherst)に交換留学中のサリです。とうとう最終学期の11週目。なんてこったパンナコッタ、なんて言ってる間に学期も終わりますけども、今週も引き続き、いろいろ感じ考え、人と関わり内省し、暴れて潰れていく過程をエッセイ形式で綴っていこうと思います。


日食の話

次の日食は20年後というのもあり、こっちでは日食は大行事だ。授業は休講になったり、先生によっては授業中にみんなで見にいくケースもあった。月曜のアートの授業に集まったのはわずか数人。何だか生き残った戦士みたいな気持ちになった。ここでは95%の日食が見えるんだけど、多くの学生は車で数時間走ったところにある完全に日食するロケーションに行ったみたいだ。授業の最初の1時間で、自分達の油絵の作品を批評しあった後、日食メガネを持ってみんなで丘に登った。たどり着いたら、たくさんの人たちが寝そべったりバスケしたりして日食を待っていた。ちょっとウィード(大麻)の匂いも。(仲良い子が毎日寝る前にウィードを吸うって言ってて、最初はトンデモなカルチャーショックだった。)クラスメイトのルームメイトが、ペットの猫を連れてきていた。

キャンパス内の丘は日食を待つ人たちでいっぱい。

アートのクラスのみんなで芝生に腰を下ろす。どうして日食が起きるのかとか、どうして特別なメガネをかけなきゃ危ないのかとか、あと恋バナとか、いろんなことを話しながら、それぞれ絵を描いていた。私は自分がメガネをかけて空を見上げているそのメガネに、日食が映るのを描いた。(のをデコった。)

月が太陽の周りをゆっくりと巡ってゆき、まるで太陽は三日月のような形になった。あたりは一気に寒くなり、さっきまでのポカポカは嘘のようだ。隣でタンクトップの友達が凍えていた。でもそれは長くは続かない。3時28分、95%の日食を達成した時、丘にいた人たちが一斉に拍手と歓声を上げた。(そのちょっと前に私が一人で拍手と歓声を上げてたから、"Sari, you made it happen."とか言ってもらって楽しかった。)

数時間かけて車で完全日食を見にいった友達にどうだったか聞いたら、こんな感想をくれた。すっごく素敵だったので、ここに引用する。

After the sun was almost eaten, the sky suddenly darkened, and the temperature quickly dropped. Birds barking, almost squeaking as they sound confused. The twilight appears in the distant horizon in every direction. And you look up with your naked eyes, a strange ring floats in the pitch dark sky. It's possibly the brightest object I have ever seen. You feel like you are looking at the moon: the ring-like object emits a cold, soft, eerie light. But it's not the moon: the outer edge of the ring shines like fire! As you stand there perplexed, the prong starts to grow on the ring. Instantly, a violent light breaks through the sky, and you have to move your eyes away from the ring. And then the sky regains its blue hue. Everything is back to normal, except that the sun would be regaining it's round shape in another hour. 
(太陽が欠け始めた後、空が急に暗くなり、気温が一気に下がった。鳥が吠え、戸惑ったように鳴く。遠くの地平線には黄昏が四方八方に見える。そして肉眼で見上げると、真っ暗な空に奇妙なリングが浮かんでいる。おそらく、これまで見た中で最も明るい物体だ。リングのような物体は冷たく、柔らかく、不気味な光を放っている。リングの外縁が火のように輝いているのだ!当惑して立ち尽くしていると、リングの突起が伸び始める。その瞬間、激しい光が空を突き抜け、リングから目を離さなきゃいけなかった。そして、空は青みを取り戻す。太陽はあと1時間もすれば丸い形を取り戻すだろう。)

