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出し惜しみするPSYCHO-PASSにはもうたくさんだ!だから1だけでも補足する

#ネタバレ

この記事がやろうとしていること

自分なりにこのPSYCHO-PASSシリーズを受け止める努力をして、これからはもっと素直にこの作品を楽しめるようになろう、というのがこの記事だ。

こういうのを書くのは、作品のファンの人や制作に関わった人たちを傷つけるかもしれないから書くべきじゃないかなあ、とかず〜っと考えてきた。

推しの子とかで、素人の僕だって作品を完全な形で出せなくなる理由も、クオリティが維持できず苦しむ人たちも、僕は知り始めている。

だから今回の映画が出た時、さっきの記事のように「自分のことを先生と思っている一般人」というフォーマットに無理やり押し込んで、ごまかして書こうとしてきた。

でも、これじゃ自分がこの作品に没頭できるようになる、この作品を受け入れられるようになる記事には全くなっていなかったことにようやく気がついた。

ただ、慇懃無礼に振る舞っていただけだった。
ただ、報復が怖いからと制作に関わった人たちを怒らせたくなかっただけだった。

そんな感想をみたところで、誰も、ファンも、制作に関わった人も、嘘ばっかりでつまらないに決まっている。

だからこれからはちゃんと自分が思ったことに正直になって、けれど意見を言うからこそ自分なりに補足しながらこの作品を受け止められるようにがんばっていこうと思う。

でもそんな出し惜しみだったの?

実はこのPSYCHO-PASS PROVIDENCEの話をしているわけではないのだ。この作品のシリーズ全体において、構成と脚本、映すものが出し惜しみに苦しんでいるように感じるのだ。

今回はその理由と補足、さらに出し惜しみをしなかった場合に私が納得できるストーリーを付け加えながら潜り込んでいこうと思う。

PSYCHO-PASS1における失速感は、1話から始まっていた

開幕の数分は、非常に完成されていた。しかし、1話目における話については、結局は朱ちゃんの受難に終始してしまっていた。

PSYCHO-PASS1の開幕の数分という未来が確定していたのなら、わずかでも構わないから免罪体質者の槙島を出しつつ、免罪体質者である朱ちゃんと対比させていくべきだった。槙島と朱ちゃんの共通点に、狡噛慎也おにいさんは気がつくべきだった。

たとえば朱ちゃんが驚いたり犯罪に巻き込まれた直後に狡噛が不審感を感じてドミネーターを向け、まったく犯罪係数が上昇していないのに驚く、とかだ。

そして最後に狡噛が朱ちゃんにドミネーターを向けられ撃たれることで、罰を受ける。しかし狡噛は槙島に近い新人の朱ちゃんに、深い興味を寄せ始めていく……

このあたりのストーリーラインを脚本として見直した場合は、かなり絵コンテも描き直さねばならずとんでもない労力が発生してしまうことだろう。だから選ばれなかった可能性は十分高い。

とこんな感じで補足するストーリーラインのプランも多少提示するが、かなりガバガバだ。私はこの作品のノベライズをまだしていないからだ。

たぶんしていたらこんなこと書いてないし、ノベライズなんて地獄、締切の権化ことしまっちゃうおじさんを前に「もうだめだ〜」とかぼのぼのみたいなことを言い出して頭をかかえているはずだ。

だから、結果論からの理想の話だけに終始してしまうことをあらかじめご了承願いたい。

PSYCHO-PASS1における前編からの後編の致命的な失速感の理由

槙島が出てくるまでのPSYCHO-PASSは、非常にテンポ感がいいと周囲の人々はよく述べていた。けれどその一方で、槙島を追いかける後編については失速していたという話を周囲の人がしていた。

周囲の人からのかなり鋭い指摘として私がよく覚えているのは、「槙島は、出れば出るほどにそのすごさが失われていった」。

全くの同感だ。この作品に素直になった今になって思うのは、次のようなことだった。

そもそも、槙島とシビュラの関係性、免罪体質、この世界における法というものをネタバレするタイミングを出し惜しみしたせいで、うまく作中で書けなくなっていた、ということだ。

この事象は起こるべくして起きた。そもそも免罪体質とはいかなるものなのか、この世界における犯罪とはどういうことか、ということ狡噛が調べてヒットしていない、さらに周囲の人々もそれを知らず、それらの状況を前編に出せなかったことにある。

これは、PSYCHO-PASS1の総集編で大幅に槙島や狡噛の独白シーンを大量に追加しても解決が困難なものだ。

以後は、この内容に合わせて山ほど補足や希望とそれに準じたストーリーを出していく。

狡噛慎也が槙島が免罪体質者である可能性に気づいていた場合

サイマティックスキャンに引っかからない、という時点で狡噛のキャラ性としてひとつの仮説、「犯罪係数が測れない人間が存在しうる」というところに前編時点で勘付いていて然るべきだ。

