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「れもん、うむもん!」読書感想文〜妊娠出産に不安を抱える全ての妊婦さんへ〜

れもん、うむもん!↓
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私は3回の出産経験があります。
その3回とも、順調とは言えない妊娠出産でした。

1回目:結婚予定だった交際相手に妊娠を告げると出産拒否され、逃げられる。未婚の母となる。高熱と乳腺炎に悩まされる。

2回目:その後別の人と結婚し、妊娠するも、職場がブラックで臨月になっても休めず、倒れて救急搬送。以後病気を抱える事になる。

3回目:持病もありつつ更に妊娠糖尿病になる。持病の治療に加えて血糖値測定及びインスリン注射しながらの妊娠生活。


妊娠が判明して私が最初に思ったこと。
「もう後戻りできない」
妊娠の先には産むか堕ろすかの二択しかありません。私は当たり前のこの事実に愕然としました。私は''産む"を選びましたが、"堕ろす"を選んだ人も否定しません。

こんな事を書くと、計画的に子供を作れとか、子供の命を何だと思っているのかとか、不妊治療をしている方の気持ちを考えろとか、流産や死産をする方もいるとか、批判したい方や不快な気持ちになる方もいると思います。

でも、それは人それぞれであって、私の苦しみや悩みは私のものだし、人にはあげられません。同じく、共感は出来ても他の人の苦しみや悩みを私がもらう事も出来ません。でも寄り添う事は出来ます。

妊娠や出産も千差万別、考え方もその方法もみんな違っていいと思います。

妊娠する前は、妊娠や妊婦のイメージって優しいオーラで包まれて愛おしそうにお腹を撫でるという幸せそのもののイメージでした。
このイメージは、「れもん、うむもん!」で、はるな檸檬さんも似たような事を描かれていて、結構大多数の方が持っているイメージなのだと思います。
もちろん、実際にそういう妊婦さんもいらっしゃるだろうし、妊娠したらすごく母性が溢れる方もいらっしゃると思います。

しかし、いざ自分が妊娠してみると、思ってたんと違う‼︎と感じる事が多々あったのです。

妊娠検査薬で陽性が出た時の私の「もう後戻りできない」という気持ちも思ってたんと違う‼︎でした。
もっと嬉しいとか幸せとか赤ちゃんが愛おしいとか、母性の塊のような、そういう気持ちが勝手に湧き起こると思っていました。
母性は湧いてくるどころか、妊娠の実感も湧かず、ただただ愕然としました。

私が妊娠した時の環境も影響していたのかもしれませんが、嬉しさや喜びよりも、戸惑いと不安が先に来ました。  

元々子供が苦手という事もあって、更に妊娠に対する自分の反応により、私が母親になれるのか、なってもいいのか、とても悩みました。

でも初めて産婦人科で赤ちゃんのエコーを見た日。その日は忘れられない日になりました。

ちなみに妊娠12週くらいまでは赤ちゃんが小さいので、エコーはお腹の上からではなく、膣内に棒状のプローブというエコーの機械を入れられて見ます。
座ると両脚が段々と開いていく椅子に座って、ガバーと両脚が思いきり開いた所でその機械を入れられます。
これも思ってたんと違う‼︎と衝撃的でした。
こんなに屈辱的な格好で妊娠って確認するのかとショックでした。

それでも、白黒のエコー画面の中にポツンと小さなそら豆みたいな形の白い部分があり、その中でチカチカ点滅している赤ちゃんの心臓を見た時、じんわりと胸に込み上げてくる感動があって、私は涙が出てきました。

そら豆みたいな形の部分は、胎嚢と呼ばれる赤ちゃんが入っている袋です。チカチカ点滅しているのが赤ちゃんの心臓の動き、つまり心拍です。心拍が確認されて、ようやく正式に妊娠と判定されるのです。
心拍が確認されるまでは母子手帳も貰えません。

こういう細かい事も、妊娠するまで全く知りませんでした。

そして、産婦人科では妊娠が確認されると、産むのか堕ろすのかを聞かれます。最初に問診票に書く所もあります。堕胎は受け付けていない産婦人科もあります。

私は赤ちゃんの心拍を見て、産もうと決心しました。まだつわりも無いし、お腹も膨らんでいない。でも確実に自分のお腹に別の人間がいるんだと、やっと実感しました。

初めての妊娠出産の時、パートナーはいませんでした。交際相手とは結婚の話が出ていたものの、相手の仕事の都合上、子供は時期尚早だと言われて、意見が分かれそのまま喧嘩別れしました。

