ナム子

長崎県の寺在住 坊守【BM】という役職 templeマネージャー 僧籍あり

ナム子

長崎県の寺在住 坊守【BM】という役職 templeマネージャー 僧籍あり

マガジン

  • 行いがわたしを導く時間

    自坊での「行いがわたしを導く時間」の詳細について

  • 詩も詠むナム子

    ナム子は詩も詠む

  • ナム子のBM的思考錯誤

    ナム子の坊守【お寺を守る人】立場で考えたこと、 また試してきたこと、 はたまた実験中のことの記事をまとめています。

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自己紹介

こんにちは。ナム子です。本名とは別に、仏道を歩む方の 人格をナム子と設定して物を書いています。 普段は、真宗寺院 http://omura-shoboji.jp/ の坊守(一般的には住職の配偶者であり、自坊を守る者) としてお仕事をしています。 お寺というのは歴史がある一方で、 現代社会の中で変革を求められるところも少なくありません。 その一面を担うのが坊守のお仕事でもあります。 そんなお寺の坊守視点での試行錯誤はマガジンにもまとめていきます。 他にも詩作

    • 周りも時代も巻き込みながら、気づいたらここが「今」

      ナム子自身も行いに導かれながら、歩いてきたこの4年。 ナム子主導で発進した、【行いがわたしを導く時間】が、 5年目にして大きく飛躍しだした。 【行いがわたしを導く時間】を発案し、開始をしたのは 新型コロナウイルスによる時代変化の真っただ中だった。 このまま始めてもどうなるかわからない、という不安の中、 たった一人の参加者から始めた。 そして、2024年3月28日に5年目に突入。参加者は当時の17倍で あるところの17人。しかも半数以上はお寺に通いなれていない方だった。 【

      • 短歌?

        百人一首全部載ってる紙袋 あの日のノート見直したくなる   ナム子

        • 丈夫な空き箱は物を救う…

          突然ですが、わたしの片付けの師匠は、こんまりさんと古堅さんです。 古堅さんは「風景を変える」をキーワードに基本的には 物を捨てない片付けを提案されています。 こんまりさんとはだいぶ違うアプローチで、 ゴールデンゾーンや、キッチンにおける火のもの、水のもの、など、 独特なキーワードで物の片付け方を語っておられて参考になります。 別に片付けや整理整頓が好きなわけではないけど、 少しでも日々の生活を整えるには、こういう徹底的に物の整理を 考えた方のアイディアがかなり!参考になるの

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        記事

          一歩からしか始まらない(坊守会通信より)

          以前どなたかの法話で、坊守というのは羊飼いの少年や、一緒にいる犬のように、あっちにふらふらこっちにふらふらと動き回る羊たちに、向かうべき方向を示し、誘導していくような役割なのだとお聞きしたことがあります。外に出ていく住職よりも、お寺での采配を受け持つ割合の高い坊守というのは、御本尊の存在をいつも忘れないようにご門徒さんを導き、場を整えていく存在、と言えるのかもしれません。だからこそ坊守自身が念仏者であることも問われるのでしょう。ではどのように方向を示し、御本尊を忘れないように

          一歩からしか始まらない(坊守会通信より)

          新しいお寺の可能性「DODALOカード」>南無阿弥陀仏へのコード付き。

          最近お寺で始めた新しい座談会の形式がとてもいい。 それは三条別院で考案された、 DODALO?カードというカードを使う。 このカードには、だれもが自分ごととして考えられるような 質問が書かれている。(カードは24枚) 例えば、「一押しの食事屋さんはどこ?」「時移動するなら過去?未来?」「目玉焼きにかけるのは何?」「心に残っている「出会い」を教えてください。」「靴にまつわる思い出は?」など、 内容は身近なことに関することばかり。 この数十枚のカードの中からフリーダムに一枚をひ

          新しいお寺の可能性「DODALOカード」>南無阿弥陀仏へのコード付き。

          九州親鸞フォーラム「食事・仏事・大事」原稿/長野文

          2022年 5月29日(日)九州親鸞フォーラム 「食事・仏事・大事」原稿/長野文(長崎県正法寺) 本日は、真宗大谷派九州教区主催の親鸞フォーラム 「食事・仏事・大事」へ、 お越しくださり、誠にありがとうございます。 本フォーラムの開催に際し、 企画・立案のメンバーとして長崎正法寺の長野より 開催趣旨について少しだけ、お話をさせていただきます。 家族のことを思って毎日料理をしたいのに、 そう思って前向きになろうとするほど、疲れてしまう。    料理は好きだけど、向き

          九州親鸞フォーラム「食事・仏事・大事」原稿/長野文

          いろんなお別れ

           2022年年末から2023年年始にかけてはとてもお別れが多かった。 もともと門徒数も多いので、そういう状況になりやすいお寺ではある。ただ今回は、コロナ関係に思うこと、割とお別れに関して印象的なお話が多かったので、自分自身の受け止めがまとまらないので書いておこうと思う。お寺の坊守というのは、死別を経験したばかりの方と話す機会がどうしても多くなる。というか、それこそが重要な仕事のひとつでもある。ただあんまり続くと、それは気づかない内にお腹の底に溜まってしまって、自分自身の安定が