狡噛はそのせいで犯罪係数が大幅に上昇し、監視官でいられなくなった、という設定にしていれば、狡噛はシビュラシステムに深い疑義を抱えることになる。「シビュラシステムは、思ったより恣意的なものかもしれない」と朱ちゃんに語るところに繋がる。

常守朱が槙島と自分が免罪体質者である可能性に気付いた場合

朱ちゃんは狡噛からの言葉に、法とは何か、正義とは何か、を葛藤しはじめる。それなのに、自分の色相がクリアでいるままであることに恐れ始める。「シビュラって、本当はなんなの?」と彼女が独白する。

そして真実をシビュラから明かされたとき、彼女は自らの正義というものが、壊れていくことを感じ取る。

その銃口が、正義を支配しているということと戦わねばならないことに気づいていく。

宜野座伸元が狡噛慎也から免罪体質者のことを聞いてしまった場合

狡噛がこの疑義の証拠を周囲に話してしまったがために、宜野座めがちかに「ふざけるな!ありえないだろ!」とか言いながらも、その証拠を見てしまったために色相が濁り始めた理由になっていく。

むしろ朱ちゃんに対する厳しい態度は、「シビュラによる正義は完全で、それを証明し続けるために俺たちは戦うんだ」というしがみつきでありながらもかなりまともなスタイルへと変貌していく。多分こんな調子なら、朱ちゃんを侮辱したりすることは決してなかったはずだ。

征陸智己が免罪体質者を知り始め、宜野座伸元を諭した場合

征陸のとっつあんも狡噛慎也の仮説に、「そりゃ、パンドラの箱なんじゃねえのかい」とため息をつきつつも、後半になって狡噛慎也の言っていた通りになり、正義を執行することの意義に揺れるのぶちかに「ボールになれ、のぶちか」と言って諭す理由にもつながっていく。

「あんたは犬になるつもりなんだろ?」
「そら執行官だからな」
「だったら、それを監視するのも俺の仕事だ。母さんを置いて行った罰を、お前の正義ごときで償えると思うなよ」

とかのぶちかがかっこよく言って、狡噛をなんとかして呼び戻そうとすることもわりかしありえるようになっていく気がする。

槙島が、狡噛がシビュラの謎に迫っていると気づいた場合の軌跡

槙島は、犯罪者としてシビュラが恣意的なものである見出そうと力を行使しているという狡噛との共通点をつくりだせる。

槙島から、「僕と君は実は同じことをしようとしているんだよ」とおちょくられるのが、むしろ「お前はただの犯罪者だ!」とか言っている狡噛にとっての深い重みになっていく。

槙島はただの犯罪者として描かれているが、それでは間違いなくもったいないと私は思う。全ての犯罪が、シビュラという寡頭政治を嘲笑う犯罪としてつくりあげられるべきだったと思う。

というのも、シビュラの対極にある統制こそが法による支配であり、そここそが朱ちゃんと目指すところが同一になりうるからだ。

狡噛慎也や常守朱に、「君たちとは友達になれそうだ」と言っていたっておかしくない。

それゆえに槙島は恣意的なシビュラ支配の世界に飽き飽きし、大規模テロによって法による支配の完遂というかつての世界に強制的に巻き戻そうと画策しだす。暴力によってこれまでの歴史をこの国で再度発生させようとするしかない、と一係との対話の果てに理解したからだ。

「僕たちと同じことに気づいた君たちが人々に啓蒙してくれると、僕は考えていた。だから、失望した。君たちの嘘は続けてあげよう。代わりに、君たちには、罰が待ち受けている」

ハイパーオーツへのテロの前振りへの希望

ハイパーオーツへのテロを槙島は実行しようとするが、こちらも前振りがなく唐突だ。この意見は学生時代に聞いて、よく覚えている。

一話目の違法区画にて、どこかのシーンで「ハイパーオーツの練り粘土なんかの非じゃねえ、これは本物だぜ」といった会話が入りつつ、この国が鎖国していることや、食料自給に関わる話、そしてシビュラの外側にいるしかなくなった違法区画の外国人たち、という描写を一話目の中で重ねることで、このシビュラ社会がどうやら現代日本とは違うようだ、ということを意識させるべきだったと思う。PSYCHO-PASS3を前側にもってくるかのようだが。

そして、事件を解決するほど、自分たちは本当に正義を実践できているのか?法というものは存在していないのか?という部分に疑問をフォーカスさせていくべきだったように思う。