1人で妊娠出産育児をやっていけるのか、とても孤独で不安でした。
でも検診の度に、赤ちゃんの心拍や大きくなっていく様子を見るのはとても幸せでした。
無事出産したものの、やはり1人ではいろいろ大変でした。
高熱が下がらず、乳腺炎にもなり、胸が岩のようにカチカチに固くなり痛みで眠れない。
赤ちゃんもうまくお乳を吸えず、泣き止まない。
でもやるしかない。孤独な育児でした。何度も泣きました。
この時にこの本に出会えていたらもっと勇気づけられたかもしれません。

この本に出会ったのは、2人目の出産の後です。

幸い、その後新たなパートナーと出会い、結婚しました。
そして結婚してすぐ2人目を妊娠しました。

私はその頃、ずっと長い事勤めていた調理師の仕事を辞めて医療事務に転職して1年目でした。
その職場は、給料は良かったものの、とんでもなくブラックな職場でした。

転職した時、まだシングルマザーだった私はとにかく生活の為に必死に勉強して資格を取り、がむしゃらに働きました。
子供は保育園に預けて、子供が熱を出したり病気の時は母に見てもらって、休まずに仕事をして残業も進んでやっていました。

上司は女性で私の子供と同い年のお子さんがいました。すごく厳しく、そして陰湿でした。

新人は始業時間の1時間半前に出勤して、掃除や仕事の準備をするのが当たり前。
タイムカードは無く、早めに出勤しても勤務代は付きません。
有給も自分の意思では取れず、上司の判断で暇な日に急遽有給で帰らされたり、前日に急に明日有給で休んでと言われます。
残業を進んでやらないとやる気が無いとみなされます。
お昼休憩は誰よりも遅く事務所を出て鍵をかけ、会話も禁止で10分で昼食を済ませて、誰よりも早く事務所へ戻って鍵を開けます。
電話が鳴ったら新人が率先してワンコールで出ないといけません。

毎日そんな感じでした。無視されたり、聞こえるように悪口を言われたり、休日出勤して自分の子供は母に預け、上司が職場に連れてきた上司の子供の面倒を見たりもしました。

そんな中、結婚して妊娠したので、私は正直焦りました。
まだ1年目なのにもう産休を取るのかと嫌味を言われるのが目に見えていたからです。
でも、やはり赤ちゃんの心拍を見た時、産みたいと思いました。

上司に妊娠を報告すると、
「私は妊娠中休まず働いて、出産の3日前までバリバリ仕事してたよ。あなたはいつ産休に入るの?」
と言われました。

そう言われてしまうと、本来の産休である出産予定日の6週間前から休みますとは言えませんでした。
産後の6週間は働いてはいけないと法律で決められていますが、産前の6週間と産後の7〜8週間は妊婦の任意で休んでも働いてもいいのです。
当時は今みたいに職場の方から産休を勧められるような制度もまだありませんでした。

つわりの時期も、ミントタブレットを口に含み、なんとか乗り切りました。妊娠してからも相変わらず早朝出勤やサービス残業や休日出勤もしていました。

さすがに妊娠9ヶ月に入った頃には、他の部署の方や勤務していた病院の患者さんにまでも
「まだ休まないの?」
と心配されるようになりました。
旦那さんももう休みなよと毎日心配してくれていました。

でも私は毎日のように、上司から
「私は出産3日前まで働いていたから大丈夫」
「動いていた方が安産になる」
と言われ続けていたのです。

上司は自分のものさしでしか判断しません。仕事も皆と同じように出来ないと勉強不足だとイライラされ、怒られました。

ある日、私が辛そうなのを見かねた患者さんが、その上司に
「もう休ませてあげたら?」
と声をかけてくれたのですが、上司は
「本人が働きたいと言っているんです。それに動いた方が安産になるんですよ。」
と一蹴しました。