詩的な才能をもつ数学の博士課程の友達、Ethanの感想より

スピリチュアルなことは残念ながらよくわからない。でも、この日食や、そのサイクルが、なんだかすごいことなのは肌で感じた。一緒に日食を見たアートの先生が、「日食の瞬間に何か怖いことが起きるんじゃないかと心配していた」と言っていて、とても印象に残った。(この先生はヨガの呼吸法を授業中に教えてくれたりして、マインドフルネスや身体と心のつながりに精通している。)人間が認知できるもの、想像できることはたかが知れている。日食の瞬間、一瞬で空気が一気に冷えたあの感じ。みんなが息を呑んで空を見つめる不思議さ。刻々とすぎてゆく時間を、こんなにも鮮やかに、そして残酷に感じたのは久しぶりだった。
ネオリベラル社会の中で、望み努力すればなんでも叶うとはいうけれど、社会経済的な背景をはじめとしてたくさんの変数が絡む、人々の人生。自分がコントロールできることなんてほんのわずかしかないんだよね。夜になってもわずかに香る、丘で先生が貸してくれた焼け止めの匂いが、そっと鼻をくすぐった。

詩の話

正直明日のリーディングやら課題やらでそんな場合じゃないんだけど、そんな場合じゃなくない時なんてないから(混乱)、これはそんな場合なんだとなんだか確信しながらこれを書いています。

この間の土曜日に友達とカフェでブランチをした時に、ちょうど谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」を持っていて、その子は日本語を勉強しているし、英訳もついててちょうどいいと思って貸したのね。そしたら、3分の1読んで、この詩がどうしてもわからない、とメッセージをくれた。それを見返していたら、ほぼ日刊イトイ新聞(ほんといい味出してるオンライン新聞)が、谷川俊太郎との対談を出していて、個人的にすごく刺さったので、またここに引用する。

糸井:ぼくは、学校を中退して肉体労働のバイトをやってるときに、自分がインテリだと気づいたんですよ。
谷川:おぉ。
糸井:焚き火しちゃあ競馬の話したり、ワイ談したり、寒いだの、うまいだの言うだけの毎日。そんなとき、焚き火をする紙くずの新聞紙を、しゃがみ込んで読んでいる自分に気づいたんですよ。
谷川:いい話ですね。
糸井:ぼくもアンチクライマックスなんだけど、自分としては、このことをハッキリ憶えてるんです。「なし」でいられないんだ俺は、って。ぼくの人生があっちの方向に行かなかった理由が、あの瞬間だったんです。逆の状況がないと必要なものがわかんないっていうことは、すごくありますね。
谷川:そうですね。
糸井:「詩を書く」とかいうことを、毎日やってるはずがない。
谷川:そんなはずないですね。だから、気が向いたら、書く。時間を問わず、気が向いたら、夜でも朝でも。
糸井:締切りがあれば。
谷川:そう(笑)。

ほぼ日刊イトイ新聞より https://www.1101.com/tanikawa/13.html

「気が向いたら、書く。時間を問わず、気が向いたら、夜でも朝でも。」

糸井さんの自分がインテリだと気づいた経緯も面白いし、別に毎日ではなく、気が向いたら詩をかくという谷川俊太郎のスタンスも、読んでいて、なんだか自分のいかり肩をそっとおさめられたような心地になった。

「あ〜あ、でも正直認められてぇな。」とかふと思う。夜に寒風に吹かれながら屋上の椅子に腰掛け、友達が言った「みんな何かすごいことを成し遂げるために生まれてきたんだ」って言葉は、正直くそくらえだと思った。そんな生産性や成功で人を測るのだけが全てじゃないだろう、と。でも同時に、じゃあ自分は何で満足できるんだろう。日々の小さな幸せで満足しきれるくらいのマインドフルネスはまだ会得できていないし、自分の人生という旅のプロセスを感じるったって、どこかへ向かう”進化”のようなものでないと、不安になってしまう気がする。正直その友達の、地に足ついた感じはとても憧れるのだ。彼は家族や友人を経済的・ビジネスの知識で助けているし、将来”成功”するための彼のプランがあり、その道の中にいる。

