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人生はいつも後手後手。何かの対処になってしまう。でも、それが人生。

大学時代は、主に政治と経済を学ぶ学部にいた。恥ずかしながら、勉強した、とは全く言えない。多少はかじったという程度。だけど、深く心に残る気づきがあった。選挙結果を見ながら思い出したのです。


・政治は後手後手。
・経済(ここでは企業活動の総和として捉える)は先手先手。


簡単に言うと、企業の活動は常に新しいものを企画し、開発し、探し、売上・利益をあげようとする。市場開拓志向、イノベーション志向、先行利益志向。国内のみならず、未開の海外へも打って出る。日本と仲の良い国かどうかも関係ない。それの総和の結果が経済。

そして、そんな企業活動の中で、時に政治を使って自分たちの企業・業界にメリットを求める。政治とは、それを取り引きに利用したり、無視したり。

つまり受け身で、後手後手。

あるいは、企業活動の結果、消費者が反応して、その結果、消費者物価があがったり、さがったり、為替が極端になったり、で、もはや今の時代、当局のコントロールは付け焼刃ながら、公定歩合やら為替介入やらで、ちょっとがんばってみる(ふりをする)。そもそも、経済学(当時の)が前提に据える「人間は合理的に動く」なんてありえないから、なんちゃら介入やら利下げ・利上げやら、国債発行やら、がんばってみても、合理的に動けない(人間なんだから)から、結果は一過性。。。

ま、とにかく、ここでも、政治は後手後手。

あるいは、企業活動の結果、国内外での、公害や不法廃棄や事故や喫煙問題や生活習慣病や病気や過度な残業や過労死や不公平や搾取などがあると、政治が問題視して、法律ができて規制される。

なので、ここでも政治は後手後手。

あるいは、自分達の責任のくせに、社会保障費が足りなくなってくると消費税をつくり・あげて、あるいは所得税をあげて。

ここでも政治は後手後手。

経済界からの指摘もあって、AIだ、デジタルだ、バイオだ、イノベーションだ、自然環境にやさしい技術だ!となると、研究・開発やらの事業活動に補助金などをつける

ここでも政治は後手後手。

そして、国民も、地元のことや、自分ごととしては、アレコレ要望があるけど、国政になると、はっきり言って、よくわからない。だから、こういう国にしたい!なんて大それたことは正直なところ言えない。自分勝手な主張になるだけのことがわかっているのだから。それに、法律も、制度も、それらの過去の経緯も、国際関係も、民主主義とは何か、も何もかも、詳しく理解なんてできていないのだもの。。。

だから、目の前に起きたこと(裏金とか、消費税とか、震災対応とか)に対しての課題認識で、投票しがち。

なので、やっぱり後手後手。


あぁ、原則、政治って、問題が起きたら対処する、ってことなのかな。。。なんて若かりし学生時代に思ったもの。

こんな国にするぜ!とは、焼け野原だった戦後、「もはや戦後ではない」ぐらいまでの話なのかな、と。。。それ以降は、後手後手。


それって、明らかにリーダーではないなと思った。ビジョンを示し、あそこに行こうぜ!ではない。ただ、比較していたのは、甲子園に行こうぜ! 花園に行こうぜ! 優勝しようぜ!程度だったのだけど。。。

いずれにせよ、後手後手って嫌だな、と思った学生時代を思い出す。


でも、今は、思う。いやいや、何事も後手後手だよ、と。人生は後手後手なんだよ、と。企業活動だって、ある意味、後手後手(=過去の問題への対処)だよ、と。


会社の創業者だって、リーダーだって、「利他的なビジョンを示し、その素晴らしさを語り、共感する仲間を集め、日々の難題を乗り越え、自らも動き、仲間に感謝し、大切にしながら、愚直に努力する」なんてことはするのだけど、そんな人生を賭けるビジョンが創出されたのは、過去の印象的な経験がきっかけなのだから。

だから、未来の進む道は、過去から与えられている。これも後手後手よね。


人生は、「問題」が起こってから対処することの繰り返し、だと思うのだ。「問題」とは、文字通りの問題もあるし、今、それを自分/自分達ができていない(得意ではない)という場合も含めて。

例えば:

・ガソリンでは温暖化に繋がる(=問題)。燃料電池を開発しよう。
・まだまだ野球が上手くなれる(=問題)。大リーガーをめざそう。
・裏金(=問題)につながるから企業献金は規制しよう。
・日本でも欧州に負けないワインが造れる(=問題)。長野を世界にほこれるワイン産地にしよう。



捉え方の問題ではあるのですが、こう思えると人生が多少?ラクになったものです。「あ、そっか、単に問題への対処・過去への対処でいいのか」って。

小さい頃から、人生って世の中的に何か新しいことをしないとダメなのかと思っていたのだけど、本当に新しいことってなかなか難しくて。

これは問題だ!に出会ったら、それを変えようって、後手後手で、頑張ればいいんだ、と思えたから。問題に出会えないなら、出会えるまで淡々とした人生になってしまうけど、それでよし。

目の前の経験が過去になって、「問題だ!」という気づきが導いてくれる。気づく感度、気づきを真剣に捉える感受性、踏み出す勇気にも左右されますが、そんなこと自分でもわからないですもの。気づくときには気づく。

それを楽しみに。
(って、そのまま人生終わっちゃうかもだけど。。。)



お読み頂きありがとうございます。
(v9_82)



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