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隣の席の見知らぬ人と、仕事のことなら気軽に話ができる不思議。仕事って…


飛行機で知らない人と隣になる。あるいは、バーで知らない人と隣になる。
ゴルフで知らない人と組み合わせになる。などなど。

多くにおいて仕事の話になる。
仕事の話なら、気軽に聞ける。


よく来るのですか? ご旅行ですか? なんて、最初の切り出しは仕事の話ではない、ことも多い。けれど、仕事の話にシフトする。

家族やら趣味やら、プライベート要素が強いと控えてしまう。見ず知らずのひとにそんなこと聞くのは失礼だし、話したくない。

家族やらの話は、表面的には個別性が少ないから話し難い、とも思う。深堀質問しない限り、幅が狭い。未婚・既婚、子供はいません、子供は1人です、双子です。。。種類・幅が狭い。そして、そこからの発展はまさにプライベートに深くはまる。

奥様のどこが好きなのですか? 背は高いのですか? 年齢差はありますか? なんて尋ねられる訳がない。。。

でも、仕事の話は幅広いし、深堀りもできる。よく考えると仕事だってプライベートだけど、なぜかプライベートではない。ワークライフバランスなんて言葉があるように、ワークはまるでライフではない。

どんなお仕事されているのですか? 日本の電気製品のメーカーのサラリーマンです、大学病院の看護師です、日本画の画家です、柔道家です、ネイルサロンを経営しています。千差万別。話を繋げやすい。

へえ、そんなお仕事なのですね。社会貢献度が高いですね、何年もやられているのですか? 利益率は高いのですか? 競合は例えばこんな会社ですか? こんな知識や技能が必要そうですね? 知り合いも似たような仕事していて、XXが大変と言ってましたが、そうなのですか? 最近あんなニュースがありましたが、どうですかぁ。。。

インタビューしている訳ではないから、別にそこまで尋ねたい訳でもない他愛ないレベルで、表面的に続けられる。隣同士になってしまった2人の、手持無沙汰のちょっとした会話として。。。


さて、そんな状況に今日も遭遇し、ふと思ったのです。。。

どうして、仕事の話は見ず知らずの人に振れるのだろう? 逆に、尋ねられても嫌悪感なく答えられるのだろう? 仕事は、確実にプライベートなのに、どうしてプライベートではないと定義されるのだろう。


おそらく、仕事って、自分ごとのようで、自分ごとでないからだと思ったのです。産業革命前はそうじゃなかったはずでは、と想像するのですが、今は、確実に仕事は自分ごとではない。。。多くの人にとって。。。

仕事は:
自分ごとだけど、自分ごとではない。プライベートなのにプライベートではない。人生に、生活のために大切だけど、今の仕事が唯一無二で大切な訳ではない。唯一無二の家族や子供とは違う。


例えば、飛行機で隣になった国籍の違う方と、それぞれの国について質問しあうのと同じ。

自分ごとだけど、自分ごとではない。

カナダの方なのですねー。カナダのどちらにお住まいですか? 温暖化の影響でていますか? オリンピックで金メダル10個ほどでしたがウィンタースポーツの方が強いですか? インフレしてますか? アメリカ大統領選は隣国ですし、気になるものですか?・・・

ボクも、日本やTOKYOのことを尋ねられても、何も気にせず、嫌悪感なく、知っていることや意見を応えられる。

自分ごとだけど、自分ごとでないから。


なんて考えていたら、なんか寂しくなったのだ。。。

仕事って、人生の多くの時間を過ごすのに、家族を持てなかった人にも必須なのに、どうがんばってもプライベートにはならない。自分ごとだけど、自分ごとになれない。

そして、人に話すことがちょっと恥ずかしい、なんて思うほどの、自分らしい「プライベート」な仕事に従事できたらいいな、と思ったのです。

もちろん社会に貢献しないならば、会社として、事業として継続・発展しないし、そもそも会社にする・仕事にする意味はありません。

それを大前提での、とっても自分らしくて、へぇ、そんな点に着眼しているのですかぁ!?と思われるような、他社とはスイッチできない、そんな仕事、そんな会社、事業。こんな、自分らしくて、独特で、プライベート感があるようなことに従事できると素敵かな、と思ったのでした。

今は実現できていないけど、自分が求める、夢のある事業・仕事ですかね。これだと、プライベート感があって、ちょっと恥ずかしい部類ですかね。飛行機で隣になった見知らぬ人に、自分の仕事を恥ずかしながら自慢する、親バカで自分の子供を自慢してしまうかのように。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v9_15)



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