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人を信じるとは           ヘッセを探しに行った旅での出来事

聖地巡りじゃないけれど、憧れる人物に関わる場所、物には触れてみたくなるのは当然のこと。大好きなヘルマン・ヘッセの故郷カルプと、愛してやまない作品「ナルチスとゴルトムント(知と愛)」の舞台でもあり、また、ヘッセ自身も通った神学校、マウルブロン修道院(作中ではマリアブロン)へどうしても行きたい気持ち止みがたく、私は旅に出た。

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シュトゥットガルト中央駅から急行に乗りミュールアッカーという駅で降りる。マウルブロンへはここから路線バスに乗り換えて30分くらいで着くはずだ。早る気持ちと期待感をもって駅前広場でマウルブロン行きのバス停を探しているとき、急にトイレに行きたくなった。

日本だったら駅にトイレがあるはず・・・と駅に戻るが、ここでは見当たらない。トイレが無い・・・。ああぁどうしよう。。。うろうろしていたら広場の片隅に、ヨーロッパにはよくあるトイレが設置されているのを発見。走って向かうと、ベビーカーに乳児を乗せた若い母親が入口の前に立っていた。

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若い母親の後ろに並ぶ。あぁコインしか使えなさそうだぞ・・・。すぐトイレに入れない残念な気持ちとコインが足りるかどうか不安な気持ちを落ち着かせながら、いくら必要なのかその若い母親に聞いてみた。ドイツ語なんて話せないから片言の英語で。

「1ユーロ、今、洗浄中みたい」と、教えてくれた。扉の脇にある小さな液晶モニターに洗浄中と思しきピクトグラフが出ている。確かに1ユーロの表示もあった。1ユーロなら持っている、と一安心。

何分か待っていたが、一向に「洗浄中」が終了しないのを待ちきれなかったのだろう、若い母親はベビーカーを押して歩いて行ってしまった。しかし、私は「ここでトイレに入らないままバスには乗れないぞ」と、しばらく我慢して待つ。すると、ほどなく洗浄が終了。例の若い母親は100mほど先を歩いていた。彼女はトイレが開くのを待っていたのだから、絶対トイレに入りたかったに違いない!と思った私は走っていき、「トイレ開きましたよ!」と教えてあげた。

彼女は喜んで戻り、トイレに入るときに「自分がトイレに入っている間ベビーカーに乗った子供を見ていてほしい」と私に言った。

え?!?! 

私は赤ちゃんの目線にしゃがんで語りかける。もちろん日本語で。泣かずに私の目をみている。何か言いたそうだがよくわからない。みたところ、まだ生まれて半年も経っていないようではないか。ベビーカーにはカバンも括り付けてある。母親は身一つでトイレの中だ。

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「ねぇ、きみのママ、何をもって私を信用してくれたのかな?」赤ちゃんに語りかける。無垢な微笑みをかえしてくれるだけだけれど。

今、たった今、ここをたまたま通りすがっただけの、全き未知の異邦人に、こんな幼子を預けて心配じゃないのだろうか? ジーンズにリュック、予期せぬ寒さのため、旅の荷物から適当に出して重ね着した、どう見ても変な恰好の異邦人に。これが日本だったらどうだろう。アメリカだったらどうだろう。なぜ、この私を信用してくれたのだろう。

トイレから出てきた若い母親とは互いに軽く挨拶だけをした。彼女はベビーカーを押して帰って行った。私はトイレを済ませ、安心してマウルブロンへとバスに乗った。ただ、それだけの出来事だった。

しかし、トイレの中は意外と広く、ベビーカーごと入れるくらのスペースがあったのだ。何をもって、私を信用してくれたのだろう。彼女にとってはそんな大ごとでは無いのかもしれない。人を見たら泥棒と思えという諺なんか存在せず、何かあれば他人を匿名で攻撃するような人間ばかりの社会には住んでいないのかもしれない。

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マウルブロンは世界遺産になっている。ヘッセが通い、脱走した当時のままだ。礼拝堂、イエス像、天井の絵、重厚な扉、柱頭、彫刻・・・。たった今、あの回廊の角をナルチスが曲がった後ろ姿が見えたような気がするくらい、そのままだった。中庭のベンチに座ると鳥のさえずりが聞こえた。なんて気持ちがいいんだろう! 泉の水に触れたら何故か涙があふれてきた。何もかもが当時とつながっている気がした。

何をもって信用してくれたのかはわからない。信用とかそういうことじゃなく、ただ、普通のことだったのかもしれない。でも、疲れた私のこころには深く大きく、素敵な出来事として刻みこまれた。



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