正直、妊娠後期に起こる前駆陣痛という陣痛の練習のような不規則なお腹の痛みがあったり、足がつったりして毎晩眠れず、体は限界でした。

ある朝、珍しく寝坊してしまい、慌てて出勤の準備をしていた時、ちょっと具合が悪く感じました。
でも新人が遅刻なんてもってのほかなので、私は具合が悪いのを押して出勤しました。

その時、すでに妊娠38週と3日。出産予定日の10日前でした。

異変は夕方に起きました。
最初、内線の電話応対をしている時に耳が詰まったようになり、音が聞こえなくなりました。
電話を切って、席に戻ろうとした時に視界が二重に見え、ゆっくりと回り始めました。
血の気がサーッと音を立てるように引き、私は机に手をついて下を向きました。
冷や汗がドッと出て、視界が暗くなり、私は倒れました。意識がしばらくありませんでしたが、職場が病院だったのですぐに看護師さんが駆け付け、私の名前を呼ぶ声で意識を取り戻しました。

空室のベッドへ運ばれて、寝かされましたが視界が回っていて気分が悪く、目が開けられませんでした。

救急車でかかりつけの産婦人科へ搬送される事になりました。
救急車に乗る際、目を開けると洗濯機の中みたいにグルグル高速で視界が回り、嘔吐しました。

産婦人科に着くと、すぐめまい止めの点滴と、赤ちゃんの心拍を確認するモニターを付けられました。無意識にお腹を両手で抱きしめていた事に気付きました。

「子宮口がもう開いてる‼︎ 赤ちゃんの心拍が弱い‼︎」

先生と助産師さんの緊迫した声にドクンと心臓が波打ちました。
視界は相変わらず回っていて、血圧も70と30と下がり続け、私は死ぬかもしれない、そしたら赤ちゃんも死んでしまうかもしれないと恐怖と不安で頭がごちゃごちゃでした。

「お願いします、お願いします、助けてください。」

涙でぐちゃぐちゃになりながらずっと呟いていました。

緊急帝王切開になるかもしれない、と言われ、背中に麻酔の管を入れられました。
旦那さんは仕事中で、まだ連絡もいっていませんでした。
母が駆けつけて、とりあえず保育園に預けていた上の子を迎えに行ってくれました。

赤ちゃんの心拍はどんどん弱くなり、緊急帝王切開の準備が進められました。
私はその間、ずっと自分を責め続けました。
私が無理して働いていたせいだ。
ストレスを抱え続けたせいだ。
ごめんね、ごめんね。

いざ麻酔をかけるとなった時、私の血圧が上がり始め、同時に赤ちゃんの心拍が元に戻りました。
その為、ギリギリで帝王切開は中止になり、翌日陣痛促進剤を使って出産する事になりました。

次の日、めまいや吐き気は治まり、旦那さんと上の子と母が立ち会い、出産しました。

一時は母子共に危険な状態になったのに、無事出産できてホッとしました。

しかし、地獄はそれからでした。

私は頻繁に回転性のめまいを起こすようになったのです。
退院してからも何度かめまいを起こし、救急搬送されました。

耳鼻科へ行っても脳神経外科・内科へ行っても異常無し。原因不明です。
結局、10数ヶ所の病院へ行きましたが、どこへ行っても診断は"産後うつ"でした。
精神科にも行きましたが、同じく産後うつの診断。

あまりにめまいが酷くて、旦那さんや母に家にいてもらう事が増えました。とはいえ、旦那さんには仕事があるし、母もすぐ近くに住んでいるわけではないので限界があります。
赤ちゃんのお世話が難しい為、私は赤ちゃんと一緒に産後ケア施設に入所する事になりました。

産後ケア施設は、助産師さんが常駐し、医師の診察も受けられ、24時間体制で赤ちゃんと産後のお母さんのケアをしてくれます。
自治体によって費用は違いますが、私の場合、補助が出ても1日約1万円かかりました。
決して安くはない費用です。
補助が出るのは最高2週間、それ以後も利用は出来ますが、補助が出なくなるので1日1万6千円くらいかかります。
私はトータルで1ヶ月以上利用しました。
費用は親に借りたりしてなんとか工面しました。

