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<ボクラノ インタビューVol.2:選択と変化を恐れない!選んだ道を正解にするキャリア観>

<この人のキャリアストーリーのポイント>
#いい子 #グレる #後悔 #選択と変化 #選択を正解に

『誰もが自分の人生を自慢できる世の中を創る』をコンセプトに活動するボクラノ。
活動のメンバー紹介の第2段として、メンバーの高橋にインタビューを実施しました。

<略歴>
1993年滋賀県草津市に生まれ。
その後幼少期から愛知県の名古屋市で過ごし、都内大学を卒業後、
株式会社マイナビに入社。
中途採用を支援する転職情報事業部にて港区エリアの企業の採用支援を担当した後、エンタープライズ向けの採用戦略部署へ抜擢。
計3年間中途採用の支援部署での業務に従事したのち、
営業能力のさらなる強化・より成果主義の環境下の中で、研鑽したい想いから外資系企業の営業職へ。あわせてキャリア支援のため、ボクラノに所属。

<Q.1:幼少期はどんな環境で育ちましたか?>

(高橋)いわゆる、固い家庭で育ったと思います。
祖父・父母も真面目でしたし、兄弟も真面目。
自分もその影響をしっかりと受けまして(笑)。
幼少期、小学生の頃は波風を立てるようなことはない、
子供だったかなと思います。"いい子"というイメージがそのまま当てはまるような子供でしたね。

―――今はとてもアクティブな方なので、想像ができなかったです!
   価値観が変わった原体験は何があったんですか?

<Q.2:価値観が変わったエピソードを教えてください>

(高橋)転機になったのは、中学時代。
小学生から続けていたサッカー部に所属をしたんですけど、
当時、やんちゃな子たちと仲良くなって、軽くグレ初めまして…。
練習とかをサボるのは日常茶飯事。
客観的に見たらそんなに大それたことは言えないんですが、
真面目な幼少期の反動もあったのかなと思います。

チームは代々強豪、レギュラーだったんですけど、
そういった生活を続けていたら、引退間際の3年時に総体出場を逃して。

「お前にはもっと上手くなってほしかった…。」

その時に、監督に言われた言葉が強烈に、
自分の中で楔のように残ったんですよね。
普段泣かない人が涙する姿を初めて見て。

陽気な監督だったので、あれだけ本気で言ってくれることがなくて。
自分たち以上に、心から悔しいと本気で言って貰えるのがその年なりに分かったんです。

期待を裏切ることって、怖いなと痛切に感じて、変わらなきゃって。

幼少期の真面目な時からグレてしまった時は、
いわゆる楽な変化を選んでしまったなと。

けど、変わるのであれば前向きに。
胸を張って、良い変化をしたねって言われる人でありたい。

その後、悪友とも縁を切って、
一念発起して、高校も愛知の強豪のサッカー部に入ったんです。

―――"よい変化をした"胸を張ってそう生きていきたいと思ったんですね。

<Q.3:原体験が活きたと思えるエピソードを教えてください>

(高橋)高校のサッカー部は強豪校で厳しい環境だったんですけど、1年間死に物狂いで練習しました。

ただ、高2で理系に転換をしてから、想像以上に忙しくて。
サッカーを続けたいけれど、思うように練習に参加できない。
サッカー一筋の部員からすると、好ましく思われないし、
彼らにとっては僕の葛藤も小さな悩みだったのかもしれません。
だんだんと、サッカー部の友人からもややハブになってしまった。

3年になるとさらに部活に出れなくなってしまうから、
レギュラーを目指すor文武両道に対する憧れ。
どちらかを選択しなければいけない時期だなと。


結果として、自分の心が向く方へ。そこでサッカーを断念したんです。
ただ、辞めてからもその選択を大切にできるように、
今僕の周囲にいるクラス友人に対して、真摯に向き合おうと思いました。

振り返ってみると、未だに仲の良い友人たちです。
その時に、辞めるという選択をして、その道を正解にしようと思ったから、
別のコミュニティの友人との深い繋がりができたと思っています。

人は帰属意識があるから、今の環境を変えるっていうことは難しい。
けれど、中学での原体験があったからこそ、"選択と変化"
僕は当時から大事にしてこれたと思います。

選択をしたからこそ、新たなコミュニティが広がる。
そして残っている大切な友人がいる。
新しい世界に対して飛び込むことを蔑ろにしたくないと思いました。

―――選択をして、変化を恐れない。凄く難しいですよね。
  ただ勇気をもって飛び込んで、選んだ道を正解にしていったんですね。

(高橋)受験の時もそうで。
大学の付属校だったんですけど、みんなエスカレーターで進学していく。
そういった暗黙の了解があったんです。

けれど、先生になる夢があって教育学部を志望した子が、
別の大学の教育学部に落ちたから、エスカレーターで法学部に入るとか。
医者になりたい人が医学部に落ちてしまったとはいえ、
一番偏差値が高いという理由で、内部進学で別の学部に行ったりとか。
でも悔しいとかではなくて、けろっとしていたんです。

それが一概に悪いこととは思わないんですけど、
そういうキャリア選択を目の当たりにして、物凄い違和感を感じたんです。
固定観念に縛られていることに対しての気持ち悪さというか。
何より、それが友達だからこそ、ショックだった。

医者になりたかったのは嘘だったの?そんなに簡単に切り替えていいの?

って。実際に本人にも勇気を出して言ったけれど、響くことはなかった。

その人にとっては幸せなのかもしれないし、僕に彼らの人生に介入する隙間なんてなかったのかもしれないけど、強烈な悔しさを感じました。

憧れた夢を大切にすることの説得力がその当時の僕にはなかった。
もっと自分が成長しなければ、そういった夢も語れないって。

僕は内部進学はせずに地元の友人たちから離れて上京して、
今しかできないことを全力で取り組もうと思ったんです。

きっとそういう大きな選択・変化の先に、
"自分だけじゃなく誰かの変わるを、ちゃんと応援できる人"
になれるんじゃないかなって。

<Q4:これまでのキャリア観を教えてください!>

(高橋)多分僕自身がこうやって話しながら、
正解のほうにもっていってるというのはありますけど(笑)
進むべき道を選択したのは自分だし、選択したほうを正解にする。
そして何より人の変化を心から応援できる。
それを大事にしたい。

自分が変化することはもちろん、誰かの前向きな変化もしっかりと後押しできるように、新卒でマイナビに入社しました。

3年間勤めてきた中でとてもやりがいのある仕事ができたと思っています。
加えて、エンタープライズ向けの部署にいたときは、求職者だけでなく、
人事の方のために、採用戦略に基づいた制度設計や、カスタマーサクセス的な伴走スキル。より上流でコンサルティングに近しい業務も経験しました。
転職相談なども受けながら、企業側に対しての戦略も考えられましたから、
充実した日々でした。

<Q5:ボクラノで叶えたい未来は何ですか?>

(高橋)今はより自分自身を磨きたいという想いから外資系企業へと転職をし、併せてボクラノでのキャリア支援も行っています。

きっと僕自身がちゃんと選択して、良い変化を重ねることで、
皆さんの人生選択における悩みにより深く共感できる。
そのうえで、変わろうとする姿の背中を真に押すことができると思うから。

『誰もが自分の人生を自慢できる』そんな前向きな世の中の変化を、
ボクラノの活動を通して実現していきたいと思っています。

―――インタビューありがとうございました!

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