メッセージを明確にして話す+メッセージを感じて聞く。良質コミュニケーションかな
1.洗面所が水浸し。電気がつけっぱなし。ゴミが落ちている。批判じゃなくて「事実」なだけだよ。
これは、離婚した職場の仲間が過去やらその原因を思い出して語ったこと。誰かに話したいのですね。しばらくこの状態が続きそうです。。。
ま、欠席裁判ですね。それに実は信じられないぐらいにひどく洗面所を水浸しにするのかもしれないし、鼻をかんでは、爪を切っては、食事をしては、ゴミを散らかすのかもしれません。何事も「程度問題」です。が、「程度」って見えないですものね。ボクには相手は見えないし、知らないから職場の仲間の肩を持つだけですが。。。
2.「事実」を口に出すだけで「メッセージ」はない、はありえる?
でも、この会話からふと思ったのです。事実を口に出すだけで、本当に「意見」や「意図」、「メッセージ」は何もなく、ただ事実を伝えただけ、というのはあるのかな、と。コミュニケーションで「メッセージがない」なんてことはあるのかな、と。。。
3.口に出してしまったら、意図的かどうかに関わらず、「メッセージ」が自動でつくられる
ボクは、事実を口に出すだけで「メッセージ」はない、ということはありえない、と思うのです。独り言以外は。。。
口にする、ってことは、相手に対する「メッセージ」がどうしても発生してしまう。会話・対話なのですからね。仮に、本当に、口にする方が、単に事実を伝えただけだとしても、受け取る方は、それがわざわざ口に出されたからには、何かを伝えたい意図がある、と思ってしまいます。受け取る方がそう思ってしまうならば、その瞬間に「メッセージ」が自動的に発生する。
しゃべる方だって、日々の生活で受け取る側になることも当然にあるわけで、受け取る側であれば、口に出されたことに何か意図があるよな、って常識的には思います。であれば、やっぱり口に出すことには「メッセージ」がつくり出されてしまうと思うべきですから、その瞬間に「メッセージ」がやっぱり発生してしまいます。
4.ならば、自ら「メッセージ」を明確にしてしゃべる。これが良質なコミュニケーションかな
だから、誤解を生まないためにも、嫌味に思われないためにも、「メッセージ」を明確にして言葉を口に出したらいいのです。「私はこう思うのです。こうして欲しいのです」「メッセージはこれです」って。
冒頭の例ならば、「なんで電気がつけっぱなしなの?」ではなくて、「洗面所が水浸しになっている」ではなくて、「電気消すの忘れないでね」「電気を消し忘れないようにできたらと思うのだけどなんか良いアイデアないかなぁ?」「洗面終わったらタオルで拭いておいてね」などなど。
しゃべる側はメッセージを伝えるべくがんばる。これが良質なコミュニケーションかな、と思うのです。
5.同時に、受け取る側も「メッセージ」を感じて反応する。これが良質なコミュニケーションかな
同時に、受け取る側も、メッセージがないように聞こえても、メッセージを感じ取り、それを前提に答えるのが、良質なコミュニケーションかな、と思うのです。
冒頭に話に戻ると、「洗面が汚れている」「電気がつけっぱなし」などは事実だけではなく、当然に批判しているし、正して欲しい、変えて欲しい、というメッセージが明確にある。それを感じずに、自分勝手に「大したことではないのに、いちいちうるさい」と抵抗することにこそ問題がある。
メッセージが常にあると思えば、嫌味にも聞こえず、ごめんなさい、と謝って、洗面所をきれいにすればいいし、今後気をつけるね、と言えばいいし、改善方法を考えて実行すればいいし、一緒に解決策を話したらいいのです。
ま、言いたいことだけ互いに言い合って、メッセージが本当に皆無でなんだか楽しい、っていう機会もありましょう。が、これはそんなに重要な対話ではないですものね。
家庭や親子間、職場などでは、「メッセージ」を明確にしながら、感じながら、会話・対話するといいかな、なんて思うのでした。。。
読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_65)
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