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満月とその晩の寝際に

 遅くなった仕事帰りにスーパーマーケットに立ち寄って、食材をいくつか買い込んだ。満月の晩だからと理由をつけて、レモンをひとつ手にとり、レジに持ち込む。黄色の瑞々しい輝きを手中におさめてみたくなったのだ。
 部屋に戻ると、インターネットラジオで、フィンランドポップを流しながら、一人で簡単な夕飯を済ませた。心中に昼間のトラブルが押し返すように去来したが、それを急いで退けてしまえば、夜更けの匂いで身体が和む。やっと待ちわびた時間だった。一日のうちで、これほどの至福はないだろう。
 眠りにつく前の三十分。以前は、読書にあてたこの時間を、最近は、何もしない時間と決めている。何もしない、とは、なかなか難しいことだった。何かをすることに追われているのが、現代人の日常だ。何もしないことを試みる時だけ、それ以外の時間が常に何かしらの意図を持ち込んでいることにも気がついた。
 これまで何もしないことはあったかしら?……ふとよぎる疑問は、何もしないことの妨げになるだけで、何もしないことには決してならない。就寝前のひと時に、不可思議な試みを思いついたものだと、我ながら面白く思った。そして、枕に顔をうずめた。このまま睡魔が訪れたらいい。
 記憶の片隅で、いつかどこかで耳にした「月とラクダの夢を見た」という曲が流れていた。歌詞は覚えていない。
 蜃気楼のような闇に消えゆく意識に、ぽっかりと浮かぶ月とラクダ。それは、子どもの頃に眺めた紙芝居の風景と重なってか、モノクロ画像で再生された。
 寝際の視界、その遠方には、薄靄のかかった広大な砂漠を旅するラクダが見え隠れする。ラクダには、まるで恋人か母親のようなやさしさをそそぐ満月があった。
 いつかまた会うその日まで、夜半ともなれば、その旅は終わるともなく続くだろう。紙芝居の中で、音楽の中で、そして夢の中で。
 それは、その日一日が締めの鐘を打つ、そういう時刻のことだった。

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