私はここで毎日めまい止めの点滴を打ってもらいながら産後を過ごしました。
赤ちゃんのお世話は授乳以外ほとんど出来ず、沐浴や夜間のお世話、おむつ替えなど、ほとんど助産師さんにしていただきました。

自分でお世話も出来ない事、休みたいと言えなかった弱い自分の事、赤ちゃんを危険な目に合わせてしまった事、めまいが治らない事、原因不明な症状を産後うつと決めつけられてしまう事。

何もかも辛くて毎日死ぬ事ばかり考えました。この時は確かに産後うつだったかもしれません。

そんな時に、この本に出会いました。
産後ケア施設の本棚にあったのです。

元々読書は大好きで、趣味も読書でしたが、めまいが酷いと字も読めないので、本からは遠ざかっていました。

でも、ふと本棚を見ると、「れもん、うむもん!」は漫画で描かれていたのでこれなら読めるかもと思い、めまいが治まっている時に読みました。

はるな檸檬さんの妊娠、出産、育児について漫画で分かりやすく描かれています。
かつ、面白い部分もあったりホロリとする部分もあったり。
思ってたんと違う‼︎という部分には非常に共感出来ました。
そして何より、妊娠出産に関する妊婦さんの心身の変化、辛い事、悩みにすごく寄り添って描かれているという事。

私は産後ケア施設で読みながら号泣しました。
産後ケア施設にはいろんな事情のお母さんと赤ちゃんがいて、みんなそれぞれ心身共にボロボロでした。

世の中のお母さん達、全てが辛かったわけではないかもしれない。
それでも、体は変化して傷つくし、心もアップダウンがあると思います。

はるな檸檬さんは仕事に追われながらのつわりや妊娠糖尿病を経て、逆子で帝王切開、そしてマタニティーブルーを経験という妊娠出産をされています。

3人目を妊娠した時は、私も妊娠糖尿病になったので、この本がその時も支えと参考になりました。

「泣いているお母さんの横で、肩を抱いて一緒に泣くようなそんな漫画を描きたかった。ママになる皆さんがどうか幸せでありますように。」

はるな檸檬さんのこの言葉に本当に救われました。

結局、2人目の出産時に倒れた原因は、半年経ってからようやく"脳脊髄液減少症"と診断されました。

脊髄にある硬膜に小さな穴が開き、脳を覆っている脳脊髄液が漏れて、脳が下に引っ張られる事により、めまいや頭痛や耳鳴りや不眠などを引き起こす病気です。
診断が遅れるほど、完治は難しくなります。

2人目出産から5年経った今でも私はめまいや耳鳴り、頭痛に悩まされて通院・投薬しています。

一時はめまいへの恐怖心から不眠になり、不安神経症にもなりました。
精神安定剤はいまだに手放せません。

2回手術をして、いろんな治療法を試し、今では無理をしなければ普通に生活できる程度まで回復しました。

ブラックな職場はもちろん辞めました。
別の職場に再就職もしましたが、子供の病気で休んだり、自分の持病で体調が悪くて休んだりしていたら辞めた方がいいんじゃない?と言われて、居づらくなって辞めました。

もっと妊娠や出産や育児、そして病気に理解ある世の中になるといいなと切に願います。

どこかで辛い思いをしている妊婦さんやお母さんがいたら、この本を勧めたいです。

はるな檸檬さんも本の中で描いていましたが、妊娠や出産は人それぞれだから一概にはもちろん言えないけれど、それでもやっぱりどうしても簡単に産んだ方がいいよとは言えません。

妊娠出産は本当に当人にしか辛さがわからなくて、出産の祝福ムードの中で「辛い」と言いにくいというのも孤独を深めます。

私の経験が、どこかの誰かの役に立つといいなとも思います。

こんなに辛くて苦しい妊娠出産でも、その先には確かに今まで経験した事が無いような幸福感を感じる瞬間があります。

赤ちゃんが無心におっぱいに吸い付く姿を見た時、初めて笑った時、無邪気な寝顔を見た時、泣きながらすがりついてきた時、ママ大好きと満面の笑顔で言ってくれる時…

数え切れないくらい、涙が出るくらい、幸せな瞬間が辛く大変な毎日の中でも必ずあるんです。

皆さんがどうか、幸せでありますように。










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