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一歩からしか始まらない(坊守会通信より)

以前どなたかの法話で、坊守というのは羊飼いの少年や、一緒にいる犬のように、あっちにふらふらこっちにふらふらと動き回る羊たちに、向かうべき方向を示し、誘導していくような役割なのだとお聞きしたことがあります。外に出ていく住職よりも、お寺での采配を受け持つ割合の高い坊守というのは、御本尊の存在をいつも忘れないようにご門徒さんを導き、場を整えていく存在、と言えるのかもしれません。だからこそ坊守自身が念仏者であることも問われるのでしょう。ではどのように方向を示し、御本尊を忘れないようにお寺という場を作っていくのか。その方法の発掘に関しては、変化の激しい現代社会においてとても難しいと、坊守になった当初から悩んできました。より困難が増しているとも思います。真宗寺院の坊守としての在り方をおさえつつ、門徒さんや地域社会に開けた場を作り、さらに門徒さんの生活の中に教えが溶け込むように導いていく。坊守だけで取り組むわけではないものの、核家族化、高齢化、過疎化などによる念仏相続の難しさにはじまり、急速な社会仕組みのデジタル化、地域社会の崩壊、甚大災害の増加などに加え、Covid-19の問題も加わり・・・。頭をかかえてしまうこともあります。では、こうしましょう!という答えがすぐにあるわけでもありません。しかし、答えの糸口を、生活のごく身近なところに発見することが多いのも坊守さんという立場ならではと感じることが「結構」あるのも事実です。坊守が「生活者」の目線を持っている場合が多いからかもしれません。教えによって自身を見つめることと、広く社会的状況を事実としてきちんと見ていくこと。激動の時代には、両方の視点が必要なのかもしれません。具体的な方法やヒントは、随分提示され始めているので、まずは新しい一歩を踏みだしていく、今は一人一人にそういう時がきているように思いますし、まずは一歩からしか始まらないと思います。

今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。