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教えて下さい43: 常に本音だから個性に価値が生まれるのか?(v5_もぐらさんの悩み)

8月13日。日曜日。久しぶりに会った大先輩2人。昔、お世話になった方々。ゴルフメンバーが急遽欠けたからとお声がかかった。80歳前後で2人は2歳違い。親よりも上の上の世代。2人ともご自身が作った会社を上場させ、売却したり、退いたり。今は、2人で一緒に何やらやっている。詳しくは知らないが、残りの人生を2人で一生懸命やっているようだ。互いを尊敬しながら。あいつがいないと俺はダメだよ、と。

が、ひと昔前は大嫌い同士だった、とのこと。怒鳴り合って喧嘩もした、何度もとのこと。だけど、不思議とね、今はこんなだよ。年取ったのかね。なんて話。詳しくはもちろん分らないのだけど、思うに、2人とも「真剣」だったからだと思う。真剣だから意見をぶつけ合う。怒鳴らなくても意見はぶつけあえるけど、時にヒートアップするもの。「真剣」無しには人生何も成し遂げられない。真の仲間も集まらない。友人同士で会社を作る、仲良く始める、そんなケースがあるが、「真剣」の差が露呈されると、誰かが去っていく。最初はみな気軽に「友達」や「知り合い」に声をかけて、軽いノリで参加する。片手間に。より強く「真剣」な者は許容できなくなる。去っていくか、辞めてくれ、となる。よくある話だ。最初に会社を作った際もそうだったし、友人の会社でもそうだ。

「真剣」に本音をぶつけるから、ビジョンを共通化できる仲間に出会える。意見は違う。価値観は違う。方法論は違う。そりゃそうだ。他人なんだ。生きて来た環境が違うのだから。でも、ビジョンを心の底から共有でき、「真剣」に目指すならば仲間になりえる。例えば、簡単に人を切る短気タイプ、採用責任を取るべきと我慢して成長させるべきと長期視点タイプなど、ビジョンが同じでも一緒にやり難い個性同士はある。ただ、「真剣」でないと、楽しサークル活動で終わり、絶対に上手く行かない。

問題は、自分が「真剣」な何かに向き合っているか、だ。そうでなければ本音は出て来ない。空気を読んで、周囲に気遣って、傷つけず、怒らせずで結構だ。本音を言う時もあるが、本音を言う必要性は無い。自分より「真剣」なひとに任せる方が得策でもあるし。でも、どうなのだろう。「真剣」でなくても、何も恐れず常に「本音」を伝えるべきなのか。。。

今日の悩み: ”常に本音を伝えるべきなのか、本音が正しい訳ではないのだから、空気を読み・周囲を見て、無言を選ぶべきか/どんな言葉を選ぶべきなのか”。

案1:
本音を常に伝えるべき。本音以外を伝える価値がどうしてあるのか。自分という世界に一人、歴史上に一人しかいない個性の価値は、自分を表すこと以外に何があるのか。恐れずに本音を真剣に伝えるべき。空気を読むこともある、傷つけないような言葉を選ぶこともある。ニュアンス。大切だ。でも、それと、本音を伝えないことは別。恐れず、自分を信じて、本音を伝える。その繰り返しが、自分の言う価値を、存在意義を、高めていく。本音を常に恐れずに言うから、周囲が集まってくる。本音を聞きに。

あるいは

案2:
本音って何だ。自分が自分の気持ちを分かっているのか、という問題がある。本音を言っているつもりながらも、性格的に、価値観的に、周囲に迎合する時もある。自分ならばAの道だけど、他人ならBの道がイイと思う、今日はAの道だけど、昨日はBの道だった、なんてことも。今、この瞬間の本音が自分にとっても、伝える相手にとっても、正解かどうかはわからない。自分の本音を単純に伝えることだけが価値ではない。周囲を見て、空気を読んで、この仲間で目指す先にプラスになることを伝える技術に価値がある。

「理性的な人ならばだれしも同感するにちがいないと思われるが、いかなる場合にも嘘は正当化されない、とは私は毛頭思わない。」ということだ。(「幸福論」バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳、岩波書店)

ま、案1でも案2でも、どっちでも良いかな。ひとそれぞれ。第3の選択肢もありえる。人生に「正しい答え」無し。

大切なのは:
1.
どっちか悩む/どっちもあり/変化する、そんな自分を知ること
2.そして、自分と違う他人がいても、差別せず受け入れること
3.そして、大切な家族/恋人/仲間が悩み、辛く感じるその時に、案1、2のどっちがより心を落ち着かせ、安心させられる温かい言葉になるかを考えてプレゼントすること

そんな風に思ったりします。

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