自分を整える作業 3
気がつけば、あれから2ヶ月近くが経った。
最初は、とにかく心に溜まったモヤモヤを吹き飛ばそうと断捨離から始めた。そこからウォーキング、筋トレ、ヨガと、どんどん自分を整えるための習慣を加えていった。
やれるのか、続けられるのか、不安はあったが、驚くことに今も続いている。むしろ、それだけじゃ飽き足らなくなり、いいと思ったものは片っ端から取り入れた。最終的には瞑想やアファメーション、読書、ジャーナリングまで、すっかり生活の一部になった。
いつも3日坊主で終わっていた私が、6週間も続けている。熱しやすく冷めやすい私がだ。これはもう快挙としか言いようがない。
もちろん、順調に進んだわけじゃない。何度も挫けそうになったし、面倒くさくて投げ出したくなったこともあった。それでも、なんだかんだで6週間以上続けている。これはもう、私の一部になりつつあるのかもしれない。新しい自分の姿が見え始めている。
それでも、ふと立ち止まる瞬間がある。
「私は、何のためにここまでやっているんだろう?」
自分を整えたい、そう思って始めたけれど、いったい何を求めているんだろう?どうして変わりたいんだろう?その答えを知りたくて、自分に問いかけ続けている。
今の私はすでに恵まれている。それでも、何を求めている?
振り返れば、私は健康で、子どもたちも無事に育った。資産は多くないが、生活には困らない収入がある。好きなことをある程度できる環境もある。冷静に考えれば、今の自分は十分に恵まれている。それでも、私はまだ何かを探している。もっと先に何かがあると感じている。
去年までは、4人の子どもたちのサポートに全力だった。自分のことを考える暇なんてなかった。しかし、今こうして時間ができ、ようやく自分自身と向き合う余裕が生まれた。だからこそ「自分はどうなりたいのか?」と考えるようになったのかもしれない。だけど答えはまだ見つからない。何を望んでいるのか、はっきりとはわからない。
「いつも元気でいたい」「毎日を楽しく過ごしたい」「もっとたくさんの経験をしたい」「やったことのないことに挑戦したい」──そんな言葉が浮かぶが、どうも核心には触れていない気がする。いろんな人と会い、話をし、本を読み、旅行してみても、何かがまだ足りない。
それでも、確実に変わっている。自分を信じ始めた自分がいる
正直、もどかしい。
散らばったジグソーパズルのピースが埋まらないようなこの状態に、苛立ちを感じることもある。しかし、2ヶ月前と比べると、確実に心が安定している時間が増えているのを感じる。少なくとも、今やっていることの方向性は間違っていない。そう信じられる自分がいる。
自分との小さな約束を守り、積み重ねてきたこの習慣が、少しずつ私の自信と力に変わり始めている。
あと1ヶ月、続けてみようと思う。
その先には、これまでにない新しい自分が待っているかもしれない。「私はなぜ変わりたいのか?」「自分を整えたい理由は何なのか?」その答えをつかむために、習慣化しつつある事項をを淡々とやっていこう。