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稲盛氏を真似て、部下を「幸せ」にすると言い切る(素敵なリーダーになりたい編_v4-75)

幸せってなんだ? 非常に難しい質問。

オフィスでアイム君に出会ったらなんか元気そうだ。
「あれ、いいことあった? 幸せオーラを感じるぞよ。彼女と楽しい週末だった、とか。」

「ま、そんなところです。昨日も月曜だけど会ってしまって。」

「おー、それはよかったね。プライベートと仕事、両方充実しないとね。しかもプライベートが充実すると、くそみたいな仕事もできるものね。」
「はは、ま、そうですね。」

「でも、仕事が充実していたら、プライベートがくそでもいいのかな。それもありそうな気がする。何かで幸せだと、他がくそでも許容できるか?」
「でも、仕事が充実するって、感じたことないです。。。」
「あ、そう?・・・そっかぁ?・・・ま、充実って、確かに何だろうね?」
「ありますか? 仕事で充実って???」
「うーん。そうねぇ。。。仕事で充実。。。一過性の判断になるよね。給料があがった、とか、あるプロジェクトが無事に終わった、とか。新しい巨額の商売が取れた、とか。その前後は充実しているかもだけど、それが、イコールで、”仕事が充実している”ってなるのかね。。。難しいね」。

「そういう意味では、人生が「幸せ」とか、「満足」とかも難しいですね。ま、「満足」は、なんとなくわかるけど、「幸せ」って難しいですね。目標次第だし、コップに水が半分しかはいっていないか、半分も入っているか議論ですよね。今、幸せか、って問われると、白黒つけれますけど。。。」
「確かにね。幸せってなんだろうね。。。」

ということで、「幸せ」論議。

「幸せ」か?と問われたら、問われたその時から、過去を振り返り、大きな「幸せ」イベントが起きていたら、あるいは近い未来に「幸せ」イベントが起きそうなら、「幸せ」と答えそうだ。

結婚式が間近とか、好きなパートナーと付き合い出したとか、保有する株価が大幅値上がりしたとか、給料があがったとか、旦那が単身でそろそろいなくなる(?)、とか

つまり、今の身近なイベントで判断する。ま、そうするしかない。映画を見ていて、小説を読んでいて、ドラマを見ていて、つまらなかったけど、最後の最後に、どんでん返しやら、心揺さぶられるやら、があると、あれれ、「面白いじゃん」となる。

同じような話か。人生「幸せ」ですか?は、今、最近は「幸せ」って感じるような良いことありましたか、と同じ質問になってしまう。生まれてから今までのことを考慮することは難しい。過去のことなんてだいぶ忘れているし、その時の感情を思い出しているつもりで、それも正しいか怪しい。

ところで、映画スーパーマン・シリーズの主役で米国の俳優、クリストファー・リーブさん、20年ほど前の2004年に亡くなられましたが、1995年に落馬事故で首を骨折し脊髄損傷で首から下が完全麻痺。

その後もとても前向きで、この病の改善に向けた研究にとても協力的に尽力して、同じ病の方々に勇気を与え続けていた、とのことです。「あなたは生きているだけで意味がある」という本も書かれています(読んだことはないですが)。

で、スーパースターだったのに、突然の完全麻痺。普通は「幸せ」なんて言えないですよね。自分の体の不自由さは常に一緒なのですから、ちょっと過去を振り返っても、ちょっと未来を思っても、不自由な状態。。。

でも、今が一番「幸せ」だ、って言っていたらしいのです。うまく検索してもこの発言が出てこなかったのですが、そういう記事を読んだ記憶があって、心に残っているのです。えええ、どうしてそんなこと思えるの?子供のボクはそう思ったものです。

で、その理由が:
こんな状態の自分を皆がとても大切にしてくれ、心配してくれ、勇気をくれ、励ましてくれ、助けてくれて。だから今が一番「幸せ」だ。
そんな理由だった記憶です。

人間の記憶なんて本当にテキトーですから、この記述が本当かもわかりませんが、ボクにはこういう内容で記憶されていて、こう思えるなんて、この方は本当に心が強い、なんて素敵なひとなんだ、と思うのです。