ここで大事なのは、認められること、成功すること、その定義は無数にあり、人によって違うこと。一般的に考えられる「成功」はその一部に過ぎない。彼にとっての「成功」を、私はほんとうにほしいのか?同じように、私にとっての「成功」は、彼にとっては全く興味のないものかもしれない。あ〜これだから人生は面白い。他の人の意見や価値観に揺さぶられ、時に共鳴、時に振り切りながら、自分の道を磨いていくんだろう。

読書の話

私は、本を読むのが昔から苦手だ。文章を読むこと自体かなり苦手。長い文章を読み続けていくには集中力が続かないし、ゾーンに入るのにすごく時間がかかる。私が詩が好きなのは、正直にいうと、短いからだ(とほほ)。だから毎週100ページは出るリーディングなんて苦痛でしかないので、修士や博士には向いてないのかもしれない。そう言われたこともある。でも、リーディングを読み終えた後の感覚や、それを自分の脳みそのしわにもしょもしょと刻んでいく感覚はすごく好きだし、自分の言葉に置き換えてディスカッションに使ったり、生まれた疑問をぶつけたり答えを探すのはもっと好きだ。授業で質問を褒められたり、教授から”社会学者”の卵として扱ってもらえた経験があるからこそ、この壁でパッションを諦めないでいられるんだと思う。
日本の「頑張れ、努力しろ、逃げたらいけない!」という精神論たっぷりな教育にもまれたせいか、最近までリーディングのしんどさは自分の頑張りが足りないからだと思っていたんだけど、「いや、苦手なもんは苦手でしょ」と開き直り始めた。今学期リーディングの時に大活躍しているのは、マックブックに入っている音声読み上げ。PDFを開いて、読んで欲しい文章を選択するとSiriが読み上げてくれる。自分が知らない英単語が出てくるたびにつっかかってしまうのを避けられるから、とにかく読み進めて、授業前に読み終わるためにとても助かっている。
そんなテクノロジーを使った工夫もしてるんだけど、やっぱり英語で文章を読むのに慣れたいという思いは変わらない。そこで、最近やっているのは、毎日1ページでいいから、寝る前に英語の小説を読むこと。今学期が終わるまでに読み終えるのを目標に読み進めているのは、ラストが悲しすぎると話題の"A Little Life"という本。この著者のHanya Yanagiharaさんはアメリカ人なんだけど、苗字からもわかるように、日本の血も入っているみたい。ニューヨークで交友を深めた大学生の4人が、大人になり、人生の悲喜を経験していくという物語。私が留学生としてアメリカで経験する感情や気づきが、時々登場人物の語りの中に練り込まれていると感じた。例えば、

the only thing uniting them being their newness to America and their identical expressions of exhaustion, that blend of determination and resignation that only the immigrant possesses....
(唯一彼らを結びつけているのは、アメリカに来たばかりであることと、移民だけが持つ決意と諦念が入り混じった疲労の表情が同じであることだ...)

"A Little Life"(2015) pg.23

私はこれを、アメリカの至る所で感じてきた。大学の食堂で、窓に手を置いて、暮れる空を静かに眺めるお姉さん。中華炒めを作ってくれて、その度にいつも話しかけてくれるお兄さん。目が合うとニコッとしてくれるJohnny。毎朝10時半になると寮のトイレとシャワールームの清掃にくるおじさん。彼らは、アジアや中南米からの移民で、どこか憂いを帯びた眼差しを共有していた。時に厳しいその現実を受け入れた者だけが持つ眼差しの力。私はアメリカのダイナミクスを、授業よりも彼らとの関わりの中で学んでいる。この本を少しずつ読み進めていくことは、自分が大学教育の物差しに収まらない全人的な存在であることを確かめるプロセスであり、考えるよりも「感じる」ことへの羽をまた広げるきっかけでもある。

