いろんなお別れ

 2022年年末から2023年年始にかけてはとてもお別れが多かった。
もともと門徒数も多いので、そういう状況になりやすいお寺ではある。ただ今回は、コロナ関係に思うこと、割とお別れに関して印象的なお話が多かったので、自分自身の受け止めがまとまらないので書いておこうと思う。お寺の坊守というのは、死別を経験したばかりの方と話す機会がどうしても多くなる。というか、それこそが重要な仕事のひとつでもある。ただあんまり続くと、それは気づかない内にお腹の底に溜まってしまって、自分自身の安定が損なわれてしまう。
 そういう時の均衡の取り方はみんな決まっているのかな。
私は音楽を聴くことがひとつあるなと思う。他に、美味しいお茶を飲むこととか。そういうことを持っていることはとても大事なと思う。
 コロナ関係での死別というのは、複雑な感情を持たれている方が多い。
病院との連携とか、不満とか、お別れの時の事務的な流れとか。
私は当事者にはなれないので、そうなんですね、なんでそんなことに…、
と言いながらお話を聞いて、そしてどうしようもなかったことに一緒にため息をつく。嘆きだったり、怒りだったり、複雑な感情が入り混じっている。そういう状況を鑑みて厚労省から新しい指針が出されるそうなので、少しは改善されるのかと思うので、とりあえずほっとしている。
ここ数年、人との別れの際に、新しいクッションが生まれているのは間違いない。
コロナ関係ではなく、じっくり家族で時間をかけて病気を受け入れ、
お別れを受け入れていった、というお話もあった。そしてその時間を
宝物のように思われていて、素敵だなあと心底思った。時間はみんな同じように進んでいるように見えて、実はそうではない。ということを思い出した。いつか来る別れに向けて過ごしていく時間は、正直なところ地獄のような冷たさもある。でも、ひとときひとときが驚くほど眩しく輝いて見えたりする。その方の話を聞きながら、そんなことを思い出した。これからは仕事以外のために生きたいとも言われていた。お別れという点を中心にいろんな人の人生に方向転換が起こって、そしてまたそれが周りに波及して、人と人との繋がりや人生に影響を与えていくのかも。そんな時にしか気づけない
大事なことがあるし、そういうことこそが人を支えていく。だから大丈夫、きっと大丈夫です、と言っていきたい。
あけましておめでとうございます。

今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。