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SNS。漱石に倣い「家庭に悪趣味をもちこむことだけはしない」ようにしたい

「自分の小説は少なくとも諸君の家庭に悪趣味をもちこむことだけはしない」

これは夏目漱石の言葉。「春宵十話」(岡 潔著、光文社)(フォローしている方のnoteに紹介されていました)にありました。

そして、著者の岡氏(数学者、随筆家)は続けます。

これを初めて読んだときは、平凡なことをいう人だと思っていたが、それがどんなに大切なことかがだんだんわかってきた。いまにして思えば全く堂々と豪語したものであるが、確かにそれだけのことはある。

近ごろの小説が、またテレビや映画が、家庭に悪趣味を持ち込んだことによって、美しかった日本民族の情緒の中心がどれだけひどく荒らされたことだろうか。人の表玄関がけがされているという事実をまざまざと眼前につきつけられている今となっても、なお、「表現の自由」などというものがありうるのだろうか。すさんだ世の姿をみるにつけて、漱石の豪語が思い出されてならないのである

「春宵十話」(岡 潔著、光文社)

この本は1963年出版。岡氏は1978年に亡くなられている。60年以上前の話。岡氏の言う今も、まさに今も、同じ課題がありそうです。再販時の解説(2006年)にも「世相への批判など現在もそのまま通じる」とあります。1960年代も、2006年も、2024年も同じ課題あり。解決なんてしないのかな。知的な人達は常に課題に思うものなのかな。。。

ローマ帝国の話でも、戦国時代でも、明治でも、何でも、過去の書物・格言などで現代に残るものは、「今でも通じる」なんて解説が必ずつきます。枕言葉としてそう言いたくなる。現代に通じない内容を出版する意味もないですから、そうなりますね。逆に言えば、そう評することができるから、出版されるのかな。

でも、一方で人間なんて根本は変わっていない、とも言えそうです。科学や技術は進歩しても、人間自身は数千年ぐらいでは変わらない。動物ですものね。一朝一夕で進化しません。

ITやらデジタル技術やらでこのnoteをはじめ、SNSが日常のあちこちに。逃れられない。そんな時代。ある本に「人間は小麦の奴隷」という主旨があって、はっ!としたのです。確かに、偶然に小麦を栽培するようになり、定住が始まり、家畜や感染症や政治や宗教や部族間戦争などが始まった。正に小麦の奴隷。で、現代は意図せずに誰もがSNSの奴隷。

でも、誰も止められないです。だから、少なくとも、発信側の時は漱石に倣って、「家庭に悪趣味をもちこむことだけはしない」でありたいな、そう思ったのでした。そうあれているかは、わからないのだけれど。。。


読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_81)


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