読書の話に戻るとね、一人で物語の世界に浸ることは、何か大きな変化に直面した時の自分にとって、長く鎮痛剤の役割を果たしていた。それは失恋であったし、留学という大きな移動であったし、長い期間の暇という最上級に贅沢な苦痛であった。時に自分の傷を見ないようにし、時にそれを気付かぬうちに癒し、時に自分が思う以上に自分の力を感じるプロセス。自分にとって長い間苦痛だった読書は、自分にとっての薬にもなっていた。

”Good Shit”の話

吐き出すことは、取り入れることと同じくらい大事だ。人間は、食べ物を食べられないよりも、排泄ができないことの方が致命的らしい。そんなこんなで、午前1時、私はまだキャンパスの授業棟にいる。何してんねん。でも、友達とDMで恋バナして、今日の超面白かった日食のことと想像を混ぜ合わせたいい絵がかけて、投稿までできた。今受けている社会学の授業のパンクな教授に言わせれば、"Good shit"である。は〜吐き出せたな、また明日から頑張れそうだな、とか思うのである。にしても、こうやって溜め込むから次の日の朝が死ぬほど大変なのも真実。さあ、トイレにこもってはいられないようなので、そろそろ帰ってシャワーでも浴びましょうか。

疲れの話

木曜日、最近快眠がなかなかできなくて疲れが全く取れず、朝の予定と夕方の予定に行くことが、何よりも苦しかった。遅れていると思えば思うほど、腰は重くなる。それでも行った方が行かないよりも後悔しないと分かっているからこそ、行かないという選択肢はない。今日は、ラボでお世話になっている教授のつながりで、国際司法裁判所の裁判官だったPocarさんがUMassに来て講演するというので、Pocarさんとラボの生徒とクラスから選抜された生徒とで朝食会、そして夕方に講演、その後にレセプションが予定されていた。こんな機会をもらえたことはなかなかないじゃん、という面白がる気持ちと、体力と気力がすごく限界で、もうずっとベッドで横になっていたいという強い気持ちで引き裂かれそうだった。行ってみたら、どちらも話を聞くことや質問することはできて、実りのある時間だった。でも、国際法(戦争法)って、人を傷つけていい範囲を決めて、それに触れたかどうかとかで争ってるのになんだか嫌気がさす。知り合いの教授は、その講演を聞いて、国際政治はチェスみたいだと言っていた。本当にそうだと私も思う。あと1998年までレイプが全く俎上に上がらなかったこと、これは男性中心な裁判官の構成からもわかるみたいに、女性の声や主体がほとんどなかったことを表しているんだろうな、今もたりないんだろうなと、Pocarさんの質問に答える姿勢からも見え隠れしていた。

そしてここにきて、見ないようにしていた、できていた限界を強く感じる。日本からこの間来ました、と言ったらうまく行くケースが多い。それは、日本への悪くない感情(やっぱりクールジャパンは強い。)と、「交換留学生にしては」英語頑張ってるという(上から目線な)評価が関係しているのだろう。でも、白人がメインで6人のメンバーがいる国際政治のラボでうまく人間関係を築けなかったり、アタックして実現した初対面の学生とのインタビューで、緊張しちゃって全然英語が出てこなくて気まずくなったり、よく地震喪失している。日本語を話す人ともずっと仲良くしているからか、”英語力”の伸びも、少し止まっちゃった気もする(なるだけ英語で喋ることは努力しているし、教授と話すことにも慣れてきたけど、ぐんぐん伸びていた分、その変化率は下がっている)。

