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周りも時代も巻き込みながら、気づいたらここが「今」

ナム子自身も行いに導かれながら、歩いてきたこの4年。
ナム子主導で発進した、【行いがわたしを導く時間】が、
5年目にして大きく飛躍しだした。

【行いがわたしを導く時間】を発案し、開始をしたのは
新型コロナウイルスによる時代変化の真っただ中だった。
このまま始めてもどうなるかわからない、という不安の中、
たった一人の参加者から始めた。

そして、2024年3月28日に5年目に突入。参加者は当時の17倍で
あるところの17人。しかも半数以上はお寺に通いなれていない方だった。
【行いがわたしを導く時間】に来ていただきたい方の想定は、
もちろんいつもお寺に通い慣れている方もだけれど、
初めてお寺の本堂にあがられるような50代から60代くらいの方。
今回の参加者はまさにその方たちが多く来られた。
お寺に人が来られなくなった、という現実の裏には、
お寺が今生きている人に教えを届けられる場になっていない、
という違った現実が潜んでいる。
伝統とこれまでの習慣はとても大事。
でもそれだけではどうしても難しい。
きっとそれはそれぞれの時代に生きる人たちが必ず向き合ってきた
はず。向き合う必要がなかった人々いるなら、それは時代が
それを許しただけなのではないだろうか?

もう、とっくに時代は変化を肯定している。
ぜひ、怖がらずに目の前を変えていこう。

【行いがわたしを導く時間】は、人間もつ感性を大事に働かせることに
重きを置いている。「赤本の世界」をテーマにした昨日は、
赤本(真宗大谷派のお勤め本)の中身を「声に出す」ほか、
「香りを聞く」「味を感じる」
「耳を澄ます」ということを行った。
身体の感覚が働いていくのが心地よかった。
そして、そこでみんなで音読した「正信偈」の言葉。
特にロジックを駆使した解説はなかったが、とてもすっと
書かれた言葉が身に入ってきた。阿弥陀さんの光、って
どんな感じだろう?と想像しようとするのだ。

言葉を尽くしすぎない方がより言葉が届くこともある。
【行いがわたしを導く時間】発見がとても多い。
本当にまだまだ楽しみな報恩講だと思う。


今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。