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リーダーシップはリーダーにならないと学べないもの。なってから色々学べばいいね!

仕事が充実するとプライベートは充実する? この質問の答えは「はい」だと思うのです。自信、余裕ができ、お金も付いて来て、プライベートの活動を建設的・前向き・寛容・利他的にできる「チカラ」が付く。結果、他者の幸せ、そして自身の幸せを得られる。

逆もあります。プライベートが充実すると仕事も集中できる。土日の幸せのために平日に集中する「チカラ」を得る。プライベートをより上質・確固たるモノにしようと、仕事により真剣に向き合う「チカラ」を得られる。

話変わって、天は二物を与えず、と言いますが、色んなことで才能を発揮するひとがいます。天才な訳ではないですね。何かに対して努力し、結果を出すと、その経験からの自信・余裕・お金から効率的に次をラーニング・挑戦できるからだと思うのです。

まずは何かにフォーカスし、精神的な/技能的な、複合的な「チカラ」を得る。そしてその「チカラ」を頼りに次を効率的に学ぶことが可能となり、次の「チカラ」もすぐに得る。

芸術力を発揮するスポーツマンとか、楽器演奏が優れた経済学者とか。

ところが、会社のトップに上り詰めたり、自ら創業してトップになったり、など、リーダーなる者はリーダーシップを体系だって学ばないように思うのです(って世のリーダーのことを全員知っているわけではありませんが・・・)。

そこに至ったという事実が(TOPになれたということが)、その過程で獲得した「チカラ」(=スキル・知識・EQなど)で十分と証明されている、と勘違いするからだと思うのです。

でも、トライアスロンで、マラソンが上手いからと言って、水泳が上手いかは別問題(競技の順番は水泳が先でしょうが)。すごい成績を残したプロ野球選手が監督になって結果を出せるかも別問題です。

営業ですごい業績を連発して社長になった、不採算事業を整理した、誰もがいやがるリストラを担当し成果を出した、財務の知識で会社の決算数値の見栄えを劇的に変えた、ヒット商品を連発した、とか。。。これらにも一定のリーダーシップは必要でしょうが、その時の「チカラ」と、会社の経営リーダーの「チカラ」は明らかに違います。

勘違いを正し、「次」の「チカラ」を正しく習得すべきだと思うのです。

また、勘違いも良くないですが、裸の王様状態の場合もあると思うのです。

TOPなのだから自分が常に正しくなる(原理的にそんなことはないが、組織として”正”になる)。それなのに何を学ぶ必要があるのか、そんな態度かもしれません。学ぶのはピラミッドの下の皆様でしょ、トップリーダーの言動全てを正しいことに下の皆様が脚色してよってな感じ? あるいは、自分が頂点なのに誰から学ぶの? みたいな。

とにかく、TOPリーダーにはこの不思議な「現実」がつきまといます。料理ができるから料理人になれる。野球が上手いからプロ野球選手になれる。しかし、リーダーは適切なリーダーシップがあるからリーダーになる訳ではない。別の評価軸で選別されてリーダーになる。そんな現実があるのです。

1.リーダーシップ欠如でもリーダーになれる現実


一方で、リーダーシップはリーダーになってからしか学べない、とも言えると思うのです。完全にそういう訳ではないのですが、TOPになるまではTOPであることのOJTは無いし、社長は社長にならないとそこで発揮すべき知性、人格、スキルがわからない、という側面があると思うのです。

例えば、最終的な責任ならびにすべての責任を持ち、事業の成長のみならず社員の成長をないがしろにせず(これを無視するリーダーは多い)、存続させるは会社と固執するチカラ、なんてことはTOPにならないと思い得ない。

2.リーダーシップはリーダーになってからしか学べない現実

だから:リーダーは、リーダーシップを、リーダーになってから真剣に学べばよいのね、ということなのです。


会社とは何か、経営とは何か、リーダーシップとは何か、自分はどのように社員に向き合い、共にビジョンに向かって愚直に諦めずに歩むのかを考え、議論し、学ぶ必要が大いにあると思うのです。

過去のチカラといま必要なチカラは別モノ。リーダーは、そのチカラが無くても、なり得るポジションであり、且つ、なってからしか本質的には学べない。だから、リーダーになってから貪欲に学ぶ必要がある。

学ぼう!


職場を良質にするコンセプトv6_48 
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


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