それでも、ここに来て得たでかい気づいはこれだ。真の壁は、”英語力”ではない。対人関係の構築力だ。これ、自分は集団では全然得意じゃない。多くの場合マイノリティである自分の立ち位置を、交渉を重ねながら自分で築いていかないといけないのだ。きっと海外で会社や組織に勤められたところで、これがうまくできないと毎日が地獄だろう。カジュアルな雑談の文脈がわからないことはザラで、なんか頑張って頭で翻訳して言った言葉が、英語で別の意味をもつらしくて嫌な感じで笑われたり、別にハブっているわけじゃないんだろうけどパワーバランスがあまりにも非対称で、appreciate(認めて)してもらえている感じがしなくて、ここにいたくないな、とか。そうなると、なんか自己開示もしにくくなって、本当の自分がうまく出せない、怖いな、とかいう負のループ、疲れてしまった。あ〜久しぶりの挫折経験かも。これ、久しぶりだってことは、今まで順調だった(と少なくとも感じていた)んだってことじゃん、すごくない?

中高の時みたいにあからさまな意地悪とかはあまりないし、それは流石にアホでしょっていう土壌も、度胸もある。でも、多分恵まれた環境にいすぎて、自分で交渉して立場を築いていかないといけないこともあるということを、忘れてしまっていたんだろう。ここが再スタート。ネガティブなセルフトークを始めたら、それは休息が足りてないという意味でもあるので、とりま冬眠ばりに寝てまた考えます。

今が留学のピークじゃないかなと思った話

明日、私は5大学合同の人類学・社会学の学部生カンファレンスに出る。お隣のアマーストカレッジに在籍している仲の良い友達から教えてもらって、自分の論文(もどき)の発表をするチャンスをもらった。とは言っても選抜があったわけではないから特段すごいことではないんだけど、これは、自分の留学中の、しんどかったけど特に頑張ったことの集大成なのだ。

✴︎まずは、私のメジャーである社会学・ジェンダー学の中でも、特にマイナーなトピック:男性学をとことん掘り下げたテーマであるということ。

✴︎大学3年生の時に出会った「真のダイバーシティを目指して 特権に無自覚なマジョリティのための公正教育」という本から受けた、マジョリティに向けた教育への強いインスピレーションを、こうして形にできたこと。

✴︎ペーパーを書くまでの過程も全く平坦なものではなかった。まず、このトピックに該当する授業が一つもなかった。提携している5大学どれを見ても。学びたいことが、大学のオファーとマッチしないからできないというのは、すごく悔しいことだ。次に、授業以外でどう勉強を進めたらいいのか、どんなサポートがあるのか、その選択肢がわからなかった。そしてようやく見つけた個人研究(independent study)の履修という選択肢。しかし、それを履修するために必要な教授のサポートが、いくら頼み込んでも得られなかった。その理由は、私が交換留学生で教授たちとの十分なコネクションがなかったから、そして教授たちがその学期中忙しかったから(お願いし断られた教授6人全員に「忙しいから」と言われたけど、きっと私を受け入れる暇はない、ということなんだろう)。自分の学びを深く追求する上での、交換留学生としての限界を強く感じた。最後にようやく頼み込んで、そしてその教授のパートナーの先生に推薦してもらって受け入れてもらった教授は、月に一回しか会えないと言われ、名前通り、"independent(自立した)"な研究となってしまった。欲しいサポートは、与えられたリソースの外に探すしかなかった。 (この時期のしんどさは、春学期2週目の日記に書いてある。思い出すだけで蘇るあのしんどさ、、、とほほ、、)

✴︎春学期が始まり、隣のリベラルアーツ大学・アマースト大学の教授のオフィスアワーに通い始めた。人種研究の先生なので、James Baldwin、Ta-Nehisi Coates、Tony Morrisonなどの名著を一緒に紐解いていく。その過程で、自分の書きたいことを相談したり、応援してもらったりすることもできた。全部全部、自分で切り拓いていかないといけなかった中での不安や疲れは、この先生のもとでゆっくりと昇華されていったように感じる。