スーパーマン役だったから、社会に貢献し「幸せ」であろう、と最初は無理に思ったのかもしれません。こんな自分でも大いに大いに社会に役立てること、使命に気づいたのかもしれません。よし、研究に寄付しよう、自分の体で協力しよう。同じ病の仲間を少しでも改善させよう、これが自分の使命だ、と決意したのかもしれません。そして、決意だけではなく行動(完全麻痺ながら!)したのですね。

とても強く、とてもやさしい、です。

強く、やさしく、使命に燃えて、協力的。だからこそ、”こんな状態の自分を皆がとても大切にしてくれ、心配してくれ、勇気をくれ、励ましてくれ、助けてくれて。だから今が一番「幸せ」だ”、って感じたと思うのです。つまり、リーブさんがとても前向きで、こんな身体で社会に役立とうと努力しているから、「幸せ」を皆に届けているから、その結果、自分も幸せ、だと思った。と、そうボクは括りたい、のです。

「幸せ」って何?

つまり、自分が、イベントや他の人に、幸せにしてもらうこと、で感じるのも幸せかもしれません。結婚式・披露宴が近づいている!幸せ。それも良いでしょう。給料が上がった。幸せ。それも良いですね。好きなひとから付き合おうと言われた。それももちろん幸せです。素敵なことです。

でも、他人を「幸せ」にすることで「幸せ」を感じる。これがもっと素敵かな、と思うのです。見返りがあるかはわかりません。それが本当に相手にとって「幸せ」かもわかりません。ただ、自分の行動で、相手から感謝されるようなことをたくさんできていて、それを「幸せ」に感じる。なんだか素敵なように思うのです。

ありがとうを集めるようなものですね。ありがとうを集めるためにやっている、と言うと、聞こえが悪く、姑息かもしれませんが、ま、そういうことです。行動が継続的にそうであれば、心がどう思っていても、いいですね。カントはダメ、って言うかもですが。心の中の思い、なんて、本当かウソか誰もわからないですもの。

会社のリーダーだって同じ。集まってくれた仲間に、縁があってひとつの目標(ビジョン)に向かって、日々、ストレスの中、努力してくれている仲間をどう「幸せ」にするか。

稲盛和夫さんの言う「全従業員の物心両面の幸福を追求する」でしょうか。

「~、考え抜いた結果、私は一つの結論へとたどり着きました。会社とは自分の思いを実現するためのものではなく、何より社員の生活を守り、幸福な人生をもたらすために存在していなければならない。それこそが会社の使命であり、経営の意義なのだ。そう肚を決めると、胸のつかえがとれて、霧が晴れたように明るい気持ちになりました。そして心機一転、会社のミッションを「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と定めたのです。」(「心」(稲盛和夫著、サンマーク出版))

「素敵なリーダー」: 
「幸せ」って、人生「幸せ」って、何でしょう。皆が求めているのに、実体を評価するのはかなり難しいですね。常に一過性・近視眼的。「幸せ」度調査なんてすると、調査の前後の受け身のイベントに左右されて、ひとは回答します。給料があがった。株価があがった。もうすぐ結婚式。彼氏ができた。大変な仕事が終わった。宝くじが当たった。。。人間の脳がそうさせます。”人生”を総合的に、万遍なく、評価なんてできません。難易度が超高い問題です。

でも、ひとつ言えるのは、「幸せ」かと尋ねられて、尋ねられた今の前後で自分がした/する予定の、受け身ではなくて、他社に対する能動的行動でもたらされる、相手がおそらく感じてくれるであろう「幸せ」、を実現することに「幸せ」を感じる、ならば、将来もそうあろうと決意し、行動するならば、「幸せ」と言いやすいですよね。

ボクはとても「幸せ」です。今後、「幸せ」を提供することに努力するからです。過去も長い間そうしてきたので「幸せ」です。みたいな。

自分勝手かもしれませんね。相手は喜んでいないかもしれません。そういう時も当然あるでしょう。でも、稲盛さんのように、そうすると決めることを「幸せ」の第一歩とします。そしてすぐに経験を積んでうまくなりそうです、「幸せ」提供が。「幸せ」とは他者に「幸せ」を提供できている自己を感じられること、と定義。もちろん、こう定義しても、過去の具体的な「幸せ」はどうせ忘れます。でも、自分で動くことだから将来は確実ですね。「追求する」と稲盛さんのように決めてしまえば。

こんな素敵なリーダーになりたいですね。

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