          いろんなお別れ

          轟々と流れる時の中にいる

          多分一番好きな小説だと思う「ムーンライトシャドウ」が映画化されたので 観に行った。少しの不安と共に。好きな小説というのは、 自分の中にイメージが何度も再生されているので、それが壊されたらどうしよう・・・という気落ちが結構強い。 その点に関して、今回の映画化は全く影響がなかった。不思議なくらい。 自分の中に持っていたイメージが出ていたかというと違うとも言えるし、似ているとも言えるし。絶妙な塩梅になっていた。何よりも、幻想と現実の切り返しが秀逸だった。観てもらわないことに

          轟々と流れる時の中にいる

          ナム子インタビュー記事を書く。

          昨年から始めた「行いがわたしを導く時間」。 http://omura-shoboji.jp/michibiki/ 月に一度はお寺で報恩講を、しかもいろいろな仏事に関することを 「行い」ながら。という行事に全て参加してくださった方がおられる。 その方へのインタビューを今回試みました。 今年度のチラシには写真と名前を載せて多くの方に読んでいただく予定。 とりあえず今回はここでご紹介。 いろんなことがお寺へ向かうご縁になっていてお話していて 楽しい時間でした。ん?B

          ナム子インタビュー記事を書く。

          煮つまった直後あたりが・・・

          一昨日、年末に使うはずだった小豆がたくさん残っていたので お正月用についた餅とたいただこうと思い煮ることにした。 小豆はいただいてから結構時間も経っているので、思いきって たくさん使ったところ結果的に50人分くらいになっていたと思う・・・。 小豆を煮るというのは、やってみると分かるが、結構塩梅が難しい。 手でつぶれるくらい茹でましょう。とはよく書いているものの、 手でにぎりつぶせば小豆なんてどんな硬さでもつぶれたりするもの。 手で優しくつぶしても、つぶれるくらい

          煮つまった直後あたりが・・・

          組織とストレッチ(BM筋はあるか)

          ここのところ、ストレッチ動画を見てストレッチをするようになった。 コロナ禍で家にいる事がふえているからか、 YouTubeのストレッチ動画は非常に人気で 書籍化されているものも多いようだ。 ストレッチやトレーニングの専門家の話なんて本でも買うか、 ジムにでも通わない限り知りえなかったのに、 今は結構重要な事柄まで動画付きで学ぶことができる。 なのでいろいろと見ていたら、 どうもストレッチとは「気づきと習慣化」に鍵があるようだ。 現代の生活様式のなかで使わなく

          組織とストレッチ(BM筋はあるか)

          大切にしているものはバレている

          今年7月、大村は大変な豪雨になった。 初めて自坊は避難所にもなり、まさに、「眠れない夜」を過ごした。 そんな今回の豪雨の折、とてもうれしいことがあった。 これは今後さらに酷くなるぞという判断で、夫が子供に 「一階に水が来たらいけないから、大切なものを二階に上げておけ」 と子供にいったらしく、 「お母さん、お母さんがいつも大事にしとるあれ、 あれとあれば二階に上げとったけんね。」 と避難所の世話をしていた私に、次男が走ってきて言った。 「あれって何?」 「ほ

          大切にしているものはバレている

          2019年は変な年だったはず…

          今さら去年のことを言ったって、今年の状況を知ってから言っているので 結果論でしょう。という話でしょうが、本当に去年は自分にとって変な大変な年だった。 まず、元号が変わったし、雑誌の対談に行ったし、お寺は全国紙に載った。 初めての家族遠出で沖縄に行き、 こんまり流で家中をひっくり返すように 片付けた。そして、いろんな人との会話が、 「もうこのままどうなってくの?日本」というような行き詰まり感にも 溢れていた。 個人的な話ではあるが、去年はきっと一人一人の何かに

          2019年は変な年だったはず…

          暇はいけないのか?

          お寺の人同士でも、 もしかしたら一般的にも「忙しくしていること」は 何か勲章のような雰囲気がある。 お忙しいところすみません、お忙しいでしょう? お忙しいでしょうからお時間のある時で、などなど。。。 お寺の人は少しヒマ。くらいがよくないだろうか?と思う。 そうしないと、僧侶も走る師走の意味合いが薄れる。 お寺で和尚さんは茶を飲んでいた方がいいのではないか・・・。 と思って、暇になる時間を誇りに思うようにしている。 というこで、暇になった時間を有効活用して、図

          暇はいけないのか?

          天国に行くのかどうか。

          わたしは実は浄土真宗大谷派の僧侶、でもある。 それでいうと、天国に行った誰々、という表現は正直違和感がる。 しかし、一般的には天国に行っても見守っていてね、ということになる。 そこのところがいつも僧侶側からいうと難しいところだ。 この世から旅立って向かうところ、という意味合いで天国という表現に なるのはわかる。天国に旅立たれました、というようなドラマのセリフの 方が良く聞く。中にはキリスト教の教義において、天国と言う表現を されている人もいるのだろう。 じゃぁ

          天国に行くのかどうか。