✴︎アマースト大学でとっていた授業の教授も、すごくよくしてくれた。少人数のセミナー形式で、事前課題のリーディングを100ページくらい読んで集まり、ディスカッションしていく。この先生は、授業時間に教授を質問攻めする私を、「社会学者の卵」として扱ってくれた。そしてこの教授がアサインしてくれるリーディングは、すごくインスピレーションに溢れていた。その一つは、白人女性に自分の特権についてインタビューしたもので、そのセオリー化や分析の深さは、まさに私がやりたいことのロールモデルだった。
正直、リーディングの量をこなすことはきつかった。でも、授業が終わる頃には、もっと学びたい、もっと社会の不公正や不条理を自分の言葉や知識を使って突き止めたい、言葉を武器のように、そして踊るように使いこなして表現したい、と思わせてくれた。そして、ペーパーの執筆時もたくさん応援してくれた。

✴︎話してみたい人にはどんどん連絡することを徹底した結果叶った論文だった。例えば、参考文献の一つに入れていたBob Peaseさんは、実は自分のインターン先のワーキンググループにいる人だと気づいて、1週間もじもじした後にメールを送って、zoomでお話を聞けたこと。3年生の時にインスピレーションを受けた本の著者Diane Goodmanさんにもメールを送って、zoomのオッケーをもらったこと。男性による反性暴力ムーブメントを始めたフラット・ブラザー(つまるところのパリピイケイケ男子学生)に、友達の友達の伝を辿って思い切って連絡して、インタビューさせてもらったこと。日本語のチューターを通して仲良くなった友達にもインタビューさせてもらったこと。ジェンダー研究のオフィスを訪問してコーディネーターさんと小一時間話した後に紹介してもらったTom Schiffさんにも時間をもらって、とことんインスピレーションと情報と人脈をもらったこと。

今、そのプレゼンの準備をしていて、大変だけど楽しくて、嬉しくて、感極まって、ゆずの「栄光の架橋」を聴きながら涙が溢れている。なんて陳腐なんだろう、とか自分で思いながら。「決して平らな道ではなかった けれど出しかに歩んできた道だ」って、もうずるいやん、もう、泣くやん。こういう悟りの瞬間や、感極まる瞬間は、ほとんどが自分一人の時に起こった。人といる時には、うまく心をひらけないのだろうか?きっと、その人との時間を大事にすることを優先していて、自分の心の中の整理は後回しになっているからだろう。ようやく、私は頑張ってきたと、心から自分に言えた。留学にこれているのは自分の努力のおかげだけじゃない。借金してまで金銭面の援助をしてくれている父、アマーストの寒さや食事を心配して2回も段ボールいっぱいの荷物を送ってくれた親、奨学金のサポートをしてくれた人たち、それに受かった運、手紙や電話、zoomやラインで精神的なサポートをしてくれた中の良い人たち。そんな人たちへの感謝と共に、自分で切り拓いてきた道を振り返って、遠いとこまで来たな、とじんわり感じるのだ。たとえ誰かとこの感情を全部共有できなかったとしても、たとえ自分の今思い描く進路が歩めなかったとしても。

笑っちゃったことの話

・授業で隣に座ってた人のパソコンが、急に熱くなってブォーーーーーーって音を出し始めたこと。そっち見たら目があってちょっと笑っちゃった。

・友達が元カノの今カレに遭遇したらしく、その今カレを「めっちゃブチャイクだった」って言ってた。典型的な元カレやん。

・今週二個でかいプレゼンしないといけない友達が限界すぎて送ってきたスタンプ。

絶妙すぎる。

・アートの授業でめちゃくちゃ面白いクラスメイトがいるんだけど、彼が日食メガネつけて、おもしろTシャツ着てポーズしてる写真。(まだ許可取ってないのでいつか載せます)

・フォトジェニックすぎて困っちゃう

アマースト大学の食堂にて

・友達が9歳の時に残した手形の大きさが、23歳の私とほぼ一緒だった。え??

Oh Allah… 

・図書館で勉強していたら、友達が突然歯磨きを始めた。

イカしてんな。

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