そうすることでこそ、シビュラの存在意義と、それで成り立ってしまった世界、そしてそこで笑顔で暮らす朱の友達やおばあちゃんとのことが重く受け止められていくように思う。

狡噛慎也と常守朱の後編からの軌跡の多大な補足や希望

ここからはもはやプロットだ。

狡噛慎也と常守朱は迷い始める。真実を明らかにしたところで、このシビュラの支配する世界で刑事としての役目を果たしたとして、自分はどうなるべきだというのだろうか?どうするべきだというのか?と。

それらに迷いに迷った結果、法の執行者として槙島を捕まえようと決意する常守朱と、自ら法の執行者となる道を選択する狡噛慎也が対立することにつながりうるし、そうであってほしいと思った。

常守朱は、朱ちゃん、とやさしく話してくれるおばあちゃんや、友達、そして刑事課一係のみんなのために、この世界が少なくとも暴力で満たされないようにするために、いまある社会を残しながら法を適用しようとがんばることになる。

それがたとえ、自分が一年目にしてシビュラに選ばれる特権を持ち、槙島を捕まえておとなしくシビュラに渡せばいずれ日本で神の如き寡頭政治家へと昇進できるとしても。

そういう重みを、PROVIDENCEまで出し惜しみせずとも果たすことができたはずだ。

狡噛慎也は、常守朱と同様にこの世界を守りたいと思うけど、自分が法を適用できずに潜在犯として執行官になるしかなかったからこそ、常守朱のような選択をもうできずにいる。

というのも、現在の狡噛慎也は上記の法への意識が弱かったせいで、征陸のとっつあんから教わったはずの、正義、という話をしなくなってしまっている。むしろそれはあれだけ冴えたキャラクター性とは噛み合っていないように思える。作品の流れから牙を抜かれてしまっているかのようだ。

人に頼っても何も変えられなかった、だから執行官になってから、ますます強くなるしかなかった。全部は、この日のために。そうして出ていき、狡噛慎也は槙島に銃撃によって正義を下す。

そして常守朱のところに戻ってきて、逮捕しろ、と彼は言う。法によって、俺を裁いてくれ、そう彼は言う。

けれど、常守朱は手錠を投げ捨て、狡噛慎也にエリミネーターを向けながらも、いますぐこの国を去れ、と言う。

すべては、狡噛慎也を守るためだった。シビュラの目のもとにいれば、いずれ彼は殺されるしかないからだった。

そうして狡噛慎也はすべての期待を折られ、常守朱のもとを去っていく。常守朱は自分の役を演じ切ったその果てに、PROVIDENCEの時のように泣き始める。

そうして彼女は、シビュラからは彼女を魔女と侮辱する。けれど常守朱は、私を裁きたければ、法に基づいた審判を下せるようにするしかない、と言う。シビュラの真実を明かすことを脅しとして利用する。

シビュラは常守朱との密約に従い、少しずつ刑法の執行機能を取り戻させていく。

まずはシビュラから、犯罪者をパージする作業から開始するなどだ。PSYCHO-PASS2における部分を、より前倒しすることになるだろう。

そうして、霜月監視官がやってきたとき、あの落ち着いた、けれど何か大切なものをなくしたような常守朱が刑事課の課長として現れる。その振る舞いは原作通り、二年目にしてはあまりに落ち着きすぎている。

けれど、常守朱の法への祈りは、決して変わることはない。それが訪れるとき、ようやく狡噛慎也は帰ってくることができるのだから。

以降のシリーズに関する補足に関して

ここまででPSYCHO-PASS1なわけだが、ここまで大規模にストーリーが違うと、2やPROVIDENCE、3からもかなりの齟齬が出る可能性が高い。とはいえ、基本的なキャラクター像はかなり強固になるためかなり個人的には納得のいく作品の流れになる、と信じたい。

補足を書き終わって

ここまで書きまくって、自分なりには多少は納得をしつつある。

でもこの作品の状態は、明らかにPSYCHO-PASS1の状況からは異なるものになっている。この妄想をノベライズするなんてのは、正直無理が起きてしまうだろうし、多大な迷惑を各方面にかけることとなるだろう。アニメ版だけがPSYCHO-PASSのすべてじゃないのだ。

出てしまった作品をやり直すことは、ふつうできない。エヴァンゲリオンの奇跡を、どの作品も受けることはできはしない。

けれど私は信じることにする。

PSYCHO-PASS4においては、もっと出し惜しみなく、素敵な作品になると。
仮にPSYCHO-PASS4がうまく表現できなったとしても、今度こそ自分は受け止め切ってみせると。


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