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現実は自分が創ってるなら

前回、高齢者のお手伝いボランティアをやりに行ったら

依頼者さんが忘れて外出して不在で、

社会福祉協議会の担当者のヘラヘラした対応に

ちょっと💢としたことを深掘りして自分を知ったお話を書きました。


今日、またその依頼者さんのお手伝いの日でした。


依頼者さん、今日はいらっしゃいました。

「こんにちは」と挨拶して、早速、お部屋に上がります。

すると、開口一番、依頼者さんが私にこう言いました。


「この間はね、忘れていた訳じゃないの。担当の人が私にその日だって言ってきてなかったの。その日は予定があるから、その日に決めるはずないんだもの」

え?

「担当者の人から、伝えてあったの忘れちゃったんですか?って言われたんだけど、担当者から連絡なんか無かったの。担当者の人が自分で忘れて私に伝えてなかったの」

私は「そうだったんですね〜」とだけお返事しました。


そして、私は、思いました。

「もしかしたら依頼者さんの言う通り協議会の担当者が連絡忘れていて、私に嘘の説明をしたのかもしれない。もしかしたら本当に依頼者さんが忘れていた、または何か勘違いをしていたのかもしれない。でも、もうどっちでもいいや」


以前の私だったなら「あの担当者、ヘラヘラ嘘ついたんだな!」って

かなりの怒りモードで「もうボランティア登録なんか辞めてやる!」などど

思って、文句の一言でも電話していたかもしれません。 


だけど今日は

「なんか もう そんなことは気にしないでいいや〜」と笑えました。

ひとつ 成長したのかもしれません。


それよりも、気になったのは

よく聞く「現実を創っているのは自分」ということについてです。


本音と建前 嘘と真実

 

最近のことですが

「あんなこと言ってても結局は違うんだな〜」とか

「いい顔見せて本音は違うんだな〜」とか「なんと客寄せ桜の多いことか」

などと思うことがいくつかありました。


SNSやニュースを見ていてもそうですね。


出来事の表面だけでは真実はわからない

何が真実か、どれが真実か、何が正しいのか 

そもそも正しいとか間違いと割り切れるものなのか

それはほんとうに正義なのか? 

今はそれが正しいって言われていても何年後かになると違ったりするよね。とか


いろんなことを

人の意見を盲信するのでなく、自分の感覚を信じることが大切なんだな〜

そして 一々の出来事に一喜一憂しないで

思い込みをせず、慌てず焦らず動揺せず怒らず・・・


自分の中にあるものが現実を創ってしまうなら

穏やかに平和に嬉しく楽しく豊か〜にしていよう

それしかない 無理にでも!って思いました。


嬉しい 楽しい 幸せ 素晴らしい 美味しい 心地よい 素敵〜な現実


汚職も戦争も誹謗中傷も事件もありません

何ですか それ?っていう世界と言う現実を

創りたいな〜














素晴らしい世界をたくさん見たい。たくさん感動したい。知らない世界を知りたい。幸せは循環させたい。ありがとうございます。