一歩からしか始まらない(坊守会通信より)
以前どなたかの法話で、坊守というのは羊飼いの少年や、一緒にいる犬のように、あっちにふらふらこっちにふらふらと動き回る羊たちに、向かうべき方向を示し、誘導していくような役割なのだとお聞きしたことがあります。外に出ていく住職よりも、お寺での采配を受け持つ割合の高い坊守というのは、御本尊の存在をいつも忘れないようにご門徒さんを導き、場を整えていく存在、と言えるのかもしれません。だからこそ坊守自身が念仏者であることも問われるのでしょう。ではどのように方向を示し、御本尊を忘れないように