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子供を産めなかった団塊Jr。若い世代を我が子と思って支援したらイイのだ!

ある海外の学者が書いた本に「日本はもう国力の維持を諦めた」とあった。

なるほど、外からだとそう見えるのだろうな、と思った。

そりゃそうだ。国力の基礎のひとつは人口だけど、子供を増やそう、移民を増やそう、子育てを支援しよう「風」には見えるけど、「風」だし、年配のエスタブリッシュメントな人達は若い世代の心をわかっていないもの。

あ、別にボクもわかっているとは言えないけど、ボクらの世代が思ったように「将来不安」と「それが当たり前」があるのかな、なんて思う。。。


将来は不安。

給料は増えないのに、社会保障費が崩壊しているから税金は高くなるし、インフレだし、マンション価格は異常な高さだし、将来の給与増は期待薄。そして、何かのときに社会・政治が助けてくれるなんてことも思えない。そして、震災もあればコロナもあれば気候変動もある。将来は不安なだけ。。。

個性の時代で、自分の好きなことをしよう!というステキな風潮がある。だけど、それで稼げるかは別の話。小さな会社、フリーランスで日々努力するも、誰も助けてくれない。高齢者には介護制度などで公助があるが、若者には無い。将来不安は変わらない。だから、結婚できない、子供がなかなか生めない。もはや人口問題は時既に遅しだし、周囲も生んでいない。なぜ、自分達だけ子供を少なくとも「2人」生もう、という気持ちになれるのか。

海外からは、日本という国が、人口問題を真面目に解決しようとしているとは見えないのでしょうね。ま、色んな社会問題が本格的に噴出する頃には今の政治家の皆様は死んでいますしね。


でも、別に人口が減ってもいいじゃない、とも言えますね。1億人切って何が問題なの? 確かに、オリンピックの金メダル順で言うと、日本の次に、オーストラリア、フランス、オランダ、イギリス、韓国、イタリア、ドイツと続くが、どれも人口は1億人未満。多くてドイツの8300万人台、フランス・イギリスで約6500万人ほどだもの。オーストラリアなんて3000万人以下。

でも、一旦、人口が増えたのに減るのは社会インフラを誰が維持・保守するかの問題や、モノが売れなくなり、給料が減っていく問題が。それに年齢中央値の問題も。例えば、年齢中央値がオーストラリアみたいに30代の人口3000万人ほどと、50代の日本だと、数だけの問題ではない。

老眼でもう良く見えません、体力ありません、デジタルデバイドです。。。

残る道はEUのように、カンパニー制? 合併? ですかね。


さて、ボクは、団塊ジュニアと定義される世代。バブルは高校ぐらいに終り、就職活動する頃には不況。ボクの第一志望の会社が、就職活動を始めた直後に合併で消えた。そこから失われた30年。株価はあがることはあっても総じて社会全体・経済全体が成長しているという感覚は無い。大企業が簡単に潰れる就職活動から始まった。

それ以降の世代も、同じ苦しみ、あるいはそれ以上の苦しみを味わっていると思う。平成不況、リーマンショック、震災・原発問題、コロナ…

そして、ちょっと誇張ながら、ボクの世代が子供を生まなかったことが人口減をスタートさせた、とも言える。団塊世代が2人以上の子供を生んで、団塊ジュニア世代が誕生。しかし、その団塊ジュニアは子供を産まなかった。というか産めなかった。


いろんな分析がありますが、団塊ジュニアのボクの個人的な実感としては、こんなことかなと思うのです。

社会人のスタートのスタートから不況・社会不安に直面。将来不安が大きく、子育てへの心の余裕が持てなかった。

会社には成長しか知らない経営者・上司・先輩ばかり。バブルで浮かれていたから、不況にどう対応していいのかわからない。そんな上の層を見ていると、解決しそうに思えない。将来が暗い、そう思ってしまった。だから転職も容易に決意できる。どこかに「将来を明るく捉え、努力している」会社があるのではと。でも、なかなか無い。

そっか、自分でがんばるしかないんだ、という当たり前に気づく。会社がどうにかしてくれる、なんてありえない。そう気づく。結果、仕事ばかりになる。大企業にいても不安。転職しても不安。自分の力をつける。だから結婚したり、子供を育てる心の余裕が無い。そして、心の余裕も無いが、自信も無い。

多くがそうだったのかなと。。。

余裕と自信ができたあたりに、リーマンショック。そしてそれを超える大震災に原発問題。

結果として、結婚しない、子供がいない家庭、あるいは一人っ子家庭を当たり前としてしまった。1970年代初頭以来、出生率はじわじわ減ってはいたけど、ボクら団塊ジュニア世代が子供を2人以上生めば違った社会だった。だけど、色々、「したかった」のに、うまくできなかった。

そして、それ以降の若い世代にも「それが当たり前」の選択肢として前例を提供。ちなみにボクの母親は7人の兄弟姉妹がいる。一例だけど、今じゃ考えられないですね。


女性がバリバリ働く時代になっていったことも影響する。これはあるべき姿。でも、男性中心社会で、女性が心地良く働けるための整備が遅れに遅れる。今だに産休・育休のプレッシャーが残るし、託児所問題も悪影響。1人目だけで充分、それが当たり前、の雰囲気もあるが、1人目の不都合が2人目を妨げる。

ちなみに、現代からはアホらしい話だが、ボクが大学卒業して入った最初の会社は、女性は「一般職」というカテゴリーの補助的業務でしか採用していなかった。が、ボクの入社の年に初めて男性と同じ「総合職」として東大と京大から1名ずつ採用した。なんて馬鹿な話かと思ったもの。しかし、それがやっとの時代だったのだ。ある意味、やっとスタートだったのだ。。。

性別に関係なく働ける、あるべき姿が進んでいく。良いこと。ただ、出産・子育てを望むひとには、伸び伸びと、安心して、積極的に進めてもらいたい、という「心」が会社にも、為政者にも足りていないと感じる。「女性は「一般職」というカテゴリーの補助的業務が当たり前」と考える化石経営者に普通に出会う。。。悲しくなる。。。



年配の世代・先輩世代とは何のために存在しているのか:

自分達の過去の廃れたやり方を押し付けるのではなく、
「若い世代はよくわからないな。何を考えているのか」と影口をたたくのではなく、
Z世代、α世代などなど、誰かが言い出したキャッチーな定義を「有効活用」して、自分達とは通じ合えない世代と短絡的に決め込むのではなく、
パワハラ・セクハラにならないよう、びくびく、必要最低限の接触に終始するのではなく、
自分の思考・習慣はこの年ではもう変わらないよ、なんて嘯いて、若者の変革要請を突き放すのではなく、

若い世代が生きて来た時代を理解しようと努め
将来を不安に思う感情を理解し、
そして、常に将来への希望を運ぶこと、だと思うのです。

「希望を運ぶ」


そして、ボクら団塊ジュニアは子供を産まなかった、産めなかったのだから、若い世代を我が子、可愛い子供たちと思って、大いに支援したらいい、かな、と思うのだ。

自分達のできることで。
「希望を運ぶ」ことで。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v9_12)



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